小笠原忠貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。119.240.150.70 (会話) による 2013年10月14日 (月) 07:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

小笠原 忠貞(おがさわら たださだ、宝永3年(1706年) - 元文6年1月18日1741年3月5日))は、豊前国小倉藩の世嗣。3代藩主・小笠原忠基の長男。母は浅野綱長の娘。正室は蜂須賀綱矩の娘。子は永姫(小笠原長恭正室)。官位は織部正、遠江守。

豊前小倉藩嫡子として生まれ、享保4年(1719年徳川吉宗に拝謁する。享保10年(1725年)叙任するが、家督を継ぐことなく元文6年(1741年)に36歳で早世した。代わって、弟の忠総が嫡子となった。