富嶽三十六景

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神奈川沖浪裏

冨嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)は、葛飾北斎の作成した代表的な風景画浮世絵である。富嶽三十六景[1][2][3][4]富岳三十六景とも。

概要

「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いている。

初版は1823年(文政6年)頃より作成が始まり、1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている[5]。版元は永寿堂西村屋与八。

発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品である。遠近法が活用されている事、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。

浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したと言える[6]

「凱風快晴」や「山下白雨」のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏[7]」や「甲州伊沢暁」のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写している。

日本のみならず、ゴッホドビュッシーなど、世界の芸術家にも大きな影響を与えた。

当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になった。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ぶ。

2010年10月31日、葛飾北斎の生誕250年を記念して、Google日本版のホームページのロゴが「神奈川沖浪裏」バージョンとなった(画像)。

作品一覧

以下に掲載された作品の内、代表的な作品として知られるものには、赤富士を描いた「凱風快晴」、巨大な波と舟の中に富士を描いた「神奈川沖浪裏」などがある。

脚注

  1. ^ 『中学社会 歴史』(中学校社会科用教科書。平成8年2月29日文部省検定済。教科書番号:17教出・歴史762)p 149には、「葛飾北斎の風景画(「富嶽三十六景」)」と記載されている。
  2. ^ 『新しい社会 歴史』(中学校社会科用教科書。平成13年3月30日文部科学省検定済。教科書番号:2東書 歴史702)p 107には、「葛飾北斎の風景画(富嶽三十六景より「凱風快晴」)」と記載されている。
  3. ^ 『詳解日本史B 改訂版』(高等学校地理歴史科用教科書。平成10年3月31日文部省検定済。教科書番号:15三省堂 日B 625)p 194には、「葛飾北斎 『富嶽三十六景ー尾州不二見原』」と記載されている。
  4. ^ 『総合日本史図表』(高等学校日本史資料集。第一学習社。2000年1月10日 改訂11版発行)p 146には、「富嶽三十六景凱風快晴(葛飾北斎筆)」と記載されている。
  5. ^ 2007、山梨県立博物館
  6. ^ 2007、大久保純一
  7. ^ 「神奈川沖波裏」とも。『日本史B 新訂版』(高等学校地理歴史科用教科書。平成9年3月31日文部科学省検定済。教科書番号:7実教 日B 582)p 215には、「『冨嶽三十六景』神奈川沖波裏の場面」と記載されている。

参考文献

  • 山梨県立博物館『北斎と広重 ふたりの冨嶽三十六景』2007年10月13日。 
  • 大久保純一 (2007-10-13). 山梨県立博物館. ed. “北斎の「冨嶽」と広重の「富士」”. 北斎と広重 ふたりの冨嶽三十六景: 154. 

関連文献

  • 『葛飾北斎「冨嶽三十六景」の旅 天才絵師が見た風景を歩く』 平凡社(別冊太陽 太陽の地図帖5)、安村敏信監修、2010年8月 - 全46作品の地点を、地図と写真、解説で紹介。

関連項目

外部リンク

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