山田詠美

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山田 詠美
(やまだ えいみ)
誕生 山田 双葉(やまだ ふたば)
(1959-02-08) 1959年2月8日(65歳)
日本の旗 日本東京都板橋区中丸町
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 明治大学文学部日本文学科中退
活動期間 1985年昭和60年) -
ジャンル 恋愛小説青春小説随筆
代表作 『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』(1987年)
『風葬の教室』(1988年)
『トラッシュ』(1991年)
『アニマル・ロジック』(1996年)
『A2Z』(2000年)
『ジェントルマン』(2011年)
主な受賞歴 文藝賞(1985年)
直木三十五賞(1987年)
平林たい子文学賞(1989年)
女流文学賞(1991年)
泉鏡花文学賞(1996年)
読売文学賞(2001年)
谷崎潤一郎賞(2005年)
野間文芸賞(2012年)
川端康成文学賞(2016年)
デビュー作 『ベッドタイムアイズ』(1985年)
配偶者 クレイグ・ダグラス (米軍勤務、後に離婚)
可能涼介 (文芸評論家、劇作家)
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山田 詠美(やまだ えいみ、Amy Yamada、本名: 山田 双葉(やまだ ふたば)、1959年昭和34年〉2月8日 - )は、日本小説家漫画家である。

愛称は、ポンちゃん。

経歴[編集]

2歳頃まで東京都板橋区で過ごし、その後帝国繊維[1]に勤務する父の転勤のため北海道札幌市(約3年)、石川県加賀市(約1年2ヶ月)、静岡県磐田市(約4年)[1]を転々とする。5年生の2学期より栃木県鹿沼市に転居。鹿沼市立東小学校・中学校を経て、栃木県立鹿沼高等学校に進学。高校では美術部や山岳部にも所属したが、3年間通したのは文芸部であった。[2] 住まいは父の勤務する会社の社宅が主であったが、高校時代に実家が宇都宮市に居を構える。高校時代はボリス・ヴィアンフランソワーズ・サガンなどを愛読。

高校卒業後は明治大学文学部日本文学科に進む。大学時代は漫画研究会に所属したが[3]、他の部員とは話が合わず浮いている存在だった。在学中、OBとして当時すでにプロになっていたいしかわじゅんが漫研を訪ねてきたことがきっかけで、高取英編集長のエロ劇画誌であった『漫画エロジェニカ』に紹介してもらい、在学中に本名の山田双葉名義で漫画家としてデビュー。同時期に同誌でエロ漫画デビューしたまついなつきと並び女子大生エロ漫画家として取り上げられた。

1981年昭和56年)に大学を中退し、クラブなどでアルバイトをしながら漫画作品を発表。漫画家としては『シュガー・バー』(1981年けいせい出版)、『ミス・ドール』(1986年河出書房新社)、『ヨコスカフリーキー』(1986年けいせい出版)を出版している。

1985年(昭和60年)、『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社)で文藝賞を受賞しデビュー、芥川賞の候補にもなった。次いで『ジェシーの背骨』(同)、『蝶々の纏足』(同)が続けて芥川賞候補に挙がるも受賞には至らなかった。

1987年(昭和62年)の『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』(角川書店)で直木賞を受賞。候補外であったが選考委員の五木寛之の強い推薦があり受賞に至った。また、この直木賞受賞前には、山田が当時交際していた外国人男性が婦女暴行容疑で逮捕されるという事件が発生、受賞への影響、外国人男性へのバッシングが話題となった。

1999年(平成11年)には、大学入試センター試験の試験科目「国語 I・II」の第2問に、山田の小説 『ぼくは勉強ができない』の「番外編 眠れる分度器」の一部が問題文として使用された[4]。これについて山田は、自身の作品を無断で使用されたことに対して不快感を示すとともに[5]、この問題文に関する設問の正答率が低かったことに関して、「選択肢の中に正解がなかった」と批判した[5]

直木賞受賞者ながら、芥川賞選考委員を2003年上半期第129回から務めている。選考内容に対しての辛口批評で知られる『文学賞メッタ斬り!』でも、その批評眼を高く評価されている。

私生活[編集]

1990年平成2年)、1987年夏に出会った在日アメリカ軍横田基地勤務のクレイグ・ダグラス結婚したが[6]2006年(平成18年)離婚2011年(平成23年)11月3日、10歳年下の文芸評論家劇作家可能涼介再婚[7]、山田の実家のある栃木県宇都宮市婚姻届を提出した[8]。「彼が山田さんになってくれたんです。私が名字かえるとしがらみが多すぎて面倒だし、10歳年下の彼なら身軽だから」と現在の姓が「山田」であることを明かしている[9]

