山田隆夫
やまだ たかお 山田 隆夫 | |
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本名 |
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生年月日 | 1956年8月23日(67歳) |
出生地 | 日本・東京都江東区 |
血液型 | A型 |
職業 |
アイドル タレント 歌手 映画俳優 落語家 |
活動期間 | 1966年 - |
配偶者 | あり |
山田 隆夫(やまだ たかお、
2014年4月から芸名の表記を『笑点』出演時を除き「山田たかお」に改めている。
来歴・人物
生い立ち
東京都江東区深川出身。10歳の時、フジテレビの『ちびっこのどじまん』でデビュー。その後複数の番組に出演し、1970年からは日本テレビの『笑点』の「ちびっ子大喜利」コーナーにレギュラー出演した。
ずうとるび
「ちびっ子大喜利」コーナーの座布団10枚獲得記念賞品がレコードデビューということで、1973年にずうとるびのメンバーとして歌手デビューし活躍する。ずうとるび在籍時代には歌手として第26回NHK紅白歌合戦に出場。その後日本大学豊山高等学校を卒業する。
ずうとるび脱退
1977年、結婚を機にずうとるびを卒業する。建前上は結婚のため卒業となっているが、実際はこの頃、ずうとるびの音楽的方向性の考え方の相違から、他のメンバーとは険悪な状態になっており、山田自身の意思による脱退だった。
山田はモンキーズのようなポップ色の強いバンドを目指していたが、他のメンバーはバンド名の由来ともなったビートルズのようなロックバンドを目指していたことから口論や喧嘩も絶えなかったと、後に日本テレビ系番組『壮絶バトル!花の芸能界』にて明かしている。山田がモンキーズを目指していたことは、ずうとるびのシングル「恋の夜行列車」からも読み取れる。この曲は山田自身の作詞・作曲であるが、これはモンキーズのデビュー曲である「恋の終列車(Last Train To Clarksville)」からヒントを得たものである。
『笑点』の「座布団運び」として
松崎真に続き、1984年10月7日に『笑点』大喜利での6代目座布団運び役に就任した。山田の色紋付は当初赤紫だったが、1年後若干オレンジ気味の朱色(番組によって赤またはオレンジとも言われる)に変わる。定紋は『剣かたばみ』。
年齢的にはベテランながらいつまでも下働き的な役目をしていることから、回答者に馬鹿にされると反発して座布団を没収する。これは5代目三遊亭圓楽の目立なくなりがちな座布団運びを番組に絡ませるための提案が元で始まった。圓楽からは判断を一任されていたが、桂歌丸が後任として司会者に就任して以降は没収した枚数+1枚を上げるよう指示されることが多い。なお芸歴上は、歌丸、林家木久扇、三遊亭好楽以外のメンバーは後輩にあたる。40代頃までは「子作り名人」ということを売りにしていた。
江戸川区在住時代は5代目圓楽から「江戸川のスター」と紹介されることが多かったが、東京都の区画整備により高圧鉄塔が立つために立退き、横浜市に引っ越した。新居落成時には、番組でメンバーのお宅訪問が行われた。新居はかなり立派な外観であり、内装も中々のもので、山田本人は「座布団御殿」と呼んでいる。
なお、笑点には座布団係に徹するために本名で出演しているが、馬風に入門し、落語家として「鈴々舎鈴丸」という名を持っている。入門のきっかけは笑点の座布団係になった事で、落語での世界のしきたり・作法や立ち振る舞いなどを勉強する意味で、落語家修行を始めたものである。しかし、「大喜利メンバー入り」の意思を宣言しており、たまに大喜利で答えることもあることから、そのために弟子入りしたとも考えられている。なお、現段階では前座にすらなっておらず、師匠が最高顧問を務める落語協会の会員ではない。
俳優活動
