山崎裕之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。118.87.224.37 (会話) による 2016年3月25日 (金) 03:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

山崎 裕之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県上尾市
生年月日 (1946-12-22) 1946年12月22日(77歳)
身長
体重
176 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 1965年
初出場 1965年4月10日
最終出場 1984年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山崎 裕之(やまざき ひろゆき、1946年12月22日 - )は、埼玉県上尾市出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

埼玉県立上尾高等学校では春の選抜に遊撃手、控え投手として初出場を果たす。同大会では2回戦に進出するが東邦に敗れる。この試合ではリリーフとして甲子園初登板を果たした。1964年夏の県予選は準決勝で熊谷商工に敗れた。


1965年東京オリオンズに入団。【長嶋二世】と言われた所以で、オリオンズ入団時に当時の看板打者・榎本喜八がつけていた背番号3を提示されたが、2番を希望する。当時はドラフト制度が無く、各球団での競合となり、当時としては破格の契約金5000万円での入団となった。1年目から一軍に定着し、1967年には遊撃手のレギュラーとなるが、打撃は今一つ伸び悩む。1969年に二塁手に回り、打率.301を記録。以後不動の二塁手として1970年1974年のリーグ優勝に貢献する。しかし新監督の山内一弘の構想から外れ、1978年オフに古賀正明倉持明との交換トレードで、福岡から所沢へ移転した新生西武ライオンズ成重春生と共に移籍。この時、当時ヤクルト監督だった広岡達朗から直接誘われたが、この時は実現せず[1]、広岡が西武監督に就任した1982年1983年の連続日本一に貢献した。1983年には自己最多の82打点をマークし、通算2000本安打も達成。1984年、チームのリーグ3連覇が絶望的になったのを機に若手主体の編成に変わり、この年限りで現役引退。

引退後は、文化放送テレビ東京野球解説者日刊ゲンダイの野球評論家として活動。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1965 東京
ロッテ
71 205 189 10 36 5 1 2 49 14 9 5 3 0 12 0 1 36 8 .190 .243 .259 .502
1966 28 69 65 1 8 0 0 0 8 2 0 0 0 1 3 0 0 11 4 .123 .162 .123 .285
1967 113 367 339 26 76 12 4 7 117 34 8 4 6 0 19 2 3 78 5 .224 .271 .345 .617
1968 128 466 420 47 107 18 5 14 177 49 8 7 4 3 33 4 6 75 5 .255 .318 .421 .740
1969 126 541 495 73 149 19 4 14 218 60 7 6 4 5 34 0 3 74 1 .301 .350 .440 .790
1970 129 520 474 64 117 16 3 25 214 75 15 12 3 6 36 4 1 80 4 .247 .301 .451 .753
1971 123 508 439 84 123 22 3 21 214 50 17 10 2 4 59 2 4 78 10 .280 .371 .487 .858
1972 123 499 442 54 107 22 1 16 179 58 4 9 2 2 52 1 1 76 7 .242 .323 .405 .728
1973 123 429 377 45 90 13 2 9 134 27 11 6 8 1 39 1 4 65 6 .239 .317 .355 .672
1974 124 507 454 62 126 32 3 11 197 58 6 5 9 5 39 2 0 70 12 .278 .335 .434 .769
1975 118 484 430 62 116 17 5 17 194 56 9 8 5 2 46 0 1 74 13 .270 .342 .451 .793
1976 121 478 418 50 114 19 2 16 185 62 7 4 6 5 48 2 1 67 6 .273 .349 .443 .792
1977 128 505 451 49 116 21 4 17 196 62 4 6 10 3 39 0 2 85 7 .257 .319 .435 .754
1978 122 483 435 56 126 23 2 13 192 52 3 4 12 2 33 1 1 55 8 .290 .341 .441 .783
1979 西武 79 337 286 54 95 16 2 12 151 46 7 3 5 1 44 1 1 41 8 .332 .423 .528 .951
1980 128 566 477 89 140 26 2 25 245 77 6 3 3 5 78 2 3 70 11 .294 .396 .514 .910
1981 125 553 457 97 124 27 4 22 225 68 5 5 2 3 88 0 3 83 7 .271 .392 .492 .885
1982 122 473 415 50 102 16 1 7 141 34 4 5 5 2 51 2 0 67 8 .246 .328 .340 .668
1983 128 600 515 96 148 30 3 18 238 82 4 3 9 7 67 3 2 52 12 .287 .372 .462 .834
1984 92 297 267 30 61 17 0 4 90 19 3 0 6 2 22 1 0 30 7 .228 .287 .337 .624
通算:20年 2251 8887 7845 1099 2081 371 51 270 3364 985 137 105 104 59 842 28 37 1267 149 .265 .339 .429 .768
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東京(東京オリオンズ)は、1969年にロッテ(ロッテオリオンズ)に球団名を変更

