大阪府立北野高等学校
大阪府立北野高等学校 | |
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過去の名称 |
欧学校 集成学校 大阪府第一番中学校 府立大阪中学校 府立大阪師範学校別科大阪府中学校 府立大阪尋常中学校 大阪府第一尋常中学校 大阪府第一中学校 大阪府堂島中学校 大阪府立堂島中学校 大阪府立北野中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
校訓 | 文武両道 |
設立年月日 | 1873年 |
創立記念日 | 4月20日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 文理学科 |
学科内専門コース | SSコース |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 27101C |
所在地 | 〒532-0025 |
大阪府大阪市淀川区新北野二丁目5番13号 北緯34度42分56.4秒 東経135度28分41秒 / 北緯34.715667度 東経135.47806度座標: 北緯34度42分56.4秒 東経135度28分41秒 / 北緯34.715667度 東経135.47806度 | |
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大阪府立北野高等学校(おおさかふりつきたのこうとうがっこう、英語表記:Osaka Prefectural Kitano Senior High School)は、大阪府大阪市淀川区新北野二丁目にある府立高等学校。
概要
1873年に大阪東大組(後の東区、現在の中央区)に創立された欧学校に起源を持ち、大阪府が最初に設置した旧制中学校「大阪府第一番中学校」の流れを汲む[1]。現在の校名は前所在地の北野に由来し、十三の現在地へ移転した際、十三中学校では13番目の府立中学校である豊中中学校(現在の大阪府立豊中高等学校)と紛らわしくなることや、一中のイメージが失われるとして反対運動が起こったため、改称が見送られたという経緯がある[2]。
全日制の他に定時制が置かれていたが、2004年度の募集を最後とし2007年度で廃止された。
2003年に卒業生でもある建築家竹山聖の設計による、現在の新校舎が完成した。新校舎は、打放しコンクリートの外観に内部はコンクリート塗装とフローリングが中心の無機質なつくりの中に、「空間」と「広がり」がデザインされるなど、モダンなつくりになっている。
旧校舎の壁にあった米軍のグラマン戦闘機(F6F)の機銃掃射の跡は、現在でもその壁の一部が「メモリアルウォール」として保存され、記念碑が設けられている。校内には卒業生の植物学者笹部新太郎が開発した笹部桜が植えられており、春には校門から校舎までの道を桜並木が彩る。校門前には旧制北野中学の頃のモニュメントがたたずむ。
北端には高校では全国でも最大規模の図書館があり(図書室ではなく地上2階、地下1階の別館)、地上に約2万冊、地下の書庫に約4万5千冊の計7万冊近くの蔵書があり、戦前の蔵書も少なくない。1階部分は自習室となっている。
屋上には、卒業生であり人工衛星やすばる望遠鏡、南極望遠鏡の鏡を製作した、石川勇作、鏡面半径51cm、高校では日本一の望遠鏡が設置されている(2003年設置)。年に数回、生徒が望遠鏡を使用して天体を観察できる機会が設けられたり、課題研究にも使用され、文化祭では一般公開される。
校歌は土井晩翠作詞、岡野貞一作曲で1915年(大正4年)11月に大正天皇即位の大典記念の一つとして制定された。1~5番までが存在し、1,2,5番のみが歌われることが多い。卒業式などの主要行事では、全曲が歌われる。
教育方針
前後期制を採用し、65分授業、隔週土曜授業を実施している。年5回の定期考査と、1、2学年には年3回長期休暇後の宿題考査がある。「授業を大切に」がモットーである。特に数学科に力を入れ、進度も早く、補講も随時行われる。
