大樹駅
大樹駅 | |
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駅舎は北海道衛星株式会社が利用している(2006年7月22日) | |
たいき Taiki | |
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所在地 | 北海道広尾郡大樹町寿通一丁目 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 広尾線 |
キロ程 | 60.6 km(帯広起点) |
電報略号 | イキ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
204人/日 -1981年(昭和56年)- |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)10月10日 |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)2月2日 |
備考 | 広尾線廃線に伴い廃駅 |
大樹駅(たいきえき)は、北海道(十勝支庁)広尾郡大樹町寿通一丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)広尾線の駅(廃駅)である。電報略号はイキ。広尾線の廃線に伴い1987年(昭和62年)2月2日に廃駅となった。
愛国駅や幸福駅がブームになった頃には、当駅でも「新生駅 - 大樹駅」の乗車券が縁起切符として発売され、ブームを呼んだことがあった。
駅構造
廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム南側と島式ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。駅舎側ホーム(東側)が下りの1番線、島式ホーム(西側)が上りの2番線となっていた[1]。島式ホームの外側1線を側線として有し、そのほか1番線の広尾方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線と、2番線の帯広方から分岐した短い行き止まりの側線を1線有していた[1]。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接していた[1]。1976年(昭和51年)に大樹町が国鉄利用債を利用して改築された鉄筋造り[2]の駅舎であった。
駅名の由来
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「タイキ・ウシ」(蚤が多いところ)に由来する[1]。
利用状況
1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は204人[1]。
駅周辺
- 国道236号(広尾国道)[3]
- 大樹町役場
- 柏林公園 - 大樹町役場近く。敷地内に9600形蒸気機関車59611号機が静態保存・展示されている[4]。当線でも活躍した車両であった。
- 大樹郵便局
- 大樹駅前簡易郵便局 ‐ 2014年1月14日に移転するが、局名はそのままである。
- 広尾警察署大樹駐在所
- 帯広土木現業所大樹出張所
- 北海道大樹高等学校
- 大樹中学校
- 大樹小学校
- 大樹町国民健康保険病院
- 大樹町農業協同組合(JA大樹町)
- 大樹漁業協同組合
- 雪印乳業株式会社(現・雪印メグミルク株式会社)大樹工場
- 高野山寺
- 歴舟川
- 道の駅コスモール大樹
- 十勝バス大樹案内所、「大樹コスモール前」停留所
歴史
- 1930年(昭和5年)10月10日 - 国有鉄道(鉄道省)広尾線中札内駅 - 当駅間延伸開通に伴い開業。一般駅。池田機関庫帯広分庫大樹駐泊所設置。
- 1932年(昭和7年)11月5日 - 当駅 - 広尾駅間延伸開通(広尾線全通)に伴い中間駅となる。
- 1976年(昭和51年)12月3日 - 駅舎改築。
- 1982年(昭和57年)9月10日 - 貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)2月2日 - 広尾線の廃線に伴い廃止となる。
駅跡
廃止後は大樹町により「大樹町交通公園」として整備された。1999年(平成11年)時点では駅舎は十勝バスの待合所に再利用された[5]。またホームとレールが保存されホーム側にはブルートレイン色に塗られたオハ62形客車オハ62 76とスユニ60形客車スユニ60 301の2両の旧型客車と2両の貨車が静態保存・展示されていた[5]。客車はライダーハウスとしても使われた。その後老朽化に伴い2000年夏頃に撤去されてしまった。
駅舎は2002年(平成14年)時点でも十勝バス大樹案内所であり、係員を配置して乗車券窓口と待合所が利用されていた[2]。この時点では旧駅舎内に窓口カウンター、改札柵が残存し、旧ホーム側は転轍てこの残存を始めとした廃線当時のままの状態、ホームは駅名標の枠のみが残存していた[2]。またレールは撤去され小公園になっていた[2]。
その後十勝バス大樹案内所が道の駅コスモール大樹へ移転したため、2010年(平成22年)時点では北海道衛星株式会社が3代目の利用者となっており[6]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[2]。
また、1999年(平成11年)時点では当駅跡の北約1.5kmの地点にある歴舟川に橋台が残存し、大樹駅方面への線路跡も低い築堤や遊歩道として残存・再利用されていた[5]。2010年(平成22年)時点でも歴舟川の橋台は残存しているが、藪に埋もれている[6]。
隣の駅
脚注
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)140ページより。
- ^ a b c d e 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)190-191ページより。
- ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)12ページより。
- ^ 書籍『蒸気機関車完全名鑑 ビジュアル改訂版』(廣済堂ベストムック、2011年1月発行)46ページより。
- ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング、1999年3月発行)40-41ページより。
- ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)88-89ページより。