宇治上神社

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宇治上神社

本殿(国宝)
所在地 京都府宇治市宇治山田59
位置 北緯34度53分31.44秒 東経135度48分41.18秒 / 北緯34.8920667度 東経135.8114389度 / 34.8920667; 135.8114389 (宇治上神社)座標: 北緯34度53分31.44秒 東経135度48分41.18秒 / 北緯34.8920667度 東経135.8114389度 / 34.8920667; 135.8114389 (宇治上神社)
主祭神 菟道稚郎子命
応神天皇
仁徳天皇
社格 式内社(小)
府社
創建 不詳
本殿の様式 一間社流造3棟
別名 離宮明神
例祭 5月1日
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祭神の菟道稚郎子(『前賢故実』より)

宇治上神社(うじがみじんじゃ、うじかみじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社式内社で、旧社格府社。隣接する宇治神社とは対をなしている。

ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の一つとして登録されている。

祭神

『日本書紀』では「菟道稚郎子」、『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記。応神天皇の皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、異母兄・大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。
第15代。菟道稚郎子命の父。
第16代。菟道稚郎子命の異母兄。

歴史

創建

創建年代などの起源は明らかではない。当社のすぐ近くには宇治神社があるが(北緯34度53分27.77秒 東経135度48分38.52秒)、当社とは二社一体の存在であった[1]。当社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、両社旧称の「離宮明神」もそれに因むといわれる[1]

当社の境内外には「天降石」や「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐境信仰による創祀という説もある[1][2]

概史

延喜式神名帳』には「山城国宇治郡 宇治神社二座 鍬靫」と記載があり、「二座」はそれぞれ宇治神社・宇治上神社を指すとされている[1]。この「二座」を祭神と見た場合、菟道稚郎子を一座とすることは動かないものの、もう一座については父の応神天皇・異母兄の仁徳天皇・母の矢河枝比売とする説がある[2]。なお、宇治上神社の本殿は本来左右2棟であるとして、「宇治神社二座」は宇治上神社のみを指すという説もある(3棟の建築年代については後述)。近くに平等院ができると、両社はその鎮守社とされたという。

明治以前は当社は「上社」「本宮」、宇治神社は「下社」「若宮」と呼ばれたほか、両社を合わせて「宇治離宮明神(八幡宮)」と総称された[1]

明治に入って宇治上神社とは分離し、それぞれ近代社格制度では府社に列した。

2004年2月奈良文化財研究所や宇治市などによる年輪年代測定調査では、本殿は1060年頃のものとされて「現存最古の神社建築」であることが裏付けられた。また、1052年創建の平等院との深い関連性が指摘されている。

境内

本殿(国宝)
内部には内殿3所が並ぶ。
拝殿(国宝)

本殿は平安時代後期の建立で、神社建築としては現存最古とされる。流造、桁行5間(正面)、梁間(側面)3間、檜皮葺きの建物内に、一間社流造の内殿3棟が左右に並ぶ(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する)。内殿は左殿(向かって右)に菟道稚郎子命、中殿に応神天皇、右殿(向かって左)に仁徳天皇を祀る(左殿・中殿・右殿を順に第一殿・第二殿・第三殿ともいう)。左殿と右殿は組物が三斗で、組物間に蟇股を置くなど、形式・規模がほぼ等しいが、細部の様式から左殿の方が年代が上がるとみられる。中殿は左右殿より規模が小さく、組物を舟肘木とし、蟇股を用いないなど、形式にも違いがある。外側の桁行5間、梁間3間の建物は内殿の覆屋にあたるが、内殿と覆屋は構造的に一体化しており、左殿と右殿の側廻りや屋根部分は覆屋と共通になっている。左殿と右殿の内陣扉内側には彩絵があり、建物とは別個に「絵画」として重要文化財に指定されている。左殿の扉絵は唐装の童子像2体、右殿の扉絵は束帯・持笏の随身像2体で、剥落が多いが、平安時代にさかのぼる垂迹画の作例として貴重である[3]。国宝に指定。

拝殿は鎌倉時代前期の建立で、寝殿造の遺構といわれる。切妻造、檜皮葺き。桁行6間、梁間3間の主要部の左右に各1間の庇を付す。桁行6間のうち、向かって左端の1間は柱間が狭く、隣接する庇部分とともに閉鎖的な1室を構成する。建物右端の庇部分も1室となり、これらに挟まれた中央の桁行5間 x 梁間3間分を広い1室とする。屋根は切妻造平入りの屋根の左右端に片流れの庇屋根を設ける。切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がっており、こうした形を縋破風(すがるはふ)と称する。周囲に榑縁(くれえん)をめぐらし、内部は板床と天井を張り、蔀戸を多用した住宅風の構えである[4]。本殿同様、国宝に指定されている。

また境内には「桐原水」と称される湧き水があり、唯一現存する「宇治七名水」の1つに数えられる。

摂末社

春日社(重要文化財)
社殿は一間社流造で、檜皮葺。鎌倉時代後期の造営とされ、国の重要文化財に指定されている[5]

主な祭事

  • 1月1日 歳旦祭
  • 1月15日 日待祭
  • 5月1日-5日 春季例大祭 - 宇治市槙島町の氏子が5月5日の本祭を執り行う
  • 9月1日 八朔祭(通称 砂持ち)
  • 10月14日 日待祭
  • 12月15日 新嘗祭

文化財

本殿扉絵(右殿の随身像、重要文化財)

国宝

  • 本殿(建造物) - 明治35年4月17日重要文化財指定、昭和27年3月29日国宝指定。
  • 拝殿(附 桟唐戸4枚、蟇股1箇)(建造物) - 明治35年7月31日重要文化財指定、昭和27年11月22日国宝指定。

重要文化財(国指定)

  • 摂社春日神社本殿(建造物) - 明治45年2月8日指定。
  • 本殿扉絵(板絵著色) 4面(絵画) - 昭和52年6月11日指定。

現地情報

所在地
交通アクセス
周辺

脚注

  1. ^ a b c d e 『京都府の地名』宇治上神社項・宇治神社項。
  2. ^ a b 『日本の神々』宇治上神社・宇治神社項。
  3. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』74号、pp.8 - 124 - 8 - 125
  4. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』74号、pp.8 - 125 - 8 - 126
  5. ^ 国指定文化財等データベース

参考文献

  • 『日本歴史地名体系 京都府の地名』(平凡社)宇治市 宇治上神社項・宇治神社項
  • 山路興造「宇治上神社・宇治神社」(谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 5 山城・近江』(白水社、1986年) ISBN 978-4560025055
  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』74号、朝日新聞社、1998(宇治上神社の解説は熊本達哉)

関連項目

外部リンク