2002年度から2006年度まで、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールに指定された。理系教育の推進向上のため、1学年の8クラス中2クラスがSS(スーパーサイエンス)クラスを設置し、入学後に希望者を募り、選抜を行っていた。SSクラスでは、一年間を通して一つのテーマについて研究し、その成果を発表する「課題研究」というカリキュラムがあった。2011年度をもって、文理学科設置のために新規SSクラスの開設・募集を廃止。また、「課題研究」は文理学科・普通科問わず全員が実施することになった。2016年度入学者選抜より文理学科のみの募集となる。
2002年に大阪府教育委員会から「次代をリードする人材育成研究開発重点校」エル・ハイスクールに指定された。
文武両道を掲げており、体育科では学年・性別によってそれぞれノルマが課せられ、達成できなかった場合は特別補講がある。水泳および持久走の授業を欠課した際は、休憩時間または放課後を利用しての自主補講が求められる。高校レベルでは珍しく50mプールを持つ。
校風は比較的寛容で、髪染め・パーマ・ピアス・化粧や、携帯電話の持ち込みなどは個人の自主性に任せられている。校舎内はスリッパ。進学指導を重視している。入学後すぐにある学年単位での進路説明会が年数回行われ、進路についての意識向上を図っている。三年校舎の一階には進路指導室があり、常時2~3人の教師が生徒の進路についての質問に対応できるようになっている。
行事
- 六稜祭(文化祭)(6月)
- 本来秋にあるべきが受験を考慮され、新学年のクラスのまだなじんでいない時期に行われる。3年生は自由参加で、旧学年のクラスで集まったり、所属部活単位で参加するものもいる。
- 水泳大会(9月)
- プールの周りに集まる全校生徒の応援の中、全員が種目をこなす。一日の前半が授業、後半が水泳大会という構成で2日かけて行われる。
- 体育大会(10月)
- 体育科の一授業として行われる。始まりの入場行進および体操は伝統があり、直前2週間ほどのすべての体育授業で行進練習、体操練習を行う。この行進を見るためにわざわざ早朝から足を運ぶ近隣の住民もいる。
- 体育大会で2年生が行う「仮装」は修学旅行と並んで最大のイベントである。
- 遠足(10月)
- クラスの親睦を深めるために年一回行われる。場所等はクラスごとに自由に計画する。
- 音楽フェスティバル(12月)
- 通称「音フェス」。1992年から始まり、2000年に文化芸術祭内舞台発表という位置づけに変更された。現在は吹田市文化会館(メイシアター)や、池田市民文化会館(アゼリアホール)を一日借り切って行なっている。
- 音楽選択者がクラスごとに合唱発表する他に、音楽系クラブの演奏、オーディションにより選考された有志による演奏、音楽選択者による学年合唱などがある。
- 断郊競走(2月)
- 淀川の河川敷を、男子は10km、女子は7km疾走する。走行距離こそ変わってはいるものの、1935年から毎年行われている(1946年を除く)。
- 卒業生の漫画家兼アニメーター兼医師の手塚治虫はこの行事で10位以内に入った経歴を持つ。ちなみに「断郊」の名前の由来は「クロスカントリー」の和訳(横断郊外)の略である。
ほかに、修学旅行(2年時)、球技大会、勉強合宿(1年時)がある。
沿革
- 1873年 4月 - 東大組北久太郎町4丁目(現・大阪市中央区久太郎町4丁目)の南御堂内に欧学校として創立。
- 1873年 5月 - 集成学校と改称。
- 1874年 9月 - 東大組今橋5丁目(現・大阪市中央区今橋4丁目)に東進級学校、西大組靱南通4丁目(現・大阪市西区靱本町2丁目)に西進級学校が開校。
- 1874年11月 - 東進級学校を南御堂内に移転。
- 1875年 9月 - 西進級学校を東進級学校に合併し、進級学校となる。
- 1877年 6月 - 第4大区常安町(現・大阪市北区中之島4丁目)の新築校舎に、集成学校・進級学校・大阪府師範学校の3校が移転。
- 1877年 8月 - 集成学校と進級学校が合併して大阪府第一番中学校となる。
- 1879年 2月 - 府立大阪中学校と改称。
- 1880年 6月 - 大阪府会が中学校予算を全額削除。
- 1880年 7月 - 私立中学校として存続。
- 1881年 2月 - 府立中学校廃止の布達取消し。大阪府師範学校が府立大阪師範学校と改称。
