山下芳輝

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山下 芳輝
名前
カタカナ ヤマシタ ヨシテル
ラテン文字 YAMASHITA Yoshiteru
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-11-21) 1977年11月21日(46歳)
出身地 福岡県福岡市
身長 178cm[1]
体重 76kg[1]
選手情報
ポジション FW[1]
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2003 アビスパ福岡 118 (27)
2002-2003 ベガルタ仙台 (loan) 59 (14)
2004-2006 柏レイソル 27 (1)
2005 大宮アルディージャ (loan) 5 (0)
2007 栃木SC 28 (6)
2008-2010 FC琉球 93 (19)
代表歴2
2001-2003 日本の旗 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月31日現在。
2. 2003年4月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山下 芳輝(やました よしてる、1977年11月21日 - )は、福岡県福岡市出身の元サッカー選手。ポジションフォワード

来歴・人物[編集]

福岡県福岡市出身で、東福岡高校サッカー部でプレー。当時の東福岡高校は志波芳則監督の指導で隆盛期にあり、山下が3年生として参加した1995年度の第74回高校選手権では小島宏美とのFWコンビでベスト4に進出した。同期には生津将司西政治、1学年下に古賀正紘、2学年下に本山雅志手島和希、古賀大三らがいる。

高校卒業後、山下は1996年Jリーグへ同年昇格したアビスパ福岡へ入団。地元出身の希望の星として注目され、開幕戦[注 1] でJリーグデビューを果たした。以後、下位に低迷する苦しいチーム事情の中、上野優作と2トップを組み、1997年J1参入決定戦では1回戦(J1参入決定予備戦)の川崎フロンターレ戦で後半途中から出場し、ロスタイムに同点ゴールを決め[注 2]、クラブを2部(J2)降格の危機から救った。その後も福岡のエースとして活躍する一方、日本代表(五輪代表監督兼務)のフィリップ・トルシエ監督から2000年シドニー五輪に向け1999年に開催されたアジア地区予選のU-22日本代表に選出された。オリンピック本戦出場はならなかったものの、その後の2001年にはトルシエ監督により日本代表(フル代表)にも招集され、FIFAコンフェデレーションズカップ2試合に出場した。しかし同年に福岡はJ2に降格し、山下は福岡と入れ替わりで1部(J1)に昇格したベガルタ仙台期限付き移籍した。

2002年、山下は仙台のエースとしてJ1リーグ全30試合に出場し、自己最高となる10ゴールを記録したが、同年の2002 FIFAワールドカップには登録されなかった。2003年にはジーコ監督により再び日本代表に招集されて1試合に出場したが、ゴールはならなかった。同年、仙台はJ2へ降格し福岡もJ1昇格に失敗したため、山下は再び移籍を希望して、2004年柏レイソルへ完全移籍で入団した[注 3]。しかし柏では思うような活躍が出来ず、3シーズンの在籍中にリーグ戦23試合出場で1得点に終わった。その中で、2004年のJ1・J2入れ替え戦では古巣の福岡と対戦し[注 4]2005年にはシーズン途中に大宮アルディージャへ短期の期限付き移籍を行い、2シーズンぶりの得点(結果的にJ1でのラストゴール)を決めたが、その間に柏がJ2降格となり、2006年には初めてJ2でのプレーとなった。

2007年、山下は日本フットボールリーグ(JFL)の栃木SCへ入団。チームのプロ化を急速に進める栃木の中心として期待された。同リーグではFC岐阜に在籍した小島宏美と対戦し、シーズン途中には上野優作が途中加入して6年ぶりにチームメイトとなった[注 5]2008年、同じJFLのFC琉球で総監督に就任したトルシエは山下を呼び、チームに自分の指導を伝える役割も期待したが、チーム目標だったJリーグ参加や上位進出はならなかった[注 6]2010年シーズン後にFC琉球との契約が終了し、2011年3月に現役引退を発表した[3]

引退後は地元福岡県でスポーツイベントの企画・運営を行う会社を立ち上げ、社長に就任[4]

なお、仙台時代の応援歌の原曲はTHE MODSの「PRISONER(野獣を野に放て)」 。柏時代はTHE HIGH-LOWSの「スーパーソニックジェットボーイ」。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 福岡 - J 19 2 6 2 2 2 27 6
1997 9 13 3 6 0 3 0 22 3
1998 14 32 7 3 0 1 0 36 7
1999 J1 25 6 1 0 2 1 28 7
2000 8 3 0 0 0 0 8 3
2001 21 6 3 1 1 0 25 7
2002 仙台 13 30 10 0 0 1 0 31 10
2003 29 4 4 1 1 1 34 6
2004 9 13 0 3 0 0 0 16 0
2005 9 1 2 0 - 11 1
大宮 31 5 0 2 0 1 0 8 0
2006 9 J2 5 0 - 0 0 5 0
2007 栃木 JFL 28 6 - 2 0 30 6
2008 琉球 33 31 6 - - 31 6
2009 9 30 9 - - 30 9
2010 32 4 - 0 0 32 4
通算 日本 J1 204 42 30 4 12 4 246 50
日本 J2 5 0 - 0 0 5 0
日本 JFL 121 25 - 2 0 123 25
総通算 330 67 30 4 14 4 374 75

その他の公式戦


代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点 (2001年 - 2003年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2001 2 0
2002 0 0
2003 1 0
通算 3 0

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 福岡にとってもJリーグ初試合。
  2. ^ これは後に「Sports Graphic Number」誌上で金子達仁らによるドキュメント「神を見た夜」として発表された。
  3. ^ 柏の正GKは、高校選手権の準決勝で静岡学園で山下の東福岡にPK戦で勝利した南雄太だった。
  4. ^ 2試合とも試合の大勢が決した後の登場となり、柏がJ1に残留した。
  5. ^ 翌年、山下退団後に上野が背番号9を引き継いだ。
  6. ^ 琉球では福岡で4年間一緒にプレーしていた三好拓児がキャプテンを務めていた[2]
出典
  1. ^ a b c FC琉球【JFL】日本フットボールリーグ
  2. ^ 【JFL】FC琉球のトルシエ革命、今季は成果出ず J SPORTS PRESS内 元川悦子コラム 2008年11月27日付
  3. ^ 2011年3月4日西日本新聞より
  4. ^ プロフィール|株式会社Glanz 株式会社Glanz 2017年03月08日付
  5. ^ a b c d 登録選手一覧表 Jリーグ 2006.12.08

関連項目[編集]

外部リンク[編集]