俳優として多数のテレビドラマや映画に出演している。1987年にアメリカ映画『太陽の帝国』(スティーヴン・スピルバーグ監督)に出演し、話題となった。このことは後に『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で取り上げられた。また、これに伴い山田は役作りのために坊主頭になっている。なお、坊主頭になった当時、警察署の一日署長を務めたことがあり、そのときの写真が「映画出演のために坊主になった」という理由付きで笑点40周年記念本に収録されている。 この演技が認められ『ミスター・ベースボール』に通訳の役で出演が決定していたが実現しなかった。当時テレビ番組で「ハリウッド映画にまた出る」ことを本人が語っており作品が「ミスター・ベースボール」ということも公表していた。
出演
主なドラマ出演
- 明るいなかま(NHK教育 道徳番組)
- 天下御免(1971年、NHK)
- 赤ひげ 第8話「霜夜」(1972年12月1日、NHK)
- おやじ山脈(1972年、TBS)
- 夕ばえ作戦(NHK少年ドラマシリーズ、ずうとるびの仲間、今村良樹も共演)
- おおヒバリ!(1977年 - 1978年、TBS)
- 必殺仕事人(1979年、朝日放送) - 半吉 役
- 大江戸捜査網(1980年、12ch) - 千代松 役
- 電子戦隊デンジマン 第30話「消えた盗んだ出た」(1980年、テレビ朝日)
- 二百三高地 愛は死にますか(TBS系、1981年)-木下九市役
- 太陽戦隊サンバルカン(1981年、テレビ朝日) - 矢沢助八 役
- ハウスこども劇場 第18話「五年二組の宿題戦争」(1982年7月20日、テレビ朝日)
- 噂の刑事トミーとマツ(TBS / 大映テレビ)
- 第1シリーズ 第7話「あぁ煙突のてっぺんで」(1979年)
- 第1シリーズ 第32話「ああトミマツの四回戦ボーイ」(1980年) - ライオン川口 役
- 第2シリーズ 第4話「トミー失神! マツの死を呼ぶ警察手帳」(1982年)- 中山三郎 役
- あゝ野麦峠(TBS)
- 思えば遠くへ来たもんだ(TBS)
- 木曜ゴールデンドラマ(読売テレビ)
- 「遅れてきた年賀状」(1985年)
- 「稚い殺意」(1985年)
- 気分は名探偵 第23話「探偵事務所は大騒動!?」(1985年、日本テレビ / ユニオン映画)
- あぶない刑事 第2話「救出」(1986年、日本テレビ) - 依田 役
- 暴れん坊将軍II 第179話「箱根八里の鬼退治!」(1986年、テレビ朝日 / 東映) - 伊之助
- 名奉行 遠山の金さん 第2シリーズ 第6話「甘い囁きは女の敵」(1989年、テレビ朝日 / 東映) - 幸吉
映画
- くるみ割り人形(サンリオ製作の人形アニメ、声の出演)
- 沖縄10年戦争(松尾昭典監督)
- 英霊たちの応援歌 最後の早慶戦(岡本喜八監督)…明大落研の学生役、劇中「まんじゅうこわい」を披露
- キネマの天地(山田洋次監督)
- 太陽の帝国(スティーヴン・スピルバーグ監督)
- 思えば遠くへ来たもんだ(朝間義隆監督)
- ぷりてぃ・ウーマン(渡邊孝好監督)
- 筆子・その愛 -天使のピアノ-(山田火砂子監督)
広告
- 味の素「ポテマヨ」(ナレーション)
- ペヤングソースやきそば(立川志の輔と共演)
- サントリー「BOSS贅沢微糖」
バラエティ
- 学校そば屋テレビ局(TBS、ずうとるびの4人が中心になった公開型コメディ)
- 笑って!笑って!60分(TBS)
- 時間だヨ!アイドル登場(日本テレビ) - 渡米したフィンガー5に代わりレギュラー出演
- 対決!スーパーカークイズ(テレビ東京) - 司会
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(1990年の第2回放送、日本テレビ)
- 笑っていいとも!(フジテレビ、2001年9月6日) - CD発売告知を兼ねてMrビジョアル系に出演
- 笑点(日本テレビ)
- BS笑点(BS日テレ) - 2006年5月27日・6月10日放送分では、座布団運びを担当しているセイラが仕事上の都合で出演できなくなったため、代役で座布団運びを務めた。
- スーパークイズスペシャル(日本テレビ) - 笑点チームとして参加
- 開運!なんでも鑑定団(2008年6月10日、テレビ東京) - ずうとるび時代に使用したギターを持参。
