大崎市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。180.3.73.155 (会話) による 2021年1月26日 (火) 06:25個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎概要)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

おおさきし ウィキデータを編集
大崎市
大崎市旗 大崎市章
大崎市旗 大崎市章
2006年3月31日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
市町村コード 04215-3
法人番号 1000020042153 ウィキデータを編集
面積 796.81km2
総人口 122,250[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 153人/km2
隣接自治体 登米市栗原市遠田郡美里町涌谷町黒川郡大郷町大衡村加美郡色麻町加美町宮城郡松島町
山形県最上郡最上町
秋田県湯沢市
市の木
市の花 ひまわり
市の鳥 マガン
大崎市役所
市長 伊藤康志
所在地 989-6188
宮城県大崎市古川七日町1番1号
北緯38度34分37.6秒 東経140度57分20.1秒 / 北緯38.577111度 東経140.955583度 / 38.577111; 140.955583
大崎市役所 本庁舎(2009年11月撮影)
外部リンク 公式ウェブサイト

大崎市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

地図
地図
ウィキプロジェクト

大崎市(おおさきし)は、宮城県北西部に位置する大崎地方に属する。

概要

後期旧石器時代ないし縄文時代草創期~古墳時代の遺跡座散乱木遺跡の発掘により3万年前からこの地域で人々が生活していた。古墳時代4世紀前後)に築造された東北地方最大級の前方後円墳青塚古墳の存在からこの地方では既に稲作を営む集団組織が存在し古墳を造営する程の力を持っていたと思われる。飛鳥時代古墳時代終末期7世紀末~8世紀頃(大化の改新時期~)に奥州地方陸奥国出羽国)現在の東北六県全域を統括する重要な拠点、官庁名生館官衙遺跡が置かれ大崎地方はすでに内国化されていた。このことから794年平安京京都遷都よりも更に古い東北地方では最古の1300年以上の歴史と伝統ある地域で、古川が中心地であったことが分かる。南北朝時代1354年)に斯波家兼大崎氏の始祖)が奥州管領に任命されその後、伊達晴宗奥州探題に任命され伊達政宗もこの役職を自称してこの地を治めた。伊達政宗が築城し居城とした岩出山城、その後作られた有備館は現存する日本最古の学問所であり「世界かんがい施設遺産」に登録された内川、岩出山凍り豆腐ずんだは伊達政宗が整備開発したものであり、このずんだを使ったずんだスイーツが近年人気がでてきており宮城県民のソウルフードとなっている。日本人技術者の手だけで造られた日本初の100m級アーチ式コンクリートダム鳴子ダム土木学会選奨土木遺産に登録されており、人口湖の荒生湖は栗駒国定公園に指定されており、春には「すだれ放流」が風物詩になっている。

国連食糧農業機関に北海道・東北地方で初めて世界農業遺産(世界的に重要な地域)に認定された大崎耕土大崎平野)は地形と水利に恵まれ西に奥羽山脈、荒雄岳、船形山がそびえ、そこから江合川鳴瀬川の両川が太平洋に流れる日本有数の穀倉地帯で、ササニシキひとめぼれささ結などの品種米(ブランド米)の産地で古来より稲作が盛んな米の名産地(栗原市登米市などの宮城県北部地域も含む)である。その他、大豆(全国2位)の生産も盛んである。日本有数の漁港石巻女川気仙沼にも近く、ラムサール条約に登録されている化女沼蕪栗沼は国際的に重要な湿地で国内有数のマガンの飛来地である。中山平や北宮沢はゲンジボタルヘイケボタルが共生する全国的にも珍しい場所で国の天然記念物に指定されている。日本トップクラスの泉質の豊富さから東の横綱(日本百名湯)に選ばれている鳴子温泉郷には、紅葉の時期には全国のみならず海外からも観光客が訪れ美しい紅葉を楽しみ、冬には東北有数のリゾート地であるオニコウベスキー場にも多くの人が訪れる。この様に大崎地方大自然の恵みを受けた豊穣な大地であり、スポーツではバレーボールが、レジャーでは気球が有名で盛んである。