大学時代に住んでいた吉祥寺に再び住み、20年近くになるという[10]

作品[編集]

東京六本木で仕事をし、外国人との交流も多かったため、デビュー作の『ベッドタイムアイズ』では、山田が影響を受けた日本文学の文体を継承しつつ、外国人と関係を結ぶ女を衝撃的に描き世間からは気持ち悪いなど批判をされた。また生活から文学を語る論者として、『PAY DAY!!!』では、9.11について生活者の側から描き、2005年(平成17年)『文藝』夏号のインタビューでも、肉体労働者を描いた短編集『風味絶佳』との関連で、「スモーキング可能な大衆食堂」について書面で答えている。

2冊目の作品集『ジェシーの背骨』では、恋人の連れ子と暮らすことになった女を描いて子供との生活における特異な世界観を導き、芥川賞候補となった。『風葬の教室』、『放課後の音符』、『晩年の子供』、『ぼくは勉強ができない』などでは、子供いじめ高校生小説の系譜を書き継いでいる。

影響[編集]

金原ひとみ綿矢りさ芥川賞を受賞した際、影響を受けた作品としてともに『放課後の音符』を挙げている[11]福田和也は『4U』や『MAGNET』『風味絶佳』などを短編小説の名手として評価している[12]。2010年代現在では、山田作品を対象とする日本文学研究者ももう珍しくなくなった。[13]

受賞歴[編集]

著作[編集]

  • 『ベッドタイムアイズ』(1985・河出書房新社)のち文庫 
  • 『指の戯れ』河出書房新社、1986 のち文庫
  • 『ジェシーの背骨』(1986・河出書房新社)のち文庫、角川文庫  
  • 『蝶々の纏足』河出書房新社、1987 のち文庫 
  • 『ハーレムワールド』講談社、1987 のち文庫
  • 『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』(1987・角川書店)のち文庫、幻冬舎文庫  
  • 『熱帯安楽椅子』集英社 1987年6月 のち文庫
  • 『カンヴァスの柩』新潮社 1987年8月 のち文庫
  • 『私は変温動物』講談社 1988年3月 のち文庫
  • 『ぼくはビート』角川書店 1988年8月 のち文庫、幻冬舎文庫
  • 『フリーク・ショウ』角川書店 1989年4月 のち文庫、幻冬舎文庫
  • 『ひざまずいて足をお舐め』(1988・新潮社)のち文庫
  • 『風葬の教室』(1988・河出書房新社)のち文庫 
  • 『セイフティボックス』講談社 1989年6月 のち文庫
  • 『放課後の音符』(1989・新潮社)のち文庫、角川文庫 
  • 『熱血ポンちゃん』シリーズ
    • 熱血ポンちゃんが行く! 角川書店 1990年4月 のち文庫、講談社文庫
    • 熱血ポンちゃんが行く! 2 角川書店 1992年2月 「再び熱血ポンちゃんが行く! 」講談社文庫
    • 誰がために熱血ポンちゃんは行く! 角川書店 1993年10月 のち講談社文庫
    • 嵐ケ熱血ポンちゃん! 講談社 1995年10月 のち文庫
    • 路傍の熱血ポンちゃん! 講談社 1997年5月 のち文庫
    • 熱血ポンちゃんは二度ベルを鳴らす 講談社, 1999年1月 のち文庫
    • 熱血ポンちゃんが来りて笛を吹く 講談社, 2001年1月 のち文庫
    • 日はまた熱血ポンちゃん 講談社 2002年10月 のち文庫
    • ご新規熱血ポンちゃん 新潮社 2004年11月 のち文庫
    • 熱血ポンちゃん膝栗毛 新潮社 2006年12月 のち文庫 
    • アンコ椿は熱血ポンちゃん 新潮社 2009年3月 のち文庫 
    • ライ麦畑で熱血ポンちゃん 新潮社 2011年3月 のち文庫
    • 熱血ポンちゃんから騒ぎ 新潮社 2013年5月
    • 時計じかけの熱血ポンちゃん 新潮社, 2015.5
  • 『メイク・ミー・シック』集英社 1991年4月 のち文庫
  • 『晩年の子供』講談社 1991年10月 のち文庫
  • 『ラビット病』新潮社 1991年12月 のち文庫
  • 『色彩の息子』(1991・新潮社)のち文庫
  • 『トラッシュ』(1991・文藝春秋)のち文庫 
  • 『24・7』角川書店 1992年3月 のち幻冬舎文庫
  • 『内面のノンフィクション』福武書店 1992年4月 のち文庫、文春文庫
  • 『チューイングガム』(1993・角川書店)のち文庫
  • ぼくは勉強ができない』(1993・新潮社)のち文庫、文春文庫 
  • 『快楽の動詞』福武書店 1993年12月 文春文庫
  • 『120%COOOL』(1994・幻冬舎)のち文庫
  • 『アニマル・ロジック』(1996・新潮社)
  • 『ベッドタイムアイズ・指の戯れ・ジェシーの背骨』新潮文庫 1996年11月
  • 『蝶々の纏足・風葬の教室」新潮文庫 1997年3月
  • 『4U』(1997・幻冬舎)のち文庫 
  • 『MAGNET』(1999・幻冬舎)のち文庫 
  • 『エイミー・セッズ』新潮社 1999年8月 のち文庫
  • 『エイミー・ショウズ』新潮社 1999年8月 のち文庫  
  • A2Z』(2000・講談社)のち文庫 
  • 『姫君』文藝春秋 2001年6月 のち文庫
  • 『メンアットワーク 対談集』幻冬舎文庫 2001年8月
  • 『ウォッカ・ニット』 2002年7月 ソニー・ミュージックレコーズ
  • 『PAY DAY!!!』(2003・新潮社)のち文庫
  • 『風味絶佳』(2005・文藝春秋)のち文庫 
  • 『無銭優雅』(2007・幻冬舎)のち文庫 
  • 『はじめての文学 山田詠美』文藝春秋 2007年9月
  • 『学問』(2009・新潮社)のち文庫
  • 『タイニー・ストーリーズ』文藝春秋、2010 のち文庫
  • 『ジェントルマン』講談社、2011 のち文庫
  • 『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』幻冬舎、2013 のち文庫 
  • 『4 Unique Girls 人生の主役になるための63のルール 』(2014・幻冬舎)のち文庫
  • 賢者の愛』2015・中央公論新社 のち文庫
  • 『珠玉の短編』講談社、2016 のち文庫
  • 『吉祥寺デイズ: うまうま食べもの・うしうしゴシップ』小学館、2018
  • 『つみびと』中央公論新社、2019
  • 『ファーストクラッシュ』文藝春秋, 2019.10
  • 『4 Unique Girls :特別なあなたへの招待状』幻冬舎, 2020.2
  • 『血も涙もある』新潮社、2021年2月25日 ISBN 4103668172
  • 『吉祥寺ドリーミン: てくてく散歩・おずおずコロナ』小学館、2021.12
  • 『私のことだま漂流記』 講談社、2022.11

