小籔千豊

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小籔こやぶ 千豊かずとよ
Kazutoyo Koyabu
本名 小籔 千豊
生年月日 (1973-09-11) 1973年9月11日(50歳)[1]
出身地 日本の旗 日本 大阪府大阪市住吉区(現・住之江区[1][2]
血液型 B型[1]
身長 188 cm
言語 日本語
最終学歴 近畿大学付属高等学校
出身 NSC大阪校12期 [1]
コンビ名 ビリジアン(1993年 - 2001年)[3]
トリオ名 ビッグポルノ(2003年 - 2014年)[4]
グループ名 吉本新喜劇ィズ
ジェニーハイ
相方 やまだともカズ(ビリジアン)
出渕誠(ビッグポルノ)
住谷正樹(ビッグポルノ)
芸風 吉本新喜劇
漫談
コント
事務所 吉本興業(東京本社)
活動時期 1993年 -
同期 ロンドンブーツ1号2号
設楽統バナナマン
有吉弘行
劇団ひとり
渡部建アンジャッシュ
2丁拳銃
COWCOW
土肥ポン太
浜本広晃(テンダラー
ペナルティ
TIM
DonDokoDon
現在の代表番組 ちちんぷいぷい
今ちゃんの「実は…」
ノンストップ!
スペシャル番組
HINABINGO!など
過去の代表番組 なるトモ!
など
他の活動 俳優歌手
配偶者 既婚
受賞歴
「NHK上方漫才コンテスト」第28回(1997年)優秀賞(ビリジアンとして)
「上方お笑い大賞」第35回(2006年)話題賞
「BGO上方笑演芸大賞」第2回(2006年)脚本賞
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小籔 千豊[注 1](こやぶ かずとよ、1973年9月11日 - )は、日本お笑いタレント喜劇俳優ドラマー吉本新喜劇の座長[5]。バンド・吉本新喜劇ィズ、ジェニーハイのメンバー(また過去にはチャットモンチー大阪支部)。吉本興業東京吉本)所属。大阪府大阪市住吉区(現・住之江区)出身。大阪市在住。

略歴

1993年、山田知一(現在はやまだともカズの名で構成作家として活動)と漫才コンビ「ビリジアン」を結成する[3][6]フルーツ大統領のメンバーに編成されるなどするも、相方の山田が構成作家を志し、2001年に解散[3]。小籔はこの時、「俺はおもろない、売れない」と思っていた[7]

小籔は二つの夢を持っており、一つは芸人の世界で成功すること、もう一つは幸せな家庭を築くことだった[8]。しかし、小籔は芸人として売れる夢は潰えたと考え、芸人を引退して警察官[3]もしくは普通の職業[8]転職し、交際中の女性と結婚し、幸せな家庭を築こうと考えたが[8]、芸人仲間の野性爆弾ロッシーシャンプーハットのこいで[3]ケンドーコバヤシバッファロー吾郎[8]らに「絶対売れる」と慰留され[3]、こんなに気のいい人たちばかりの職場は無いと感動[8]。交際中の女性に「一年だけ」と約束し、芸人を続けることとなる[8]。なおこの時、映画監督である山田洋次の助監督から、お笑いが駄目なら役者になれば絶対食える、東京ではスラッっとしていたら男前は普通だが、スラッとしてブサイクという小籔には絶対に需要があり、食っていけると助言されていたと言う[9][注 2]

解散と同じ2001年中に、吉本新喜劇に入団した。だが、入団後9ヵ月ほどはずっと「お客さんの役」をやらされ、辞めようかとも思ったほどであると言うが[注 3]、「大きな声を出すとあばら骨が折れる」虚弱なチンピラ役や[10][2]のちに座長の一人となる川畑泰史と組んでの芸が人気を集める[11]。なお当時、小籔と川畑はくすぶっている者同士非常に仲が良かった。酒の席での大見得をきっかけに、小籔と川畑で作ったプロットを新喜劇の台本作家・壇上茂に見せてみたところ、壇上はこれを評価し、脚本化した。その舞台が好評であったため、定期的に小籔・川畑のコンビが見られるようになったと言った次第である[12]

小藪は実は生活の安定を志し、バッファロー吾郎Aの勧めもあり[11]新喜劇に入団したのであるが、吉本の社員には「新喜劇は芸人再生工場じゃない、辞めろ」などと言われ[13]、さらに新人である小籔の月収は平均2万円程度に過ぎず、男が食わせていくものだと思っていた小籔にとっては相当に辛い状態であったが、ファミレスでのアルバイトとのかけもち、および妻の収入、そして趣味であった漫画とカメラを一時辞めることで不遇の新婚生活を乗りきったという[11][8][14]