- その他、別の番組の収録でフジテレビに来ていた際に『夜のヒットスタジオ』に顔出し出演をしている(1976年5月25日。歌は歌っていない)。
その他
その他
- 部員として林家こん平が監督するらくご卓球クラブに所属。
- 結婚歴は2回。元妻・吉川圭子との間に娘2人、現在の妻との間に息子1人、娘1人がいる。そのため子沢山を繰り返しネタにされる。元妻・吉川との結婚式は、当時東京12チャンネルで放映された番組『スーパーカークイズ』内で行われた。元妻と現在の妻は漢字は違うものの、同じ「けいこ」という名である。『笑点』公式サイト上の用語集によると、元妻が「圭子」、現妻が「恵子」と標記されている。息子の太一はマネージャー見習いとして父の仕事について回っている(『誰だって波瀾爆笑』2012年1月8日放送分)
- ずうとるび卒業後プロボクサーのライセンス(プロボクシングC級ライセンス)を取得した。
- 『ズバリ言うわよ』に出演した際、細木数子の本を愛読し、そのおかげで妻の病気が治ったことが明らかになっている。しかし細木からは「笑点で、そろそろ座布団運びから解答者にならないとだめだ」と言われている。
- 認知症を患う母親をアパートに住まわせていたが、諸般の事情から母親の看護は姉に全て任せたため、母親が亡くなるまで山田自身は一度として見舞いに訪れなかったという。「笑点」の大喜利でたい平を突き飛ばして自らの小指の靱帯を切った際、嫌な予感がしたと思ったら、そのとき母親が危篤状態で、そのまま息を引き取ったと笑点オフィシャル本の中で語っており、「身体を休めなさい」という母親からのメッセージが、小指の靱帯を切ったという形で現れたのではないかと本人は語っている。
- 土地に関して、先見の明があるとされており、様々なエピソードがある。
- ずうとるび時代から、土地を買って不動産経営を始め、マンション経営で成功している。知る人ぞ知る事柄だったが、『ズバリ言うわよ!』出演時に改めて公表した。
- 『はねるのトびら』のコーナー内にて、マンションを2棟持ってる事を公表している。いずれも買った土地の近くに鉄道が通ったり、商業施設が出来るなどして、一等地となり、新築のビルを建設し、賃貸マンションを経営し始めた。この、賃貸マンションで月数百万円の収入を得ている。その新築パーティーに笑点メンバーを招待したが、その中で6代目円楽だけ誘わなかったとの事。
- 上述の通り元々、東京都に住んでおり、区画整備により立退いて横浜市に引っ越しているが、その過程について2006年9月17日放送の「笑点」の大喜利でたい平に、最初に買った土地が東京都の区画整備で10倍の値段で売れる→次に買った土地が高圧鉄塔で立退き料で何十億を貰う→4階建てのエレベーター付の家を建てる(上述の「座布団御殿」)→今の土地にもうすぐ地下鉄の駅が出来る[1]、と土地でかなりの金額を得ていると言われたが、大喜利での答えであり、真偽の程は不明。
- 以前立川志の輔と共にペヤングソースやきそばのCMに出演した際、まるか食品からカップ焼きそばを段ボールで1年分送られたらしく、そのカップ焼きそばのファンでもある六代目三遊亭円楽から分けてくれとせがまれた事があったと言う。
- 「笑点」大喜利コーナーで運んでいる座布団は1枚3kg以上あり、ぎっくり腰を何度もやっている。そのため、日頃からジムで筋トレをしているという。[2]
ディスコグラフィ
- 僕はカウンタックマン/スーパーカーなーんちゃって(1978年4月) - 東芝EMI
- 幸せのザブトン/なぜか埼玉(2001年11月21日) - 日本クラウン
著書
- ボクに運が巡ってくる55の理由 座布団運び山田くんの法則(廣済堂出版) 2012年(平成24年)5月25日発刊(企画・構成:今村良樹)
脚注
- ^ 実際に、2008年3月30日に横浜市営地下鉄グリーンラインが開業した
- ^ 2014年5月16日付日本経済新聞 文化面「座布団と積み重ねた幸せ」
関連項目
外部リンク
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