大瀬康一

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おおせ こういち
大瀬 康一
本名 大瀬 一靉
生年月日 (1937-10-27) 1937年10月27日(86歳)
出生地 日本の旗 日本神奈川県
民族 日本人
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1958年 - 1972年
2012年 -
主な作品
テレビドラマ
月光仮面
隠密剣士
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大瀬 康一(おおせ こういち、1937年10月27日 - )は、日本俳優、実業家。本名は、大瀬 一靉(おおせ かずなり)[1]。芸名は、1958年2月 - 1959年7月に放送されたテレビドラマ『月光仮面』の原作者の川内康範から、「康」の字をもらったものである[1][2]

『月光仮面』の祝十郎 / 月光仮面として知られた[1][3]

略歴・人物[編集]

神奈川県出身。

俳優の龍崎一郎の紹介[4]東映東京撮影所大部屋俳優をしていたところ、『月光仮面』の主役に抜擢される[5][6]。以降、宣弘社制作のヒーロー番組に続けて出演し、人気を博した。

豹の眼』(1959年)の終了後、大映と契約して映画10数本に出演した[1][6]。『隠密剣士』(1962年)は大映時代に宣弘社からの依頼を断りきれず出演したというが、こちらも大ヒットとなり代表作の1つに数えられている[1][6]

1969年、企画会社「OT企画」を興し、経営者となる。成田三樹夫長谷川待子らを擁し、芸能マネージメントやテレビ番組制作を手掛ける[7]

私生活では、1964年に女優の高千穂ひづると結婚。数十年にわたり、実業家として活動していた。

荒川事件で知られる野球選手の荒川尭とは、子供の頃から家族ぐるみの付き合いだった[8]

2013年、『月光仮面を創った男たち』(平凡社新書)の著者である樋口尚文が監督した映画『インターミッション』に、映画館の観客役で40年ぶりの映画出演を果たした[9]

2022年には、月光仮面がテレビで活躍した当時の町並みが残る大分県豊後高田市「昭和の町」の観光大使に就任した[10]

『月光仮面』のエピソード[編集]

  • ギャランティーは10分番組時代には1本7000円であったが、30分番組になってからは当時のサラリーマンの初任給である1万円強より少し良い程度に上がった[6]。大映時代はテレビより格段に待遇が良く、満足していたという[6]
  • コスチュームのうち、タイツ下に履くサポーターが面倒になり履かずに撮影したところ、下半身の形が明確に出てしまい、視聴者から指摘されたという[6]

主な作品[編集]

テレビ[編集]

映画[編集]

バラエティ[編集]

番組制作[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 石橋春海「元祖TVヒーロー 大瀬康一」『伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2014年7月9日、13頁。ISBN 978-4-7747-5934-0 
  2. ^ 『月光仮面を創った男たち』 樋口尚文、平凡社〈平凡社新書〉、2008年、78頁。
  3. ^ a b 作中では月光仮面の正体については明言されておらず、配役のクレジットは「月光仮面:?」「祝十郎:大瀬康一」と表記されている。
  4. ^ 『月光仮面を創った男たち』 73頁。
  5. ^ 『月光仮面を創った男たち』 76-78頁。
  6. ^ a b c d e f 石橋春海「特別インタビュー 大瀬康一」『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、20-23頁。ISBN 978-4-7747-5853-4 
  7. ^ 『月光仮面を創った男たち』197-199頁。
  8. ^ 「特報 プロ野球を引退したばかりの荒川尭選手(28歳)が映画俳優に転向 アクションスターに! "長島2世"とまで騒がれた花形プレーヤーにはいいしれぬ苦悩があったが…」『週刊平凡』1975年5月22日号、平凡出版、36-38頁。 
  9. ^ 「インターミッション」公式サイト
  10. ^ 大瀬康一「月光仮面65周年 撮影秘話 元祖特撮ヒーロー、「昭和の町」の観光大使に」『日本経済新聞』2023年4月20日朝刊、文化面。

外部リンク[編集]