2004年ごろからは、座長不在時に代役を務めるなどの役目を任されるようになる[2][15]。時期は不明ながら、内場勝則も「お偉いさん」の前で、「これからは小籔や!」と発言したという[13]。そのためか、小籔も次の舞台では話の中心となる役が回ってき、さらにその次は一番出番の多い役が回ってきたという[注 4]。また同年秋からはNHK朝の連続テレビ小説わかば』のレギュラーに抜擢され、原田夏希が演じる主人公若葉の先輩職人・杉本康博役を演じた。またこの時、中川剛が体調を崩しており、その代役をきっかけとして新喜劇以外の仕事も増えていく[11]

2005年3月には「吉本新喜劇 川畑泰史・小籔千豊公演 がんばろっカナ!〜キャンペーン」をなんばグランド花月にて開催[17]

2005年8月ごろに座長就任要請があり[2][15]、2006年1月31日に座長就任が発表された[15]。その後2月28日に襲名御披露目を行い、その後1週間は「小籔祭り」として名実共に初の座長公演が行われた。初回の襲名口上には、内場と辻本、吉田ヒロの3座長と未知やすえが脇を固めた[18]。この期間は、小籔より名前が大きい「オオヤブ」姓の人[19]、身長188センチの小籔より背が高い人(女性の場合はハイヒール着用も可)[注 5][19]、「千」より大きい名前(万田さん、千一さんなど)[19]の人は入場無料扱いになった[2]

小籔の座長就任は、吉田ヒロ以来で約7年ぶりであった。新喜劇入団以来、約4年と言う異例の早さでの大抜擢であった。これには、小籔本人も非常に驚いたと言う[2]。小籔は、「平社員が社長になった感じ」、「奇をてらったことはしない」、「伝統8割、新しいこと2割で行きたい」、「一子相伝の技を受け継いでいきたい」などと抱負を語った[15]

その後2011年、プライベートでは子供が産まれたばかりで好ましいタイミングではなく、乗り気でもなかったが「東京にも新喜劇を広めたい」との思いから、東京吉本へ移籍を決断する[21]

なお現在、小籔は東京移籍もありタレントとしても成功しているが、新喜劇を離れるつもりは全く無く[21]、先輩方が50年間培ってきた新喜劇をより大きくして後輩に渡すのが自身の役目であると語り[21]、現在新喜劇は名古屋以東に名が轟いていない、聞いたことはあるが実際に見たことのある若い人は少ないとして、新たな顧客を確保すべく新喜劇の本格的な東京進出を計画[13][22]。2014年には吉本が所有していない「アウェー」の劇場俳優座劇場での公演が決定し、普段ルミネに足を運んでくれている「吉本ファン」以外にも笑ってもらえるように内容を工夫するなど、「新喜劇を古典にする気はない」などと、精力的に活動している[21][13][注 6]

新喜劇外の活動としては、2006年上方お笑い大賞の話題賞を受賞したほか[1]、2003年1月16日には同じく新喜劇を主戦場とするレイザーラモン出渕誠住谷正樹)とのユニット「ビッグポルノ」を結成[3][注 7]

小籔は、より多くの人にビッグポルノを見せたいという思いからサマーソニックなどの野外音楽フェスティバルに出演を希望したが、全て断られたため[23]、それなら隣でコヤソニやって潰したろか!とボケたのがきっかけとなり[14]、小籔の顔の広さもあってイベントが実現[24]。自らお笑いと音楽を融合させた野外イベントを企画し、最初は1回だけの予定だったが[14]、2008年から「コヤブソニック」として毎年規模を拡大させながら開催してきたが[25][26]、2014年にビッグポルノが解散することをうけ、同年で終了した。しかし、2017年に小籔が結成した5人組バンド「吉本新喜劇ィズ」を率いて3年ぶりに復活させた。

また、土肥ポン太と「おくにと申します。」というコンビを組み、2005年のM-1にも挑戦した[要出典]。翌2006年は「座長・社長」とコンビ名を改め出場した[要出典]。また、翌2007年は川畑と座長座長として出場し、準決勝進出(敗者復活は辞退した。)[27][28]。また、座長座長として『キングオブコント』にも出場し、2008年には準決勝進出[29]