編著[編集]

  • せつない話(編)光文社 1989年7月 (「光る話」の花束)のち文庫
  • せつない話第2集(編)光文社 1997年2月
  • 日本の名随筆 別巻 86 少女(編)作品社 1998年4月

共著[編集]

映像化作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “磐田南高百周年 若き我らの物語は続く 第1章(歴史)⑥昼間定時制”. 中日新聞  (浜松). (2022年11月1日) 
  2. ^ 山田詠美 愛の世界 /松田良一
  3. ^ 同時期に片山まさゆきが所属。
  4. ^ この出題に関しては、受験参考書のみならず、『駿台式!本当の勉強力』(講談社現代新書2001年)、石原千秋大学受験のための小説講義』(ちくま新書2002年)などでも詳細に論じられている
  5. ^ a b エッセイ『熱血ポンちゃんが来たりて笛を吹く』の中で山田詠美自身が述べている。ただし、入試問題における著作物の無断使用は、著作権法第36条にて例外的に認められている
  6. ^ 吉田ミカ「山田詠美のハーレム・ウェディング」『CREA』(文芸春秋)1990年6月号
  7. ^ 作家の山田詠美さん再婚、10歳下批評家 - 芸能ニュース”. nikkansports.com. 2020年9月16日閲覧。
  8. ^ 婦人公論』 2012年2月7日号掲載
  9. ^ 山田詠美さん、10歳年下と再婚|テレビ朝日”. www.tv-asahi.co.jp. 2020年9月16日閲覧。
  10. ^ 山田詠美さんエッセー集 吉祥寺に住みつづった95編、直筆の後書きも”. 吉祥寺経済新聞. 2020年9月16日閲覧。
  11. ^ 文藝春秋のインタビュー
  12. ^ 『作家の値打ち』
  13. ^ 外部リンク www.google.co.jpからのアーカイブ、2017年3月8日 05:42:37 UTC閲覧。
  14. ^ 郵便局員との恋を描き、軽快さと一文字一文字までこだわる慎重さが同居する文体が高く評価された。選評より