学校
学校(がっこう、英語: school)は、教育のための建物、または学生その他に対して教育が行われる場所のことである。また、そこでことに当たる人々のことをいうこともある。
なお、日本の学校教育法は「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする」としている(学校教育法1条)(一条校も参照のこと。)。
学校の語源
「学校」という用語は古くから足利学校などの例で用いられてきたが、明治政府による小学校および師範学校が設立される以前は、寺子屋、藩校、学問所、私塾(松下村塾などが有名)などと分類される施設が一般的で学校と付く名称の教育施設は少ない。
英語 school(スクール)の語源は古代ギリシャ語で、schole(スコレー、暇)。古代ギリシアや古代ローマの「市民」(市民権をもつ男。裕福で、労働は奴隷がおこなう)が、音楽や芝居、議論を楽しんだり、スポーツを嗜んだりする暇な時間、そしてその暇つぶしの場所から由来し、ラテン語でそれをschola(スコラ)と訳したのが直接の語源になる。scholaは、「学院、僧院」の意味で、思想史では「スコラ学」(僧院哲学、スコラ哲学)の名前で出てくる。実際には、スコラはキリスト教の教義の研究や教育に専念する修道士たちの生活と研究の場であった僧院のこと。
学園、学院などもほぼ同様の意味を持つ。
歴史
古代ギリシャでは、紀元前387年にプラトンが、アテナイにおいてアカデメイアを創設したとされる。
ヨーロッパでは、中世に大学が設立されるようになった。例えば、1088年、イタリアにAlma Mater Studiorum(現在のボローニャ大学)が開設された。フランスのパリ大学は1100年頃にルーツがあるともされ、1215年には教皇インノケンティウス3世によって正式に認められた。1209年にはイングランドでオックスフォード大学が開設された。ヨーロッパ中世に開設された大学の中には現在まで続くものも少なくない。中世の大学の多くで、学生は最初の6年、リベラル・アーツを学んだ。(→大学#中世の大学の特徴)
宗教にとって人間育成は重要な課題であり、宗教的な組織によって総合的な視野を持つ人間を育成する場としての学校の設立が行われていた。
身分社会がなくなると、教育も異なった主体により異なった視点で行われることが多くなった。義務、無償、”中立性”という現在の学校の原則も登場したのは、19世紀ヨーロッパにおけることである。例えば、フランスにおいては、それら原則は、フランス革命期のコンドルセの理念が19世紀末において実現した。
19世紀に誕生し、義務・無償・中立性を基調とする近代学校は、その国の国語、国史、国民道徳の教育をメインにし、その国家の ”国民” を育成する装置として機能した。つまり、国民としての”アイデンティティの形成”(人々の多様性を抑え込み、似たような性質 ”同一性”を持たせること)が学校に期せられたのである[1]。学校教育の拡大と義務教育制度の普及により、20世紀からは学校の数が飛躍的に増大した。
近代になり近代的な国家群が生まれると、政府も事業として教育を行なうようになったわけである。ただしこうした政府による教育機関での教育というのは、もっぱら政府(国家)に都合のよい人材の生み出すことにばかり力がそそがれる傾向を持っていた。軍事力強化や富国強兵などを方針として掲げた列強(強国)の教育機関などでは、そのような自国中心主義的で、全人類に対する配慮を欠いた人間たちが大量に生み出され、結果として20世紀には二度の世界大戦が引き起こされ、厖大な犠牲者を出すことになった。
現在、教育機関は、私的な団体によっても、政府系の団体によっても、設立・整備されている。
発展途上国では初等教育・中等教育のための学校の整備が間に合っていないところも多い。
日本
日本では、平安時代に貴族の子供[2]の教育機関として「大学寮」という名称の[3]学校が存在した。また、寺院などを中心に教育研究のための施設が設けられることがあった。
平安時代の教育は、原則として貴族や郡司の子供らを対象にしており、一部の人々にしか門戸を開いていなかったが、空海は、『綜藝種智院式并序』を著し、全学生および教員への給食制を完備し、身分や貧富に関わりなく学ぶことのできる教育施設、あらゆる思想や学芸を総合的に学ぶことのできる教育施設を設立することを提唱した。その運営を実現するため、天皇、諸侯、仏教諸宗の高僧ら、および一般の人々などに協力を呼びかけた。そして、東寺の東にあった藤原三守の私邸を譲り受け、828年に「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を開設した、とされる。綜芸種智院は庶民にも教育の門戸を開いた点で画期的な学校であったとされる。
江戸時代には「寺子屋」と呼ばれる教育施設が多数存在していた。
明治初期に、小学校および師範学校が設立された。そのとき、教科書は江戸時代使われていた往来物と呼ばれる既存の書籍が中心だった[4]。
明治時代以降、政府によって設立された教育機関で行われた教育内容というのは、国家主義的な内容に傾斜しており、ひとりひとりの人間の価値や人権はないがしろにされがちであった。そして富国強兵や軍事力強化などが美化された形で学生たちに教えこまれた。こうした教育は、明治~大正期の日本の急速な成長には寄与したものの、結局、昭和期には太平洋戦争(第二次世界大戦)での日本の一連の無謀な行動を引き起こし、数々の深刻な悲劇と、多くの戦争被害者とを生むことになった。太平洋戦争時、日本の政府は、そうした官営の教育機関で極端な国家主義的、国粋主義的な教育を行った。また、学徒動員によって生徒らを労働力として利用し戦争に加担させただけでなく、生徒・学生たちに軍事教練を強制し(特に官営の学校ではほぼ全ての学校に将校が配属され、学生たちに対して非常に暴力的で非人道的な教練が行われた)、強制的に兵士にしてしまい、危険な戦場へと赴かせ、前途ある若者たちの命を奪ってしまった[5]。
現在の学校の概要
制度化された学校は、一般的には初等教育・中等教育・高等教育の3つに分けられる。この他にも、制度化されていない学びの場としての学校も社会に数多く存在している。[6]。
- 種々の学校の多様な役割
日本の新学期は4月から入る。韓国は3月、オーストラリアは1月、アメリカ、中国、スペイン、フランス、ロシア、イギリス等、世界の国々では9月から新学期に入る国が多い。
明治28年に刊行された改正官立公立及ビ私立諸学校規則集は、我邦最初期の学校規則について知ることができる。 ここで言う規則とは、カリキュラム、学期編成、学費、教育目的などのこと。全国一律に同じ規則があるわけではなく、学校毎に決められていたようである[7]。
学校年度
運営の年度は日本の場合、4月1日開始(翌年3月31日まで)。アメリカや中国では9月開始(米国の場合は州によって異なる)。韓国では3月開始。
脚注
- ^ 近年邦訳をみたピエール・ノラの『記憶の場』は、その点に詳しい、という。
- ^ 教科書などでは一般に「貴族の子弟」と表現されている。子弟とは、簡単に言えば、子供や息子のこと。
- ^ 今の「大学」とは別物である。
- ^ 明治期の教科書 その1(愛知芸術文化センター 愛知県図書館)
- ^ これを教訓に、戦後結成された日本教職員組合は「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」をスローガンに掲げている
- ^ 制度化されている学校だから問題がないというわけではないが、制度化されていない学校の中にはディプロマミルと呼ばれる問題のある学校もあるので注意が必要である。
- ^ “改正官立公立及ビ私立諸学校規則集”. 近代デジタルライブラリー. 2012年6月2日閲覧。
関連項目
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