大崎市の中心地古川は土日には北部地区全域(人口およそ33万6千人)から人が集まる[要出典]市の「経済商業サービス業の中心地」で新幹線古川駅や高速道路東北自動車道国道4号その他複数の国道が通る「交通の要所」であり東北最大の都市仙台にも近く新幹線では13分、一般道(国道4号)で40分程度である。周辺部から人が多く集まる場所なので古くから医療機関が多く「病院の街古川」とも言われている。県内最古・全国で2番目に古い(現在と同じ浄水方法を採用したのは全国でも初めて)上水道の整備がされた歴史があり、緒絶川沿いにある橋平商店酒蔵醸室など歴史的建造物の観光名所も見どころで、大正デモクラシーの先駆者吉野作造の生誕の地でもあり、日本労働運動の父で草分け的存在鈴木文治が青年時代を過ごした地でもある。

地理

南は松島町に接し北は秋田県、西は山形県と境を接する。大崎平野において農業が盛んなほか電子機器工場、精密機械工場、住宅建材工場が立地している。中心市街地の古川地区は宮城県北部地域の商業サービス業の拠点であり、市内最北西部の鳴子地区は温泉観光地である。市内東南部の鹿島台地区松山地区は主に東北本線利用で仙台市への通勤圏になっている。そのため大崎市域は中央部から西部の古川都市圏に属する地域と東南部の仙台都市圏に属する地域に分けられ、主要交通機関も異なる。古川 - 仙台間は、東北新幹線・高速バス・自家用車などで通勤・通学する者も多い。現在は中央部や西部に東北新幹線陸羽東線東北自動車道国道4号国道47号国道108号国道347号国道457号など、東部に東北本線国道346号などが通る。

気候

2006年の平成の大合併では市域が広大となったため、気象庁による気象予報では、旧玉造郡岩出山町鳴子町)は隣接する加美郡加美町色麻町とともに「西部大崎」に、旧古川市、旧遠田郡田尻町、旧志田郡三本木町松山町鹿島台町)は隣接する遠田郡美里町涌谷町とともに「東部大崎」に区分されている[1]。さらに西部大崎は「宮城県西部」に、東部大崎は「宮城県東部」に区分されている[1]

冬は仙台市より寒く、氷点下15度まで冷えることもある。県境・山間部に属する旧鳴子町の一部は豪雪地帯であり、これら山間部地域と古川から鹿島台にかけての平野部では気候・気温・降雪量に大きな違いがある。以下は気象庁のデータに基づく[2]

古川の平均気温と降水量
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温(C 0.0 0.5 3.4 9.3 14.7 18.4 21.8 23.8 19.7 13.6 7.6 2.8 11.3
降水量(mm 35.3 50.6 70.7 102.6 97.9 133.6 161.3 164.5 176.4 97.8 65.0 65.0 1190.0

大崎市古川の極値(1976年12月 - )

  • 最高気温極値 36.3℃(1994年8月14日)
  • 最低気温極値 -17.6℃(2021年1月9日)


鹿島台の平均気温と降水量
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温(C 0.0 0.5 3.3 8.7 14.2 17.9 21.3 23.2 19.3 13.3 7.3 2.7 11.0
降水量(mm 24.3 39.0 71.5 105.5 96.5 125.3 158.0 145.9 193.2 104.5 60.5 25.3 1152.6

大崎市鹿島台の極値(1976年12月 - )

  • 最高気温極値 36.1℃(2020年8月11日)
  • 最低気温極値 -17.9℃(1976年12月30日)

山岳

河川

湖沼

その他

人口

大崎市の属する大崎地方には、他に加美町色麻町美里町涌谷町が属し、1市4町合わせて20人を擁する。また、大崎地方と栗原市登米市を合わせた北部地区は、人口およそ336人である。


