小島朋之

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小島 朋之
生誕 (1943-09-09) 1943年9月9日
日本の旗 日本広島県広島市南区
死没 (2008-03-04) 2008年3月4日(64歳没)
日本の旗 日本東京都新宿区
研究分野 政治学
研究機関 慶應義塾大学
出身校 慶應義塾大学学士修士博士
博士課程
指導教員
石川忠雄
プロジェクト:人物伝
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小島 朋之(こじま ともゆき、1943年9月9日 - 2008年3月4日)は、日本政治学者。専門は、中国政治。

経歴・人物

学歴

職歴

長く現代中国に関する時事分析を行なったことで知られ、日中歴史共同研究の日本側委員にも就任。

2002年の李登輝訪日中止への関与

2002年、慶應義塾大学の学術系サークルである経済新人会が、三田祭において李登輝・前台湾総統の講演会を企画した。櫻井よしこによると、小島は『産経新聞』(2002年10月2日)が講演予定を報じた2日後の2002年10月4日、李に訪日の再考を促すメールを送付した[1]

金美齢は、「小島教授は、事前の連絡が皆無、準備期間もなく困惑、自分と国分(良成)教授の面子が失われると書いて、せっかくの、学生たちによる李前総統への招待を退けようとしたのです」と述べ、小島の行動を非難した[1]。これに対し小島は、「通知のなかったことは、従前の李前総統と私の交流の実績からみて遺憾で、私の面子は失われた」「時間的に今回は準備が困難」「ゆえに訪日は再考してほしい」「将来のことなら時間をかけて準備、歓迎したい」の4点を李側に伝えたとし、金がメールの内容を公表したことを非難した[1]

李登輝の代理人によれば、小島・国分側から、李を説得するため2人で訪台する旨が伝えられたが、李は「後ろ向きの説得なら会わない」として、面会を断った[1]

講演会は、李が日本の外務省からビザの発給を拒否された[1]ことで訪日できなかったため、実現しなかった。

著書

単著

  • 『中国政治と大衆路線――大衆運動と毛沢東、中央および地方の政治動態』(慶應通信, 1985年)
  • 『中国の政治社会』(芦書房、1986年)
  • 『変わりゆく中国の政治社会――転換期の矛盾と摩擦』(芦書房, 1988年)
  • 『生きた中国学――最近中国事情』(学陽書房, 1988年)
  • 『さまよえる中国――「鄧以後」90年代のシナリオ』(時事通信社, 1989年)
  • 『模索する中国――改革と開放の軌跡』(岩波書店岩波新書], 1989年)
  • 『岐路に立つ中国――どうなる鄧小平以後』(芦書房, 1990年)
  • 『中国共産党の選択――五つのシナリオ』(中央公論社[中公新書], 1991年)
  • 『中国が香港になる日――統一か分裂か』(時事通信社, 1992年)
  • 『脱社会主義への中国』(芦書房, 1992年)
  • 『構造転換の中国』(芦書房, 1994年)
  • 『鄧小平のいない中国』(日本経済新聞社, 1995年)
  • 『新世紀の中国』(芦書房, 1996年)
  • 『中国のゆくえ――この国が世界を決める』(時事通信社, 1997年)
  • 『中国現代史――建国50年、検証と展望』(中央公論新社[中公新書], 1999年)
  • 『現代中国の政治――その理論と実践』(慶應義塾大学出版会, 1999年)
  • 『富強大国の中国――江沢民から胡錦濤へ』(芦書房, 2003年)
  • 『中国の政治社会――富強大国への模索』(芦書房, 2005年)
  • 『崛起する中国――日本はどう中国と向き合うのか?』(芦書房, 2005年)
  • 『和諧をめざす中国』(芦書房, 2008年)

共著

編著

  • 『21世紀に向かうアジアと日本』(芦書房, 1993年)
  • 『アジア時代の日中関係――過去と未来』(サイマル出版会, 1995年)
  • 『中国の環境問題――研究と実践の日中関係』(慶應義塾大学出版会, 2000年)
  • 『21世紀の中国と東亜』(一藝社, 2003年)

共編著

訳書

  • J・R・タウンゼント『現代中国――政治体系の比較分析』(慶應通信, 1980年)

脚注

  1. ^ a b c d e 櫻井よしこ (2002年12月9日). “慶應は福澤翁の精神を忘れ政治の思惑に屈服したか”. 『週刊ダイヤモンド』(2002年12月14日号). 2011年12月13日閲覧。