小田急向ヶ丘遊園モノレール線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
向ヶ丘遊園モノレール線
向ヶ丘遊園モノレール線の車両
500形電車(1990年頃)
概要
種別 跨座式モノレールロッキード式
現況 廃止
起終点 起点:向ヶ丘遊園駅
終点:向ヶ丘遊園正門駅
駅数 2駅
運営
開業 1966年(昭和41年)4月23日
休止 2000年(平成12年)2月13日
廃止 2001年(平成13年)2月1日
所有者 小田急電鉄
運営者 小田急電鉄
使用車両 500形
路線諸元
路線総延長 1.1 km (0.68 mi)
電化 直流600 V
テンプレートを表示

向ヶ丘遊園モノレール線(むこうがおかゆうえんモノレールせん)は、神奈川県川崎市多摩区向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園正門駅までを結んでいた、小田急電鉄モノレール路線。

なお、本項では前身の同じく向ヶ丘遊園の入園客輸送に使用され、豆汽車豆電車と呼ばれた稲田登戸(→向ヶ丘遊園) - 向ヶ丘遊園(正門)間の鉄道線についても記述する。

概要[編集]

向ヶ丘遊園正門駅付近を除く全線が東京都道・神奈川県道9号川崎府中線(府中街道)など道路および遊歩道と並行していた。

運賃は小田急の他路線とは別体系であり、廃止時の運賃が片道100円、往復160円と、並行路線バスの片道200円より安く、向ヶ丘遊園への入園者だけでなく付近住民の利用もあった。また、向ヶ丘遊園の休園日である水曜日にも午後から運行していたが、1999年7月に行われた最後のダイヤ改正からは休園日を終日運休する措置がとられていた。

路線データ[編集]

運行形態[編集]

向ヶ丘遊園来園者のための交通機関であったため、始発は9時、最終は18時頃であった。1編成が終日往復するのみであり、運転間隔は10 - 15分であったが多客時は8分間隔程度で運行されていた。また車庫は正門駅側にあり、向ヶ丘遊園駅での車両の夜間滞泊は行われていなかった。

歴史[編集]

1927年昭和2年)4月1日、神奈川県橘樹郡向丘村の高台に向ヶ丘遊園が開園した。この遊園地は最寄り駅の稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)から南に1km以上も離れていたため、入園客の輸送手段として同年6月14日に稲田登戸 - 向ヶ丘遊園(当時の正式駅名かどうかは不明)間に鉄道路線を開通させた。非電化単線路線を走るガソリン機関車や小型客車群は豆汽車(まめきしゃ)と呼ばれて親しまれた。その後戦時中に撤去されるが、1950年(昭和25年)3月25日に復活開業し、この時に製造された小型蓄電池機関車や小型客車群は戦前の豆汽車に代わって電車(まめでんしゃ)と呼ばれるようになった。

この豆電車は、周辺道路の拡張工事のために1965年(昭和40年)秋に廃止され、代替路線としてモノレールが建設されることになり、翌1966年(昭和41年)4月23日向ヶ丘遊園モノレールとして向ヶ丘遊園 - 向ヶ丘遊園正門間が開業した。この路線は日本ロッキード・モノレールが主導したロッキード式モノレールを世界で初めて採用した路線である。なお、この方式を採用したのは日本のみであり、導入も当路線と姫路市営モノレール1974年休止・1979年廃止)の2路線のみであった。

車両は、日本ロッキード・モノレールに出資している川崎航空機工業(現・川崎重工業)が同社の岐阜工場敷地内における実験用に試作した車両を購入し、500形となった。

このモノレールは好評で、多くの利用客に恵まれた。向ヶ丘遊園でウルトラマンショーが開催されると車両前後端を覆う巨大なウルトラマンのマスクを取り付けるなどして話題となったが、その後レジャーの多様化などによって斜陽の時代を迎え、乗客は減少していった。

1970年の日本ロッキード・モノレール社の解散後も自社で部品を製作するなどして保守整備を続けていたものの、2000年平成12年)2月13日から行われていた定期点検の際に、台車に老朽化による致命的な亀裂が生じていることが判明し、5月12日までとしていた休止期間も無期限に延期された[2]。その後、ロッキード式という希少性から安全性確保のための大規模改修工事が技術的に可能であるかが未知数であり可能であっても莫大な費用がかかり、また向ヶ丘遊園の入園客も減少に伴い輸送量も減少していたことから運行再開を断念し、2001年(平成13年)2月1日に正式に廃止され、ロッキード式モノレールは姿を消した。代替輸送は既存の路線バスが担うものとされ、廃止に伴う路線新設等は特に実施されなかった。さよなら運転は行われなかったものの、翌3月に向ヶ丘遊園正門駅でモノレール車両の「さよなら展示会」が行われ、豆汽車からの74年の歴史に幕を閉じた。