2008年2月20日に、亡くなった小籔の母親への後悔の思いを歌った「プリン」を発売し、歌手デビューも果たした(後述)。

タレントとしても多くの番組に出演し、『人志松本のすべらない話』などにも出演しているが、これについてはあくまで新喜劇の広告塔として出演していると小籔は語っている[22]

人物

  • 身長188 cmの長身であるが、体重は63 kgと痩身[1]
  • 趣味はダーツ、ビリヤード、麻雀、将棋、写真、水泳[1]、読書、映画鑑賞、フォートナイトなどで、将棋については池乃めだかを顧問とする吉本新喜劇将棋部に所属している[30]
  • カメラについては、Nikon D700[31]、レンズはAF-S NIKKOR 35mm f/1.4G[32]を所有しており(いずれも2012年12月頃現在)、2013年2月14日放送の「雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク! カメラかじっている芸人」(テレビ朝日・朝日放送系)に出演したことがあり[33]、インタビューでは知らん内にはまっていた、それが故に長続きしている、と答えており、結婚前にベトナム旅行に行った時には1000枚ほども撮影してしまい、旅費より帰国後の現像費の方が高く付いたと言うほどである[14]
  • また子供時代にエレクトーン・習字・クラシックギター、高校生時代にテコンドーを習っている[注 8]
  • 現在は、コヤブソニックで役立てようとドラマーの山口美代子に師事している[34]、ドラムの練習を重ね実際にステージで披露しているほか、新喜劇の英語版DVDを作成し幼稚園などに配ろうと、新喜劇を知ってもらう為の窓口と社会貢献を兼ねて、多忙な中、英語を勉強している[14]。将来的には小説の執筆にも意欲を持つ[14]
  • 性格は内向的であるとのこと[8]。高校生時代はかなりモテていたといい[23]、また学生時代は合コンの場で女性を笑わせ、話芸を磨いていた[8]。妻とは高校卒業後偶然知り合ったが、彼女は小籔にとってこれまで出会った女性の中で三本の指に入るくらい「おもしろい」女性であった。その後、二人は交際を始め、約9年後「ビリジアン」解散直後に結婚に至っている[8]
  • 既婚。子供は一男一女(2013年時点)[3]
    • 結婚して子供が産まれた時はお笑い芸人としての自分より家庭を大切に考え、インタビューに対して『「俺のこと面白いと思わなくていいから、金だけくれ!」って思っていました。日本中の人が僕のことを嫌いになったとしても、嫁さんと子どもたちがご飯が食べられて、子どもたちが大学を卒業するまで育て上げられればいいと。』(2013-6-19のママプレスのインタビューより引用)[36]と答えており、自身の芸人としての「好感度」にも頓着せず、家族の健康が1割、後の9割は家族の為に頑張って働く、とも語っている[36]。また家には仕事を持ち帰らず、仕事で嫌なことが有った時でも近所のバーで酒と煙草で発散し、子供たちが寝てから帰宅するようにし、「怒りのオーラ」を家庭に持ち込まないようにしている[36]。また、自身がそうであったように、自身の子供たちにも多くの習い事をさせている[14]。妻とは20年以上一緒にいるが、一度も喧嘩した事がない(香港旅行の時に一度だけ、妻に怒られたことがある)[37]
  • 座長となった後は社会貢献や新喜劇の行く末、そして人と人との繋がりにも思いを馳せるようになる[23]。前述の吉本新喜劇英語版DVDの他に、「小籔でも読んでいるのだから、俺も読んでみよう」と言う若者が一人でも増えてくれたら、と言う思いから、読書は元々の趣味ながらも[38]、現在は政治の本を読み、それをテレビで語ると言ったことも行っている[14]。また、「大阪を元気にしたい」とも語っており(8割は本気、2割はボケとのことであるが)、すなわち大阪の子供は新喜劇を見て育つとし、小籔自身がスターとなり、友達を大事にしろ、親孝行をしろなどと子供にメッセージを送れば、子供はいい子に育つだろう、そしてそういったことを後輩が続けていけば、100年後には大阪はよりよい街となるだろうと語り、自身も実際に子供たちの目を気にしていると言う[39]
