山本芳治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ささら (会話 | 投稿記録) による 2016年3月19日 (土) 13:12個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

山本芳治

山本 芳治(やまもと よしじ、1881年明治14年)9月8日[1]1950年昭和25年)12月28日[2])は、衆議院議員革新倶楽部立憲政友会)。厚生参与官弁護士

経歴

兵庫県加古郡八幡村(現在の加古川市)出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。司法官試補となるが辞して[3]大阪市に弁護士事務所を開業し、後に大阪地方裁判所所属弁護士会副会長に選ばれた。

大阪市会議員、市参事会員を経て、1924年大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。当選回数は合計で5回を数え、その間に第1次近衛内閣で厚生参与官を務めた。

脚注

  1. ^ 衆議院『第61回帝国議会衆議院議員名簿』、1932年。
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ 『官報』第8296号、明治44年2月20日

参考文献

  • 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。