山浦善樹

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山浦 善樹(やまうら よしき、1946年7月4日 - )は、日本の最高裁判所判事弁護士筑波大学大学院教授、日本民事訴訟法学会理事等を歴任。

人物

長野県の寒村で生まれ、中学卒業後信用金庫への就職を考えていたが、教諭の勧めで奨学金を得て長野県上田高等学校に進学。内気で非社交的な性格を直すため高校では、新聞班班長や生徒会長を務めた。妻は無医村解消を志し神戸市から戦後まもなく長野に赴任してきた医師の子で、高校の同期生[1]

1969年に一橋大学法学部を卒業。大学時代はアルバイトのため勉学ができず、可や不可が並ぶ成績表の優の数はわずか7個だった。法律学のあり方に疑問を感じ、卒業論文は「法律学懐疑論」[2]

大学卒業後三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行するが、「肌が合わず」、妻と相談し1年で退社[3]。退社後はあてもなく過ごしていたが、1ヶ月ほど経ちゼミナール指導教官の市原昌三郎教授に大学院進学の希望を伝えるも、学部の成績が不良だったため断られ、就職活動も失敗し、会社員をしていた妻の扶養家族となる。その後法学の勉強を開始、退社後1年で旧司法試験に合格し、1972年司法修習生[4]

1974年に弁護士登録し、以降は東京弁護士会に所属。阿部三郎弁護士の事務所での勤務を経て、千代田区神田で開業[5]2008年より筑波大学法科大学院教授を務めた[6]

最高裁判事就任前は、山浦法律事務所所長を務めるかたわら、中央大学大学院法務研究科客員教授として法曹倫理の科目を担当[3]

2012年3月1日野田内閣により、同年2月27日に定年退官した宮川光治の後任として最高裁判所判事に任命される[7]

経歴

裁判

  • 2015年4月9日 子供が蹴ったボールで事故、親の賠償責任認めず - 最決2015年4月9日。

著作

  • 『民事事実認定と立証活動』第I巻、判例タイムズ社、2009年10月23日。ISBN 978-4891861612
  • 『民事要件事実講座』〈5〉企業活動と要件事実、青林書院、2008年6月。ISBN 978-4417013860
  • 「法律事務所における事件処理と要件事実の実際」『要件事実・事実認定論と基礎法学の新たな展開-伊藤滋夫先生喜寿記念』、青林書院、2009年2月。ISBN 978-4417014836
  • 『民事事実認定と立証活動』第I巻、判例タイムズ社、2009年10月23日。ISBN 978-4891861612
  • 「民事手続と弁護士の行動指針」、『民事訴訟雑誌』52号、日本民事訴訟法学会、2006年、57-73頁、NAID 40007458179

脚注

  1. ^ 衛藤征士郎「山浦 善樹最高裁判所判事が就任のご挨拶」Youtube 2012/03/02
  2. ^ 山浦善樹・ 山内進「【対談】最高裁判所判事/山浦善樹氏 山内 進学長 自分の頭で考え自分で動くモードに切り替える」HQ vol.37
  3. ^ a b c 兼任教員 山浦善樹(中央大学法科大学院、2012年2月15日閲覧)
  4. ^ “最高裁判事に弁護士・山浦氏が内定”. 朝日新聞. (2012年1月20日). http://www.asahi.com/national/update/0120/TKY201201200215.html 2012年2月15日閲覧。 
  5. ^ a b 最高裁判事の人事について”. 官房長官記者発表 平成24年1月20日(金)午前. 内閣官房内閣広報室 (2012年1月20日). 2012年2月15日閲覧。
  6. ^ “最高裁:判事に山浦氏任命へ”. 毎日新聞. (2012年1月20日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120120dde007010061000c.html 2012年2月15日閲覧。 
  7. ^ “最高裁の山浦判事が就任会見 弁護士出身”. 共同通信. (2012年3月1日). http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012030101002021.html 2012年3月2日閲覧。 

外部リンク