    • また、座長就任の際には周囲に「イエスマンにだけはなるな」と言い含められた[40]。現在では2ヵ月に1週、と言うペースで座長公演を行いつつ、「新喜劇への恩返し」を考えていると言う[11]。また同時に一時期はテレビの仕事を増やすことは新喜劇への恩返しと言う考えに反するかもしれないと悩んだこともあったが、企業が利益を生めば幸せになる人が増えると言うことで、小籔の中では落着したとのことである[11]
    • 座長という仕事は激務であるのだが、あの世で新喜劇の先輩達と再会した時に、「上から見てたけど、オマエが座長で新喜劇ようなったわ」と言われたく思い、仕事をこなしていると言う[11]。後述するように自分は芸人としては一度死んだ人間である、との思いから、「新喜劇のためならなんでもします!」と意気込みを語る[13]。新喜劇の将来については、座長として大事なのはベテランではなく若手と語っている。現在のベテラン勢はスター軍団であるが、いずれ彼らがいなくなった時に誰が新喜劇を見に来てくれるのか?と、後輩達に大きな期待をかけている。だが反面、池乃めだか桑原和男、特に島木譲二の代わりなどは出て来ないだろう、ともしている[41]
  • なお、「これからは小籔や!」と言ってくれた内場のほか、チャンスをくれた川畑泰史、およびプライベートでずっとアドバイスしてくれていた池乃めだかに感謝しているという[42]。また浅香あき恵にも「あんたはいつか座長になると思うからがんばりや」(『吉本新喜劇の凄い話』p.179より引用)と励まされており、座長となった時には妻やお客さんやスタッフなどにも思いを巡らし、オリンピック選手がメダルを取った時に「周りの皆さんのおかげです」と言う言葉は本当だったんだと考えを改め、小籔も「坊さんみたいなこと」ばかり言うようになったという[42]
  • 2013年5月には司会として出演していた「歌ネタ王決定戦 2013」で、小籔の新喜劇での後輩にあたるすっちー松浦真也が優勝したことに思わず落涙した。新喜劇にはなかなか自身よりおもしろい奴が出て来なかったが、後継者ができた。すっちーが座長になること決定でしょ、などと語った[43]。そして2014年6月11日、すっちーは5人目(当時)の新喜劇座長に就任し、お披露目公演を行っている[44]
  • 芸風としては、タレントとしては毒舌キャラクターであり[45]、タレントとしての「好感度」を全く気にしていないことを公言している。これは2013年にラジオ番組で語ったもので、大阪で立ち寄った理髪店の女性がそのきっかけである[46][7]。その女性は関西を中心に活動していたタレント・歌手でもあるやしきたかじんの芸風を「大嫌い」だと語ったのだが、たかじんを嫌うと同時に、嫌いながらもたかじんの番組を全部見ていたのだと言う[46][7]。それを聞いた小籔は、顔も悪く性格も曲がっている自分が顔も良く爽やかなタレントと好感度で勝負をしようとするのは愚策であり、例え視聴者に嫌われていようが番組さえ見続けてもらえれば、仕事を失うことはない、と考えた[46][7]。お笑い評論家のラリー遠田評するに、このエピソードをテレビタレントが全員視聴者に好かれている必要は無いと言う真理をたかじんから学んだ小籔は、嫌われるのも辞さない本音剥き出しのトークなどで、現在、東京でも大いに仕事を増やしていると言う[46]。なお毒舌である一方で、番組が「CMに入った瞬間、謝るスピードが一番早い」と今田耕司高橋茂雄サバンナ)に言われたことがあったという[7]
  • 小籔はまた、ビリジアンの解散時に「芸人として一度死んでいる」とし、「今、芸人をしている感覚がない」とも言っている[7]。芸人としての自我や欲望はその時捨て去り、現在はほとんど無いとのことである[13]
  • 2009年に語ったところによれば、先輩の前でスベる(ギャグが受けないなど)時や、スベることを想定してスベることは全然構わないが、全力で受けを狙いに行った時にスベるようになってしまったら、多分その時が引退を考える時であるとの旨を語っている[47]