大崎市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


歴史

奈良時代、古川地区に朝廷の役所がつくられた(名生館官衙遺跡)。この頃の古川は多賀城と共に、蝦夷に対する朝廷側の拠点となっていた。

室町時代奥州探題大崎氏が現在の大崎市古川地区の名生城を居城とした。大崎氏は室町幕府管領家(三管領)の筆頭である斯波氏の親戚に当たる。戦国時代、大崎氏は隣国の葛西氏と抗争を繰り広げた。戦国時代末期、南から伊達政宗が大崎領に侵攻して大崎合戦が起こったが、大崎義隆は伊達軍を撃破した。しかし、その後も政宗は大崎氏を圧迫し、大崎氏の軍事指揮権は伊達氏が掌握し、徴税権は大崎氏が保持した。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉小田原征伐後北条氏を降した後に奥州仕置を行い、小田原に参陣しなかったことを理由に、大崎氏や葛西氏等を取り潰した。常陸国佐竹義重会津地方の蘆名氏に勝利して領土を拡大していた伊達政宗も征服地のほとんどを没収された。大崎氏や葛西氏の旧領には秀吉の家臣の木村吉清が入封したが、政宗は大崎氏と葛西氏の旧臣を扇動して葛西大崎一揆を起こさせた。しかし、政宗の一揆扇動は蒲生氏郷に露見し、政宗は秀吉から葛西大崎一揆の鎮圧を命じられた。政宗は佐沼城から吉清を救出して、一揆を鎮圧した。戦後、政宗は伊達氏の本拠だった置賜地方や信達地方を秀吉に没収され、その代わりに大崎氏と葛西氏の旧領を与えられて、玉造郡の岩出山城を居城とした。慶長5年12月24日1601年1月28日)より政宗は新たな居城として仙台城を築いて仙台藩62万石が成立した。こうして大崎市一帯は仙台藩の一部となった。

近代

旧自治体の歴史は各自治体のページを参照。

  • 2003年平成15年)7月1日 - 大崎地方合併協議会が設立され、同年7月7日に第1回協議会が開催されたのを皮切りに2006年3月11日まで計43回の合併協議会が開催された。事務局は古川市旭(現・大崎市古川旭)の宮城県古川合同庁舎(2006年4月1日、宮城県大崎合同庁舎に改称)内に置かれた。
  • 2005年(平成17年)
    • 1月13日 - 合併協定書の調印式を三本木町にあるふれあいホールにおいて実施。
    • 1月21日 - 廃置分合申請書を県知事に提出。
    • 4月15日 - 同日付の官報に大崎市を設置する廃置分合が告示される。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 古川市および遠田郡田尻町志田郡三本木町松山町鹿島台町玉造郡岩出山町鳴子町が合併し大崎市が発足。同時に市章を制定する[3]
    市名の由来である「大崎」とは大崎市・加美郡・遠田郡一帯の広域地名で、中世関東よりこの一帯に移住した豪族・大崎氏に由来する。大崎氏は室町時代に奥州探題に任ぜられ権勢を誇ったが豊臣秀吉の奥州仕置(1590年頃)により滅亡し、その後大崎地方は伊達氏の所領となった。
  • 2012年(平成24年)
    • 2月4日 - 平成23年度地域づくり総務大臣表彰で「地方自治体表彰」を受賞[4]
    • 10月31日 - 第17回宮城県シニアスポーツ大会が、大崎市スポーツピアまつやまを会場に開催された。
  • 2013年(平成25年)3月23日 - 国道346号鹿島台バイパス開通。
  • 2017年(平成29年)12月 - 大崎市を中心とする「大崎耕土」(仙台平野の一部)が、国連食糧農業機関が認定する世界農業遺産に、東北地方として初めて認定される。
  • 2019年(令和元年)10月13日 - 令和元年東日本台風(台風19号)の豪雨により吉田川左岸の堤防から越水。旧鹿島台町付近一帯が冠水した[5]

合併及び新市成立に至る経緯

「大崎市」という市名は、一般公募で集まった2292種類(応募件数10151件)の中から合併協議会が第1次選考で17点、第2次選考で10点、最終選考で6点(大崎、おおさき、北宮城、古川、ふるかわ、宮城)に絞り込み最終的に委員57人の投票で決定した(決選投票結果は「大崎」45票、「古川」7票、無効1票、欠席4人)。

当初から「最終的には合併協委員の投票で決める」と住民にも知らせていたが、公募の有効件数9737件のうち4010件が「古川」であったため「大崎」(1133件)という名称には古川市で反対運動が起こり、古川市の住民意向調査(18歳以上の市民1万人抽出)では「反対(どちらかといえば反対を含む)」が過半数にこそ達しなかったものの「賛成(どちらかといえば賛成を含む)」を7.89%上回った[6]

