寺田桜子

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寺田桜子(てらだ さくらこ、1984年5月17日 - )は、北海道空知郡南富良野町出身の日本の女性カーリング元選手で、社団法人日本カーリング協会(JCA)の強化指定選手だった。北海道旭川北高等学校青森公立大学卒業。身長162cm、体重57kg。血液型B型。右利き。趣味はバレーボール、サイクリング、水泳、ショッピング、料理、ドライブ、ダンス。 2006年トリノ冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表。現在、札幌カーリング協会事務局次長。

来歴

  • 小学校4年生の時に釧路市から南富良野町に移住。
  • 転校先の同級生、目黒萌絵に誘われてカーリングを始める。
  • スキップである目黒と、その姉2人の目黒3姉妹が中心となるチーム「空知こざくら」にて練習を重ねる。
2000年
2001年
2002年
  • 2月2002年第19回日本カーリング選手権に出場。ソルトレイクシティ冬季オリンピック日本代表チーム「シムソンズ」と予選リーグ(総当たり戦)で対戦し勝利。「シムソンズ」に予選リーグで唯一の黒星を与える。(その後3位決定戦で再度対戦したがその試合では敗れており、最終順位は4位)。
  • 高校卒業後の進路を決める時期に、青森市で2006年トリノ冬季オリンピック出場を目指し臨時職員として働いていた元「シムソンズ」の小野寺歩(現姓:小笠原)から誘いを受け、青森県内の大学への進学を決断。
2003年
  • 青森公立大学を受験、合格する。
  • 4月、小野寺と、その同僚であり元「シムソンズ 」の林弓枝、寺田と同じく小野寺からの誘いを受けて弘前大学に入学した目黒萌絵を加えた4名で「フォルティウス」(後の「チーム青森」)を結成[1]
2004年
2005年
  • 2月、第22回日本カーリング選手権出場。最終順位は2位。
  • 第22回日本カーリング選手権における「チーム長野」との対戦成績(予選および決勝トーナメントとも敗戦)を鑑みた日本カーリング協会の協議により、「チーム青森」と「チーム長野」による代表選考試合の開催が決定[3]。 トリノ五輪日本代表の内定が事実上取り消される。
  • 3月、第27回世界女子カーリング選手権出場。最終順位は9位。(2003~05年までの同選手権における国別ポイントの累積により)トリノ冬季オリンピックカーリング競技における日本女子チームの出場権を獲得する。
  • 11月23日オリンピック冬季競技大会日本代表(女子)選考会に出場。選考試合は2試合行なわれ、国際試合などでの実績に勝る「チーム青森」は「1勝」、それに対し「チーム長野」は「2勝」をあげることが代表権獲得の条件としてそれぞれ課せられていたが、「チーム青森」が1戦目で勝利。トリノオリンピック代表に決定した。
2006年
2007年
  • 1月、2007年冬季ユニバーシアード(トリノ)に出場。最終順位は3位。日本選手団の旗手を務めた。
  • 9月、体調不良を理由として、同年11月末まで休養に入る意向を発表[6]
  • 12月、チーム青森を離脱し、競技の一線を離れることを表明[7]

主な成績

空知こざくら

2000年
  • 第8回日本カーリングジュニア選手権:優勝
  • 第13回世界ジュニアカーリング選手権:5位
2001年
  • 第9回日本カーリングジュニア選手権:優勝
  • 第14回世界ジュニアカーリング選手権:4位
2002年

フォルティウス~チーム目黒~青森県協会~チーム青森

2003年
2004年
  • 第14回パシフィックカーリング選手権:優勝
2005年
  • 軽井沢国際カーリング競技大会2005:優勝
  • 第22回日本カーリング選手権:2位(青森県協会)
  • 第27回世界カーリング選手権大会(女子):9位
2006年
2007年


その他

  • ジュニア時代に所属していたチーム「空知こざくら」のチーム名は、北海道空知地方の川辺の岸壁に咲く小花「ソラチコザクラ」に由来する。
  • 中学卒業後、 北海道旭川北高等学校に進学していたが、週末になると自動車で3時間かかる距離を南富良野まで戻り練習していた。

脚注

関連項目

外部リンク