その他

  • 父親、妹ともに顔がそっくりであるとのこと[45]。2011年7月から2012年にJリーグヴィッセル神戸に在籍していたペ・チョンソクはクラブのスタッフに爆笑されるほど小籔に風貌が似ており、神戸入団早々「コヤブ」「ザチョウ」という渾名がつけられた[48][49]
  • 「夢は叶う」という内容のある歌に対し「夢は叶わない。やりたくないことをやるのが社会や」と反論したことがある[7]
  • かつて『なるトモ!』でテレビ慣れしない小籔のトークをうまく包んでくれたとして、陣内智則を恩人としている[50]
  • 芸人などは異常者の集まりであり、世間の常識などを当てはめるべきではなく、浮気などはそんなに悪いことではない、言ったスタンスである。自身も妻帯者で子供もいるにもかかわらず、キャバクラコンパに行くこともあると言う[50]
  • 子供の頃は「は1日2リットル飲め」と言われ、玄米を食べ、毎日青汁を飲まされていた[51]が食べられないが、一方でピザが大好物で、自分なりのルールがあり、ピザ屋ではピザ窯に一礼するなどマナーにはうるさい一面がある[52]
  • 石田靖に珍しくキャバクラに誘われた時、石田が非常に高価なピンクのドンペリと言う酒を注文した。「セックスもできないような女に・・・」と遠慮する小籔に、石田は「お前が座長になったからや」と気前よく奢ってくれたという。小籔は自身が女であったなら、抱かれてもいいなと思ったとのことである[53]
  • 小籔の母親は、小籔が座長に就任する前に死去している。小籔は、あまり母親に愛されているとは思っていなかったが、モルヒネで意識が朦朧とする中で小籔たちが子供だった時の想い出を語る母親を見て考えを改めた。母親は亡くなる4時間程度前に、「プリンが食べたい」と言いだしたので、小籔は大急ぎで(関西では)有名人であることを生かして閉店準備中のデパートで「プリン」を購入し、病院へ戻ったが、その時には母親はもう「プリン」を食べられる状況になかった。小籔は母親がプリンが大好きだと言うことを知っていたのに、それまで一回も買ってこなかったことを、後悔した。それ以来、小籔は後輩芸人に「親は明日死ぬかもしれへん」と、小さなことでもいいから親孝行をするように勧めているという。またラジオの企画で一連の話を歌にしてみたらどうかと言う企画があり、最初は恥ずかしいからと断っていた小籔であったが、「訴えたいことがあるんでしょう?」と説得され、自らの味わった後悔の念を想い、自身のように後悔しないようにとの想いを多くの人に伝えたいと、「プリン」の作詞を行い、CDが発売された。その後は小学校などで講演を行い、家族の大切を訴えているという。また小藪自身も、周囲の大切な人間には、相手が明日死ぬかもしれないとのつもりで、後悔の無いように接していると語る。この話は2013年7月4日、テレビ番組「徹子の部屋」でも語られ、黒柳徹子の涙を誘った[54]。なお、「プリン」のCDや売り上げなどについては#CDを参照。
  • 行列のできる法律相談所にて、浜辺美波のファンであることを公言している。

ギャグとキャラクター

殺人、強盗、強姦…(以下凶悪犯罪が続く)以外はやってきとんねや!
と言った後に、「じゃあ、他に何も残ってへんやん!」とツッコまれる。その後小籔が「水道の水出しっ放しとかがあるやろ」「つまみ食い」などとかぶせる[55]
ギャグの誕生のきっかけは、吉田ヒロのイベント時。小籔は川畑泰史らと3人のヤクザのトリオを組んでいたが、開始5分前に川畑が、ツッコむから何かネタを言ってくれと打診してきた。そこで小籔が急遽このネタとツッコミを考え、後は適当に被せますとした。開始後小籔の出番まで1時間ほどの時間があったので、その間に悪いことをリストアップし、なんとかギャグを仕上げた。小籔自身は大してウケるものではないと思っていた上に、客もまだ小籔を知らないような状態であったが、反応はなかなかよいものであったという[55]
シスター小籔
シスターの格好で登場し、突然倒れてお店に転がりこむ、元シスター、ヨハネ小籔。単に騒動を起こすだけでなく、の名を借りてやりたい放題を行ったりもする[56]
小籔千豊子
シスター小藪を含め女方で出てくる場合に名乗る。千豊子が出てくる場合シスター小藪の他に演出家の先生や女優役で出てくることがある
オタク小籔[57]
すっちーとのコンビの場合が多い。メガネにチェックのシャツ、腰まである過剰な長髪(すっちーは腰どころか股下まで届く長さ。)と、宅八郎を過剰にデフォルメしたキャラクター。アイドルオタクという設定で、奇妙な楽曲(既存の曲の替え歌。作詞は小藪が担当している。)を歌うアイドルのファンである場合が多い。
ホームステイに来る3人組
座員であるいちじまだいき清水啓之と共にホームステイにやってくる[58]。いちじまが芸人引退後は祐代朗功に変わっている。

その他怒られている最中に「すみませんでした」と謝るや否や顔をあげるなり「さ、ということで」と話題を変えようとして川畑や清水けんじなどから「仕切るな」と突っ込まれる。

