孫成

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孫成(そん せい、生年不詳 - 789年)は、政治家は思退。本貫潞州渉県、または博州武水県

経歴[編集]

孫逖の子として生まれた。父の蔭官により仕官し、雲陽県尉・長安県尉となった。監察御史を経て、殿中に転じた。隴右副元帥の李抱玉の下で掌書記をつとめ、入朝して屯田・司勲二員外郎となった。母の喪のため辞職し、喪に服した。復職すると洛陽県令・長安県令を歴任した。兄の孫宿が華州刺史の任にあったとき、火事に驚いて口が利けなくなり、孫成は許しをえないまま華州にかけつけて見舞った。代宗は孫成の兄思いを褒めて、責めなかった。しばらくして孫成は倉部郎中・京兆少尹に転じた。信州刺史となり、飢饉の年に倉を開いて民衆を救った。後に蘇州刺史に転じた。貞元4年(788年)、桂州刺史・桂管観察使となった。5年(789年)、死去した。

子の孫公器は、邕管経略使に上った。

伝記資料[編集]

  • 旧唐書』巻190 列伝第140中 文苑中
  • 新唐書』巻202 列伝第127 文芸中