尻餅 (落語)

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尻餅(しりもち)は古典落語の演目の一つ。原話は、享和2年(1802年)に出版された笑話本・「臍くり金」の一遍である『もちつき』。

元々は上方落語の演目で、主な演者に東京の8代目三笑亭可楽桂歌丸、上方の6代目笑福亭松鶴などがいる。

あらすじ[編集]

八五郎の家では、大晦日だというのに夫婦喧嘩をしている。

隣近所では餅つきの音もにぎやかに、正月の支度を整えているのに、八の家では貧乏所帯ゆえにその準備ができないのだ。

「長屋の手前、餅つきの音だけでも聞かせてほしいんだよ」
「って言われてもなぁ…。ん?」

自棄になった八公の頭に、とんでもない案がひらめいた。

「何とかしてやろうじゃないの。その代わり…何をやっても文句を言うなよ…?」

いよいよ夜がやってきた。八公は子供が寝たのを見計らい、そっと外に出て、聞こえよがしに大声で…。

「ォホン。『えー、餅屋でございます。八五郎さんのお宅は…ここですな!』

芝居の効果音よろしく、餅屋が来たところから餅をつく場面にいたるまで、あらゆる場面を【音】だけで再現しようというのだ。

「家に上がってこの屋の主だ。『オー、餅屋さん、ご苦労様』。餅屋に戻って『ご祝儀ですか。えー、親方、毎度ありがとうございます』…」

子供にお世辞を言ったりする場面まで、一人二役で大奮闘。

「餅屋になって『そろそろお餅をつきますので』…おっかあ、を出せ」
「そんなもの無いわよ」
「お前のおだよ。お尻を出せ!」

かみさんのお尻を引っぱたけば、ペタペタ音がして餅をついている様に聞こえる…それが八五郎のアイディアなのだ。

「餅屋になって、『臼をここへ据えて…始めます』…白いお尻だな」
「何を言ってるんだい!?」

いやがるかみさんに着物をまくらせ、手に水をつけて尻をペッタン、ペッタン…。

「コラショ、ヨイショ…そらヨイヨイヨイ! アラヨ、コラヨ…」

そのうち、かみさんの尻は真っ赤になった。

『そろそろつき上がりですね。じゃあ、こっちに空けますね』…餅を代えたつもり、と。次は二うす目だ」

たまりかねた女房が、「餠屋さん、あと幾臼あるの?」

『へぇ。後、ふた臼位でしょうか』
「おまえさん、餠屋さんに頼んで、あとの二臼はおこわにしてもらっとくれ」

概略[編集]

「餅つき」という内容から、年末に演じられることの多い作品。

上方では、「おこわにしとくれ」という落ちが「白蒸(しろむし)で…」となっている。

白蒸は、もち米を蒸して、まだ搗いていない状態のもので、『もう叩くな』という意味ではこちらの方が明快だろう。

8代目可楽はこの前に『掛取万歳』の前半部を付け、この夫婦の貧乏と能天気を強調しておくやり方を取っていた。

上方では笑福亭系の噺で、五代目・六代目松鶴の十八番だった。

ちなみに、要となる【餅をつく音】は、丸めた掌をもう一方の掌ではたいて表現する。

大晦日のラプソディ[編集]

昔の大晦日は、日付的にも金銭的にも一年の「総決算」だったため、人々の心はかなり殺気立っていた。

大晦日を題として川柳には、どれもただ事ではない雰囲気が漂っている。

  • 大晦日 ますます怖い 顔になり
  • 大晦日 はとうとう 蹴飛ばされ
  • 大晦日 どう考えても 大晦日
  • 押入れで 息を殺して 大晦日

極め付きなのが下の句。

  • 元日や 今年もあるぞ 大晦日

昔の江戸っ子は『宵越しの銭は持たない』がモットーだったため、年末が来るたびにいろいろな意味で大騒ぎをしていたのだ。

その他[編集]

桂歌丸が海外公演をする際、なぜか必ずこの『尻餅』を演じていた。