ダチョウのものまね
細身の長身を活かしたものまね。コンビ時代から新喜劇初期頃までは時折使用していた。その後はほぼ見られなくなり、本人も番組などでは「僕、(持ちネタに)ものまねないですもん」と話すほどである。

小籔軍団

メンバー

いわゆる芸能人ファミリー

など[59]。 なお上記のメンバーは2009年の文献によるものであるが、2013年にはお笑いコンビ女と男の市川が小籔軍団の世話になっていたことや、また今別府が既に別の軍団の長となっていることも語っている[60]

受賞歴

  • 「NHK上方漫才コンテスト」第28回 (1997) 優秀賞(ビリジアンとして)[1]
  • 「上方お笑い大賞」第35回 (2006) 話題賞[1]
  • 「BGO上方笑演芸大賞」第2回 (2006) 脚本賞[1]
  • 咲くやこの花賞」(2014) 大衆芸能部門[61]

舞台出演

なんばグランド花月等に不定期出演中。うめだ花月では、小籔や五十嵐サキ出渕誠住谷正樹なかやまきんに君などのメンバーが連夜実力派若手芸人とコントや新喜劇を繰り広げていた。また、最近ではルミネtheよしもとにて、新喜劇のほかレイザーラモンと一緒にスペシャルコントに出演することもしばしばある。

出演

テレビ

現在の出演番組

過去の出演番組

出演番組

ドラマ

日曜笑劇場(朝日放送)

ラジオ

現在

  • 小籔・笑い飯の土020(MBSラジオ、2018年4月 - )

過去

映画

山田洋次監督の作品に多数出演している。

インターネット番組

広告

PV

CD

  • プリン(アーティスト名は「こやぶかずとよ」、2008年2月20日発売)[115]
  • プリン(2008年4月23日、日本コロムビアより全国発売)
    インディーズで4000枚のヒットとなり[116]、オリコンのインディーズチャートでも6位にランクイン[117]。2008年4月にメジャーリリース[118]がなされると、オリコン最高位95位[119]を記録した。
    作詞はこやぶかずとよ、作曲はシンガーソングライターう〜み(2014年現在高知県在住、2002年頃から四国での活動実績がある)[120]

シモネタヒップホップユニット『ビッグポルノ』の作品は、当該項目を参照。

DVD

出版物

脚注

注釈

  1. ^ 小籔の『やぶ』は藪や薮ではなく、正しくはである。
  2. ^ すなわち小籔によればコンビ解散当時、芸能界の引退以外に新喜劇、ピンで東京、ピンで大阪、新しくコンビを組んで大阪、コンビで東京、映画俳優、と言う6つの選択肢があった。
  3. ^ 小籔によれば、新喜劇はお笑い界の中で恐らく一番「チャンス」が無いところで、台本や芝居の進行通りに動くしか無く、若手が自己主張を行うことが難しい環境だった[10]
  4. ^ 小籔はそのお陰で今の僕があると思っている、としている[16]
  5. ^ それ以前のプロフィールでは身長は185 cmとなっていた[20]
  6. ^ 小籔は5年ほど前から所属する吉本に公演を打診していた。2014年現在、小籔が東京のテレビ番組にも出演するようになったことから吉本からOKが出た。小籔は、自身が東京に移籍した時点で目標の半分は達成されたとしている[22]
  7. ^ 当時は新喜劇であまり人気が出ず、同じ時期に新喜劇に在籍し同じ境遇にいたレイザーラモンと意気投合し、結成されたものである[14]
  8. ^ 漫画『拳児』に影響され中国拳法を習いたかったのだが、道場の館長に騙された、と語っている[14]
  9. ^ 主題歌を担当した斉藤和義とは「コヤブソニック」をきっかけに知り合った[23]

出典

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  3. ^ a b c d e f g h i j 中西正男、小薮千豊 (2013年7月14日). “<私の恩人>小籔千豊 一晩中説得された…今があるのはあの後輩2人のおかげ”. THE PAGE. 2014年5月18日閲覧。
  4. ^ ビッグポルノ | YOSHIMOTO R and C CO.,LTD./よしもとアール・アンド・シー”. よしもとアール・アンド・シー. 2014年4月22日閲覧。
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  8. ^ a b c d e f g h i j 今、もっとも“すべらない男”吉本新喜劇最年少座長・小藪千豊「高校時代は週3で合コン。女のコ相手に自分のしゃべりを試す場でした」”. 週プレNEWS (2012年2月22日). 2014年5月19日閲覧。
  9. ^ 内場ら 2009, p. 87.
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参考文献

外部リンク