宝山寺

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宝山寺

本堂と境内
所在地 奈良県生駒市門前町1番1号
位置 北緯34度41分4.8秒 東経135度41分11.6秒 / 北緯34.684667度 東経135.686556度 / 34.684667; 135.686556座標: 北緯34度41分4.8秒 東経135度41分11.6秒 / 北緯34.684667度 東経135.686556度 / 34.684667; 135.686556
山号 生駒山(いこまさん)
宗派 真言律宗
寺格 大本山
本尊 不動明王
創建年 延宝6年(1678年
開基 湛海
別称 生駒聖天、生駒の聖天さん、生駒さん
札所等 仏塔古寺十八尊 第15番
真言宗十八本山13番
大和十三仏霊場1番
近畿三十六不動尊29番
西国愛染十七霊場14番
役行者霊蹟札所
神仏霊場巡拝の道 第29番
大和北部八十八ヶ所霊場 第34番
文化財 獅子閣、厨子入木造五大明王像ほか(重要文化財)
紙本墨画十巻抄10巻、観世世阿弥能楽伝書8点ほか(県文化財)
法人番号 7150005002276 ウィキデータを編集
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宝山寺(ほうざんじ)は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の寺院生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。山号は生駒山(いこまさん)。1678年湛海律師によって開かれた。

本尊は不動明王鎮守神として歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っている。真言宗十八本山13番、仏塔古寺十八尊第十五番。

歴史

生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。

江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。この時が事実上の開山と思われる。

江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた。京都皇室江戸徳川将軍家郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどだった。現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。麓から続く参道の階段は奥の院までを含めると1000段余りあり西日本有数の規模を誇る。関東の高尾山薬王院や中部の豊川閣妙厳寺と並び神仏習合を色濃く残す寺院として知られる。宝山寺のある霊峰・生駒山には宝山寺以外にも在日韓国人系のシャーマニズム信仰の場(朝鮮寺)が多く集まっている。

山主歴代

  • 中興開山:寶山湛海
  • 2世:妙道湛清
  • 3世:大淵亀海
  • 4世:全道観明
  • 5世:玄光叡運
  • 6世:聆賢光善
  • 7世:智海光實
  • 8世:義山観光
  • 9世:空観恵達
  • 10世:信入隆源
  • 11世:光幢一實
  • 12世:傳瑞法英
  • 13世:法慶實乗
  • 14世:法禅乗空
  • 15世:隆範英空
  • 16世:覺隆慧證
  • 17世:明瑞乗圓
  • 18世:叡海實道
  • 現住:大矢實圓

境内

般若窟
  • 本堂 - 本尊の不動明王を祀る。
  • 聖天堂(天堂)・拝殿 - 聖天堂内陣の円檀中央に歓喜天の厨子、その背後の造り付けの厨子には、荒神十一面観音毘沙門天が祀られている。
  • 多宝塔
  • 大師堂 - 弘法大師を祀る。
  • 獅子閣(重要文化財
  • 般若窟 - 本堂の背後に切り立つ岩壁にある岩窟。役小角が般若経を納めたと伝わる。
  • 奥の院 - 大黒堂などがある。

文化財

絹本著色愛染明王像
絹本著色弥勒菩薩像

重要文化財

  • 獅子閣 - 明治17年(1884年)建立の洋風建築。
  • (指定見込み)木造不動明王及脇侍像5軀(不動明王坐像、制多迦童子立像、矜羯羅童子立像、蓮華吉祥天立像、薬厠抳立像)・銅造倶利迦羅竜剣1基(2016年度指定見込み、官報告示を経て正式指定となる。)
  • 厨子入木造五大明王像 5躯 - 元禄14年(1701年)湛海作、聖天堂安置。
  • 絹本著色春日曼荼羅
  • 絹本著色愛染明王像
  • 絹本著色弥勒菩薩像
  • 能本(世阿弥筆)5巻
    • 盛久、タタツノサエモン、江口、雲林院、柏崎(各1巻)
    • 附:弱法師(竹田広貞筆)1巻

奈良県指定文化財

  • 紙本墨画十巻抄10巻
  • 観世世阿弥能楽伝書8点
  • 金春禅竹能楽伝書5点
  • 金春家武芸関係資料13巻

札所

その他

  • 木造湛海律師坐像 - 宝山寺中興開山・湛海律師の肖像彫刻。

交通

宝山寺と近鉄創業期

1914年4月30日に現在の近畿日本鉄道(近鉄)の直系母体会社である大阪電気軌道(大軌)が初の路線である上本町駅(現、大阪上本町駅)~奈良駅(現、近鉄奈良駅)間の路線(現、近鉄奈良線)を開業させた際、生駒山の麓に生駒駅が開設されて宝山寺の参詣者は大幅に増加したといわれる。しかしその生駒山を貫く生駒トンネルの莫大な開削費用負担や、沿線人口が少なく観光客頼みであった輸送が雨天期になって減少したことで、大軌は「大阪天気軌道」と揶揄された。

開通して間もない6月下旬には、社員給料の支払いはおろか翌日に使う切符の印刷費も出せないほどに財政が窮乏した。同社の取締役の一人であった金森又一郎(後、同社の代表取締役社長)は夜遅く宝山寺に向かい、寺に乗車券10万枚と引き換えに賽銭を貸して頂けないかと頼み込んだ。その結果、当時の管主は「大軌が開業する際に宝山寺が生駒に駅を設けることを請願したため、貴社は生駒トンネルの建設に苦しむこととなった。よって当寺にも大軌の苦境の責任がある。力になれるならぜひとも」として、快く資金を都合してくれたという話が残っている。この賽銭は給料にも回されたため、当時の大軌社員の給料袋はズッシリ重かったという。

今も宝山寺には、金森の書いた借用証書が残されているという。また、日本初のケーブルカーが生駒に開業した要因の一つには、上記の話に対する大軌の礼というものもあったといわれる。

関連項目

外部リンク