奥戸
奥戸 | |
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葛飾区総合スポーツセンター | |
北緯35度44分15.59秒 東経139度51分43.61秒 / 北緯35.7376639度 東経139.8621139度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 葛飾区 |
地域 | 奥戸・新小岩地域 |
人口 | |
• 合計 | 21,106人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
124-0022[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 葛飾 |
※座標は葛飾区総合スポーツセンター付近[4] |
奥戸(おくど)は、東京都葛飾区南部の地名である。現行行政地名は奥戸一丁目から九丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は124-0022[2]。
地理
葛飾区南部に位置する。北で高砂・細田、東には江戸川区西小岩・上一色、南は東新小岩、西は中川を挟んで立石・東立石と隣接する。町域内は住宅地として利用されるが、森永乳業をはじめとする工場や、近郊農地がわずかに残っている。現在その多くは宅地造成されているものの、中川や農業用水路に挟まれた古くからの低湿地帯である。
東京都道318号環状七号線(環七通り)が町の中央を南北に走っており、奥戸街道が町を東西に横切っている。奥戸一 - 八丁目は新中川南西岸に所在するが、九丁目のみは北東岸に分断された形で位置する。後述するように、かつては奥戸全域が陸続きであったが、この町域分断は後に新中川が開削されたことによって形成された。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、奥戸6-17-15の地点で23万3000円/m2となっている。[5]
歴史
元南葛飾郡奥戸村の中心地であり、新中川の三和橋付近に町役場があった(跡地は水没)。1930年に町に昇格し、1932年に奥戸町は葛飾区に編入された。旧奥戸村の区域は、現在の奥戸のほか、高砂、細田、鎌倉や東新小岩、新小岩、西新小岩の各一部に相当する。太平洋戦争後、町域東側に新中川(中川放水路)が開削され、1963年3月に開通した。
地名の由来
町域西端には古くより中川が流れており、船による河川を利用した水運が発達していたことから、「奥津」となっていたものが転訛して「奥戸」になったと考えられている。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
奥戸一丁目 | 914世帯 | 2,081人 |
奥戸二丁目 | 2,366世帯 | 5,002人 |
奥戸三丁目 | 1,478世帯 | 3,075人 |
奥戸四丁目 | 1,110世帯 | 2,452人 |
奥戸五丁目 | 970世帯 | 2,001人 |
奥戸六丁目 | 911世帯 | 1,925人 |
奥戸七丁目 | 779世帯 | 1,764人 |
奥戸八丁目 | 679世帯 | 1,526人 |
奥戸九丁目 | 661世帯 | 1,280人 |
計 | 9,868世帯 | 21,106人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6][7]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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奥戸一丁目 | 全域 | 葛飾区立南奥戸小学校 | 葛飾区立上平井中学校 |
奥戸二丁目 | 1~33番 37~44番 |
葛飾区立奥戸中学校 | |
その他 | 葛飾区立奥戸小学校 | ||
奥戸三丁目 | 全域 | 葛飾区立南奥戸小学校 | 葛飾区立上平井中学校 |
奥戸四丁目 | 全域 | 葛飾区立上小松小学校 | |
奥戸五丁目 | 全域 | 葛飾区立奥戸小学校 | |
奥戸六丁目 | 全域 | 葛飾区立奥戸中学校 | |
奥戸七丁目 | 全域 | ||
奥戸八丁目 | 全域 | ||
奥戸九丁目 | 全域 |
交通
町内に鉄道駅がない代わりに、葛飾区の要請により新小岩駅、亀有駅、京成立石駅、小岩駅などからの京成タウンバス路線が発達している。
道路・橋梁
- 道路
- 千葉県道・東京都道60号市川四ツ木線(奥戸街道)一部が1964年東京オリンピック聖火リレーコースだった。
- 東京都道315号御徒町小岩線(蔵前橋通り)
- 東京都道318号環状七号線(環七通り)環七通りは奥戸陸橋下交差点で奥戸街道と交差する。
- 橋梁
施設
- 公共施設
- 教育機関
- 商業・企業
史跡・寺社
- 鬼塚(奥戸一丁目28番)
- 水神社(奥戸二丁目)
- 八剱神社(奥戸八丁目6番22号)
- 奥戸天祖神社(奥戸二丁目35番16号)
- 善紹寺(奥戸六丁目6番12号)南葛八十八ヶ所霊場1番札所がある。
- 宝蔵院 (奥戸八丁目5番19号) 真言宗豊山派の寺院。応永2年(1395年)創立、天文(1538年)の国府台合戦で焼失、慶長17年(1612年)に再興された。井上靖の碑や柳原白蓮の歌碑がある。
- 妙厳寺(奥戸三丁目28番10号)
- 妙法寺(奥戸八丁目1番17号)
- 森市地蔵(奥戸二丁目)