小熊秀雄

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小熊秀雄
小熊秀雄(旭川新聞社時代)
ペンネーム 旭太郎(漫画原作者)、小熊愁吉、黒珊瑚
誕生 1901年9月9日
大日本帝国の旗 大日本帝国北海道小樽市
死没 (1940-11-20) 1940年11月20日(39歳没)
大日本帝国の旗 大日本帝国東京都東京市豊島区
墓地 多磨霊園
職業 詩人小説家漫画原作者画家
国籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
最終学歴 泊居高等小学校
原作を担当した漫画『火星探険』(大城のぼる作画)は、日本のSF漫画の先駆的傑作とされる
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常磐公園旭川市)に建立された詩碑

小熊 秀雄(おぐま ひでお、1901年9月9日 - 1940年11月20日)は、日本の詩人小説家漫画原作者画家である。筆名に、小熊 愁吉(おぐま しゅうきち)、黒珊瑚(くろさんご)、旭 太郎(あさひ たろう)などがある。

生涯

1901年明治34年)9月9日北海道小樽市稲穂町に生まれる。幼少期を稚内市秋田樺太で過ごし、泊居高等小学校を卒業。養鶏場の番人など様々な雑務作業に従事した後、1922年より旭川新聞社で新聞記者となる。この頃から詩作を始め、1928年、27歳で上京後は雑誌社や業界新聞で働きながら、雑誌『民謡詩人』などに作品を発表。1935年に「小熊秀雄詩集」長編叙事詩集『飛ぶ橇』で詩人としての地位を確立、自由や理想を奔放に歌い上げる作風で、詩壇に新風を吹き込んだ。詩作にとどまらず、童話評論絵画など幅広い分野で活躍した。

小熊の最初の詩集「小熊秀雄詩集」の装幀をおこなった寺田政明池袋モンパルナスの画家たちと交流し、みずからも絵筆を執った。なお「池袋モンパルナスに夜が来た」という文で始まる詩を発表。「池袋モンパルナス」の名づけ親も小熊といわれている。

また晩年は、漫画出版社・中村書店の編集顧問となる。旭太郎名義で原作を担当した漫画『火星探険』(1940年)はSF漫画の先駆的傑作とされ[1][2]手塚治虫小松左京筒井康隆松本零士らに大きな影響を与えた[1][2]

1940年昭和15年)11月20日東京市豊島区千早町30番地(現在の東京都豊島区千早)東荘で、肺結核により死去した。満39歳没。戒名は徹禅秀学信士[3]

作品

  • 小熊秀雄詩集
  • 飛ぶ橇
  • 長長秋夜
  • 流民詩集

童話

  • 或る手品師の話
  • 焼かれた魚

漫画原作(旭太郎名義)

  • 火星探険(大城のぼる作画)
  • 不思議な国 インドの旅(渡辺加三作画)
  • コドモ新聞社(渡辺太刀雄作画)
  • 火打箱・しっかり者の錫の兵隊―アンデルゼン漫画物語(渡辺加三作画)
  • コドモ海洋丸(渡辺加三作画)
    • 『火星探険』以外は『小熊秀雄漫画傑作集』全4巻として復刻。

評論

関連項目

脚注

  1. ^ a b 長谷邦夫『ニッポン漫画家名鑑―漫画家500人のデータブック』データハウス、1994年、75頁 - 76頁
  2. ^ a b 長谷邦夫『ニッポン名作漫画名鑑』データハウス、1995年、341頁 - 342頁
  3. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)70頁

外部リンク