ミマン

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ミマンチベット文字མིག་མངསワイリー方式mig mangs、漢字表記:密芒)、または藏棋(ツァンチー)は、チベットやその周辺で20世紀頃まで行われていた囲碁の一つ。チベット碁とも呼ぶ。基本的なルールは日本や中国と同じだが、碁盤は17路盤を用い、対局開始時に黒白6子ずつの石を碁盤の決まった位置においてから始める。

碁盤[編集]

碁盤は17路で、天元及び辺に12個の、計13個の星がある。星には二重丸と花弁型が交互に描かれており、天元には大きい花弁型が描かれている。材質は布製が多いが、花崗岩製の出土品もある(#歴史的意義参照)。

ミマンの碁盤イメージ

対局方法[編集]

図1 ミマンの事前置石

図2 ミマンの死活の例

ルールは、事前置石制の一種で、開始時にあらかじめ図1のように黒白6子ずつを置いて対局を始め、白が先番となる。

ルールは中国ルールだが、相手が取った石の跡にすぐに打つことはできず、別の場所に打った後でなら打つことができる。このため、ナカデによって相手の石を殺すなどの方法が異なってくる。例えば図2では、白1の直後に黒が△に打てないため、黒が別の手を打った直後に白が△に打てば白生きとなる。黒は別のところに石を打って得を図り、それに白が受ければ、黒が改めて△と打って白死にとすることができる(コウダテに類似)。

対局は1局目はコミ無しで打たれ、勝った方が2局目では勝った分だけコミを出す。また片側が平らな碁石を使った場合、平らな側を下にして石を置いた時が着手決定となり、逆においた場合は考慮中を示し、別の場所に打つことができる。

歴史的意義[編集]

1999年にチベットのメルド・グンカル県加瑪鄉村にあるチャンバミーチュウリン(強巴米久林)宮殿遺跡から、花崗岩でできた17路の碁盤が発掘された。これの年代は定まっていないが、1300年前の吐蕃時代のものか、3000年前のものという説もある。

中国における初期の囲碁は17路盤であったと記録や出土品から推定されており、チベット碁は古い囲碁の形が残されたものと考えられる。

現代における対局[編集]

1959年シッキム王国ソンダップ・ナムギャル皇太子が訪日した際に、日本棋院中央会館を訪れ、伊予本桃市六段(当時)と、持参した17路の布製碁盤でチベットルールによる対局を行った。この時皇太子は、親戚であるチベットのダライ・ラマから囲碁を教えられたとも語っている。

雲南省デチェン・チベット族自治州では、ミマンの歴史研究が始まり、2005年に「第1回シャングリラ高山植物園チベット盤上ゲーム体育文化祭」が行われ、江鋳久九段、芮廼偉九段夫妻、中国の岳亮四段、韓国の権考珍四段夫妻によるミマン対局が行われた(江-岳戦、権-芮戦)。

参考文献[編集]

  • 安永一『囲碁百年』時事通信社 1970年
  • 中野謙二『囲碁中国四千年の知恵』創土社 2002年
  • 大島正雄「チベットの17路盤」(『碁ワールド』2005年8月号)、「悠久の異碁ルール チベットの碁」(同9月号)