そして、入園客が減少し続けた向ヶ丘遊園も翌2002年(平成14年)3月末日をもって閉園し、75年の歴史に幕を閉じた。

モノレール向ヶ丘遊園駅跡
跡地は自転車置き場になっている
(2007年6月9日撮影)
モノレール橋脚モニュメント
(2007年5月13日撮影)
モノレール線跡に設置された
「ばら苑アクセスロード」の看板
(モノレールに関する記述あり)
(2007年5月13日)

豆汽車・豆電車[編集]

  • 1927年昭和2年)6月14日 - 豆汽車 稲田登戸(現・向ヶ丘遊園) - 向ヶ丘遊園地間開業。
  • 1940年代 - 戦局悪化により稲田登戸 - 向ヶ丘遊園地間運転休止。
  • 1950年(昭和25年)3月25日- 豆電車 稲田登戸 - 遊園地入口間運転再開。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 稲田登戸駅を向ヶ丘遊園駅に改称(以下元の向ヶ丘遊園駅は向ヶ丘遊園正門駅と記述する)。
  • 1965年(昭和40年)秋 - 周辺道路拡張工事により向ヶ丘遊園 - 向ヶ丘遊園正門間廃止[3]

ロッキード式モノレール[編集]

駅一覧[編集]

向ヶ丘遊園駅 - 向ヶ丘遊園正門駅

接続路線[編集]

輸送・収支実績[編集]

年度 旅客輸送人員(千人) 鉄道業営業収入(千円) 鉄道業営業費(千円)
1966 476
1970 671
1979 694 48,658 59,712
1980
1981
1982 756
1983
1984 733
1985 700
1986 802
1987 710
1988 666
1989 697 47,392 125,255
1990 755 51,429 106,277
1991 692 47,566 108,280
1992 670 46,455 102,711
1993 547 38,155 111,376
1994 551 37,040 116,171
1995 486 33,976 109,857
1996 442 30,897 140,057
1997 400 27,665 115,888
1998 363 24,773 116,093
1999 323 22,417 139,081
  • 私鉄統計年報1966.1970年、民鉄主要統計『年鑑世界の鉄道』1983年『年鑑日本の鉄道』1985年、1987年-2002年

廃止後[編集]

廃線跡[編集]

廃止後、モノレールの駅や支柱などはそのまま放置されていたが、2002年(平成14年)から2004年(平成16年)にかけて段階的に撤去された。

廃線跡のうち二ヶ領用水に沿う区間は「五ヶ村堀緑地」や「ばら苑アクセスロード」などの遊歩道として整備され、設置されている案内板には当路線に関する記述も掲載されている。また、橋脚が設置されていた地点には小田急による金属製プレートが地表に設置されている。モノレールが府中街道を跨いでいた本村橋交差点付近には、当時の橋脚を模した小型のモニュメントが設けられている。

向ヶ丘遊園駅跡地は自転車駐輪場に転用され、向ヶ丘遊園正門駅跡地は整地された後、2011年(平成23年)に藤子・F・不二雄ミュージアムが付近に開館した。

車両[編集]

豆電車時代の蓄電池機関車は、鉄道線廃止後の1967年(昭和42年)に向ヶ丘遊園の遊戯施設「フラワートレイン」に転用され、1982年(昭和57年)の運行終了後に同遊園地内の倉庫に静態保存された。その後2002年4月1日に同遊園地が閉園された後は鉄道保存団体「けいてつ協會」に引き取られて静態保存されているが、動態保存化の計画もある。

モノレールの車両だった500形は、さよなら展示会終了後に解体され現存しない。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 「日本のモノレールめぐり」『鉄道ピクトリアル』第38巻第12号、電気車研究会、1988年12月号、26頁。 
  2. ^ a b 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 30号 モノレール・新交通システム・鋼索鉄道、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年10月16日、15頁。 
  3. ^ 日本観光雑学研究倶楽部『セピア色の遊園地』創成社、2005年、28頁
  4. ^ “小田急 モノレール廃止届提出”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2000年12月5日) 
  5. ^ 向ヶ丘遊園モノレール線の廃止について”. 小田急電鉄. 2001年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
  6. ^ 向ヶ丘遊園モノレール線の廃止予定日繰り上げについて”. 小田急電鉄. 2001年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
  7. ^ “小田急 モノレール線廃止日 来月1日に繰り上げ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2001年1月22日) 
  8. ^ “向ヶ丘遊園モノレール 小田急がさよなら見学会”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2001年3月5日) 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]