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:1973年4月20日、対阪急ブレーブス前期1回戦(後楽園球場)、4回裏に足立光宏から左越ソロ ※史上74人目
  • 1000試合出場:1974年5月21日、対太平洋クラブライオンズ前期7回戦(平和台野球場)、5番・二塁手で先発出場 ※史上170人目
  • 1000本安打:1975年7月13日、対太平洋クラブライオンズ後期1回戦(宮城球場)、1回裏に東尾修から中前安打 ※史上91人目
  • 150本塁打:1976年8月29日、対阪急ブレーブス後期7回戦(阪急西宮球場)、9回表に山田久志から左越ソロ ※史上44人目
  • 1500試合出場:1978年5月27日、対日本ハムファイターズ前期9回戦(後楽園球場)、4番・二塁手で先発出場 ※史上57人目
  • 1500本安打:1979年10月10日、対日本ハムファイターズ後期13回戦(西武ライオンズ球場)、9回裏に宇田東植から中前安打 ※史上32人目
  • 200本塁打:1980年4月30日、対ロッテオリオンズ前期6回戦(宮城球場)、9回表に安木祥二から左越決勝ソロ ※史上33人目
  • 1000三振:1980年8月1日、対南海ホークス後期4回戦(西武ライオンズ球場)、9回裏に金城基泰から ※史上5人目
  • 300二塁打:1981年8月10日、対ロッテオリオンズ後期5回戦(西武ライオンズ球場)、3回裏に水谷則博から ※史上18人目
  • 3000塁打:1982年8月10日、対ロッテオリオンズ後期4回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏に三井雅晴から中前安打 ※史上19人目
  • 2000試合出場:1982年8月17日、対南海ホークス後期7回戦(大阪球場)、2番・二塁手で先発出場 ※史上17人目
  • 250本塁打:1983年4月22日、対阪急ブレーブス1回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏に松本祥志から2ラン ※史上20人目
  • 1000得点:1983年5月19日、対ロッテオリオンズ7回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、3回表に大田卓司の決勝適時二塁打で生還して記録 ※史上18人目
  • 350二塁打:1983年9月6日、対南海ホークス20回戦(大阪球場)、9回表に矢野実から ※史上13人目
  • 2000本安打:1983年9月18日、対ロッテオリオンズ24回戦(西武ライオンズ球場)、3回裏に仁科時成から右翼へ三塁打 ※史上18人目
その他の記録

背番号

  • 2 (1965年 - 1984年)

逸話・雑記

  • スパイクやベルトの締め付けが苦手で、当時はまだマジックテープタイプのスパイクがなかった為、必要ない時は紐やベルトを緩めていた。西武時代創設1年目(1979年)のみユニフォームが、ズボンの腰を紐でしめる「ベルトレス」タイプであり、翌年からベルト式に変更になった後も、引退までベルトレスズボンを着用していた。本来は違反となるが、見た目がわからない為(ベルトループが腰を一周するタイプであった為)、特に規制もなかったといえる。

関連情報

出演番組

脚注

  1. ^ 「私の履歴書 広岡達朗」日本経済新聞社連載(20)、2010年8月21日
  2. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」410ページ

関連項目