- 1881年 7月 - 府立大阪師範学校別科大阪府中学校と称する。
- 1883年 7月 - 府立大阪師範学校より分離して府立大阪中学校となる。
- 1883年11月 - 北区堂島浜通3丁目(現・大阪市福島区福島1丁目)に移転。
- 1886年10月 - 府立大阪尋常中学校と改称。
- 1887年 9月 - 西区江戸堀北通1丁目(現・大阪市西区江戸堀1丁目)の東江小学校分校に一時移転。
- 1889年 4月 - 堂島の旧敷地に新校舎落成移転。六稜の校章採用。
- 1895年 1月 - 大阪府第一尋常中学校と改称。
- 1896年 3月 - 生徒188名を新設の大阪府第五尋常中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ分割。
- 1899年 4月 - 大阪府第一中学校と改称。
- 1901年 4月 - 大阪府堂島中学校と改称。
- 1901年 6月 - 大阪府立堂島中学校と改称。
- 1902年 4月 - 大阪府立北野中学校と改称。
- 1902年北野芝田町(現・大阪市北区芝田2丁目、大阪府済生会中津病院付近)に新築移転。 5月 - 大阪市北区
- 1915年11月 - 現校歌(作詞:土井晩翠・作曲:岡野貞一)制定。
- 1924年 4月 - 六稜同窓会発足。
- 1927年 8月 - 第13回全国中等学校優勝野球大会に野球部出場。(計春4回・夏1回出場)
- 1931年 4月 - 大阪市東淀川区十三南之町1丁目(現・大阪市淀川区新北野2丁目、現在地)の新校舎に移転(落成式は翌年)。
- 1931年11月 - 六稜同窓会館竣工。
- 1935年 2月 - 第1回断郊競走。
- 1937年 4月 - 北野夜間中学(定時制の前身)開校。
- 1939年 1月 - この年より4年連続全国中等学校ラグビー大会出場(1942年第24回全国中等ラグビー大会優勝)。
- 1943年 8月 - プール竣工式。
- 1945年 3月 - 大阪大空襲により入試中止・全員入学。
- 1945年 6月 - 大阪大空襲により校舎一部を焼失。生徒9名死亡。
- 1948年 4月 - 学制改革により、大阪府立大手前高等学校(旧制大阪府立大手前高等女学校)と教職員・生徒を半分ずつ交換して、大阪府立北野高等学校と改称。
- 1949年 4月 - 第21回選抜高等学校野球大会で野球部全国優勝。
- 1953年10月 - 旧図書館および旧食堂建設。
- 1961年 5月 - 生徒クラブ部室(鉄筋コンクリート2階建)竣工。
- 1962年 6月 - 急増対策校舎新館(鉄筋コンクリート2階建校舎)竣工。
- 1968年 7月 - 図書館竣工。
- 1971年 3月 - プール改築工事竣工。
- 1971年 4月 - 創立記念日を4月20日に改める。
- 1973年10月 - 同窓会が大阪城公園内に梅林を造成、大阪市に寄贈する。
- 1974年 7月 - 淀川区が新設され、所在地の町名が新北野になる。
- 1976年 2月 - 第二体育館焼失。
- 1978年 2月 - 食堂付設新体育館竣工。
- 1978年 6月 - 既設クラブ部室の一部2階増築竣工。
- 1980年 8月 - 第2新館(鉄筋3階建校舎)竣工。
- 1980年10月 - クラブ部室(鉄筋2階建)竣工(旧平屋建部室取壊し)。
- 1985年 4月 - 大阪府済生会中津病院前庭に北野中学校跡記念碑除幕式。
- 1986年 6月 - 大阪大空襲で死亡の生徒殉難之碑除幕式。
- 1986年10月 - 急増対策プレハブ校舎(鉄骨2階建)竣工。
- 1987年12月 - 第67回全国高校ラグビー大会出場。
- 1998年10月 - 校舎改築工事着工。
- 2002年 4月 - 大阪府教育委員会からエル・ハイスクール事業の指定を受ける(2003年度から2007年度まで)。
- 2003年 3月 - 新校舎と同じく竹山聖の設計により六稜会館(同窓会館)竣工。
- 2003年10月 - 校舎改築工事全工程竣工。
- 2009年 4月 - 定時制閉課程。府教委から進学指導特色校事業の指定を受ける。
- 2011年 4月 - 文理学科を設置。