妙立寺

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妙立寺(みょうりゅうじ)

本堂
所在地 石川県金沢市野町1-2-12
位置 北緯36度33分19.3秒 東経136度38分56.3秒 / 北緯36.555361度 東経136.648972度 / 36.555361; 136.648972
山号 正久山
宗派 日蓮宗
創建年 1643年(寛永20年)
法人番号 3220005000838 ウィキデータを編集
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妙立寺(みょうりゅうじ)とは、石川県金沢市にある日蓮宗寺院。山号は正久山。旧本山は、京都立本寺。潮師法縁。

解説

加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。「忍者寺」は本寺院の登録商標(日本第1977891号他、住職の張田珠潮名義)である。

天正13年(1583年)、藩祖前田利家が金沢に入城すると、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求め、藩を守護する祈願所を建立した。

寛永20年(1643年)、三代藩主利常が金沢城の近くから移築建立する。利常は徳川幕府により改易されるのを避けるため、徳川家から嫁を迎えるとともに母親を人質に出し、鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じることで幕府を欺き安心させる。一方、多くの武士が起居できる寺院群(現在の寺町寺院群)を新築し、その中心に監視所(城でいう本丸)として妙立寺を建立する。要塞としての機能を備えた妙立寺は、隠し階段・隠し部屋・落とし穴・見張り台・金沢城へ続く地下通路など外敵を欺く種々な仕掛けを備える。忍者寺と称されるのは、同寺に忍者がいたからではなく、伽藍の複雑な建築構造に由来する。

戦火を免れた妙立寺は、歴代藩主の祈願所として崇拝される。北陸の豪雪に耐え、その独特の建築様式を現在に伝えている。 そこから今の人気スポットとなっている

本堂

当時、幕命で3階建て以上の建物は禁止されていたことにより、外観は2階建てだが、内部は4階建て7層になっている。中2階、中々2階があり、部屋数は23、階段数は29もある。

物見台・望楼
本堂の屋根の先端部分にあるギヤマン(現在はガラス)張りの見張り台。加賀平野を遠望でき、敵の動きをいち早く察知できる。
井戸
深さはおよそ25mほど。茶水に利用される。水面上には横穴があり、金沢城へ続く逃げ道になったとも云われている。
そのため、庫裏の各部屋はこの井戸を中心に構成され、どの部屋からもロープを使い井戸へと逃げることができる。
しかし、当時の技術では犀川を越えて地下通路を掘るのは困難とされ、横穴が金沢城へと続いているかは定かではない。
仕掛け賽銭箱
本堂正面入り口に埋め込まれている。敵が侵入してきたときは、落とし穴として利用される。
太鼓橋
井戸を川と見立てて室内に架けられた橋。橋の上から水を汲み上げお茶を嗜む。
明かり取り階段
正面の突き当たりにある階段。蹴込(けこみ)の部分に障子を張って明かりを取り、外敵の足の影を見て槍などで倒すことができる。
落とし穴階段
本堂の階段群にある渡り廊下に見せた階段。床板をはずすと落とし穴になり、下男部屋へ通じている。この落とし穴に落ちると、階下で待ち伏せている下男により、攻撃される仕組みになっている。
本堂裏隠し階段
物置の戸を開けて床板をまくると、階段があり外へ逃げることができる。外から堂内に逃げ込む際には、床板に溝が刻まれているため、引き戸を閉めることで“自動ロック”がかかり開かない仕組みになっている。
巨大な梁
雪の重みを分散するためで、北陸の豪雪に耐えるための仕組みといえる。
切腹の間
「片どんでん返し」になっており、内側からは開けられない仕組みになっている。
非常時には自害し、火を放つための部屋だといわれている。部屋の広さは死を表す4畳。

所在地・アクセス

住所
〒921-8639 石川県金沢市野町1-2-12
交通
JR北陸本線 金沢駅下車 - 北陸鉄道バス 広小路バス停下車 - 徒歩2分
駐車場
極楽寺駐車場利用(有料)
見学
開門時間 - 夏季:9時~16時30分、冬季:9時~16時(要予約)
拝観料 - 大人(中学生以上) 800円

     小学生 600円

関連項目

外部リンク