安岳郡

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安岳郡
位置
各種表記
チョソングル: 안악군
漢字: 安岳郡
日本語読み仮名: あんがくぐん
片仮名転写: アナク=グン
ローマ字転写 (MR): Anak-kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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安岳郡(アナクぐん)は朝鮮民主主義人民共和国黄海南道に属する郡。

地理[編集]

道の中北部に位置し、西の殷栗郡との境には名山とされる九月山がある。

行政区画[編集]

1邑・26里を管轄する。

  • 安岳邑(アナグプ)
  • 江山里(カンサンニ)
  • 境地里(キョンジリ)
  • 亀臥里(クワリ)
  • 屈山里(クルサンニ)
  • 金岡里(クムガンニ)
  • 南井里(ナムジョンニ)
  • 大楸里(テチュリ)
  • 徳成里(トクソンニ)
  • 路岩里(ロアムニ)
  • 龍山里(リョンサンニ)
  • 馬鳴里(マミョンニ)
  • 伏獅里(ポクサリ)
  • 鳳城里(ポンソンニ)
  • 新村里(シンチョンニ)
  • 厳串里(オムゴンニ)
  • 燃燈里(ヨンドゥンニ)
  • 五局里(オグンニ)
  • 元龍里(ウォルリョンニ)
  • 月山里(ウォルサンニ)
  • 月精里(ウォルチョンニ)
  • 月池里(ウォルチリ)
  • 楡城里(ユソンニ)
  • 板六里(パルリュンニ)
  • 貝葉里(ペヨムニ)
  • 坪井里(ピョンジョンニ)
  • 漢月里(ハヌォルリ)

歴史[編集]

日本統治時代は現在の銀泉郡の領域も含み、黄海道北部の大同江河口部に面した大きな郡であった。

貝塚にはじまり、高句麗や漢人の墳墓など古代の遺跡が多い。高句麗古墳群の一つで壁画古墳として有名な安岳3号墳も本郡にある。帯方郡を安岳に比定する説もある。

日本統治期には安岳事件の舞台となった。

年表[編集]

この節の出典[1]

  • 757年 - 楊岳郡が置かれた。
  • 940年 - 安岳郡となる。
  • 1018年 - 豊州に属した。
  • 朝鮮王朝 - 安岳郡となり、黄海道に属した。
  • 1895年 - 海州府安岳郡(二十三府制
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、黄海道信川郡の一部(魚蘆面・越川面の各一部)が安岳郡に編入、安岳郡の一部(大元面・青龍面・順豊面・龍淵面の各一部)が信川郡に編入。安岳郡に以下の面が成立。(9面)
    • 邑内面・大遠面・銀紅面・大杏面・龍順面・西河面・安谷面・龍門面・文山面
  • 1918年 - 邑内面が安岳面に改称。(9面)
  • 1938年10月1日 - 安岳面が安岳邑に昇格。(1邑8面)
  • 1946年 - 安岳邑が安岳面に降格。(9面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、黄海道安岳郡安岳面・龍順面・大遠面・文山面、信川郡山川面・用珍面および蘆月面の一部地域をもって、安岳郡を設置。安岳郡に以下の邑・里が成立。(1邑27里)
    • 安岳邑・板六里・南井里・燃燈里・坪井里・亀臥里・大楸里・元龍里・厳串面・鳳城里・伏獅里・金岡里・新村里・楡城里・柳雪里・路岩里・五局里・馬鳴里・屈山里・徳成里・月山里・漢月里・江山里・龍山里・境地里・月池里・月精里・貝葉里
  • 1954年10月 - 黄海道の分割により、黄海南道安岳郡となる。(1邑27里)
    • 亀臥里の一部が伏獅里に編入。
    • 金岡里の一部が黄海南道銀泉郡玫花里に編入。
    • 南井里の一部が坪井里に編入。
    • 大楸里の一部が屈山里に編入。
    • 路岩里の一部が漢月里に編入。
    • 徳成里が黄海南道載寧郡新換浦里との境界線を調整。
  • 1974年5月 - 柳雪里が徳成里・五局里・路岩里に分割編入。(1邑26里)

観光[編集]

  • 故国原王陵: (安岳3号古墳) 4世紀中葉の墳墓。高句麗の故国原王の古墳壁画。

施設[編集]

  • 安岳鉄山

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]