それでも1市6町は「将来を見据えた合併は必要」と主張し、合併期日を2005年4月1日として合併協定書に調印した。しかし、古川市議会は合併関連議案を否決(6町議会のうち5町議会は全議案可決、三本木町は廃置分合議案は可決したが議員定数議案のみ否決)。これを受け古川市の佐々木謙次市長(当時)は市民の信を問うため一旦辞任して出直し市長選に再出馬、3度目の当選を果たした。この結果、期日を1年遅らせ市民病院建設の前倒し等を条件に古川市議会の逆転賛成多数を得て「大崎市」が実現するという経緯をたどった。

しかし、「新市名を『古川市』に変更する」という佐々木市長が出直し市長選で掲げた公約は6町の反対で断念した。これにより古川市では合併の是非を問う住民投票を求める声が上がったが、市議会で否決された。住民投票に反対した市議13名は合併に賛成、住民投票に賛成した市議11名は合併に反対と完全に一致している。

古川市以外の住民意向調査等の動きは以下のとおりだった。

  • 鳴子町の住民意向調査(18歳以上の町民全員)では合併反対が過半数だったが、高橋勇次郎町長は「住民意向調査は参考資料。合併是非は議員が決めるべき」と合併を推進した。合併反対派の町民グループが合併の是非を問う住民投票実施を求める直接請求を行ったが、町議会が否決した。
  • 三本木町では合併の是非を問う住民投票が行われたが、佐藤武一郎町長は「いかなる投票結果になろうと合併を推進する」と表明した。結果、投票率は開票用件の50%以上に満たず開票されなかった。
  • 岩出山町の住民意向調査では、「時代の流れなので合併はやむを得ない」を含めた賛成多数が50%を超えた。しかし、「時代の流れ」以外の合併賛成票は合併反対票を下回っている。岩出山町では、参考として岩出山中学校の生徒にもアンケート調査を行った。
  • 田尻町では、住民意向調査で古川市中心の合併を望む声がわずかに大崎地方東部6町の合併希望を上回った。その前に行われた町職員対象の意向調査では古川市中心希望が圧倒的に多かった。

当選に決定的に作用するほどの論点となった公約である「新市名称を古川市に(古川市長選)」と「市民病院を現在地に早期改築(大崎市長選)」の双方を旧古川・大崎の両市長が当選後に撤回したこと、古川市議会での可決の原動力となった市民病院建設の前倒しも実は財政上実現性に乏しいものであったこと、仙台都市圏にも含まれる町(松山、鹿島台)までを市域にした一体性の乏しさなど全国にも類を見ない合併により誕生した大崎市の行方は予断を許さない。実際に大崎市になると合併協議会での試算を覆す財政難がマスコミによって報じられ合併後間もない2006年9月には市民病院の本院と岩出山分院の建設も延期、2008年2月に表明するまで建設(改築)時期未定とされていた。

また期日が遅れたと同時に合併協定調印式の際に調印された内容も変更され、合併協定書の原本はホームページ上では公表されていない。なお、協定書の原本が公開されないのは全国では珍しいケースである(協定書の中身は、ホームページ上で見ることは可能[7])。

大崎市という名称に反対していた旧古川市民の一部が、合併後しばらくの間、「条例を改正して市名を古川市に変えよう」という運動を展開し、市役所近くに看板も掲げていた。しかし合併反対派だった議員や住民も、既に議論の中身を「大崎市でどのようなまちづくりをすべきか。財政健全化をどう進めるか」という方向に移しており、市名変更の可能性は極めて低いとみられる。

市政

歴代市長

  • 市長職務執行者:佐々木謙次(初代市長選出までの2006年3月31日 - 4月30日)※旧古川市長
  • 初代:伊藤康志(2006年5月1日 - )

行政目標

市長の伊藤は以下の公約を公表している。病院建設は当選5ヵ月後の2006年9月議会で計画延期を表明した。その後、2008年2月の市議会全員協議会で市民病院本院の改築完成時期を当初予定の4年遅れとなる2013年度、岩出山分院の改築完成時期を当初予定より3年遅れとなる2011年度とする計画を表明した。その後、本院の建設場所を古川穂波地区に変更することを決め[9]、2010年の市長選でも再選された。

  • 大崎市民病院の古川穂波地区への移転新築、在宅介護の充実、地域の治安向上、障害者自立支援
  • 一万人雇用機会の創出(流通団地整備、企業誘致、アグリビジネス振興、観光湯巡り街道)
  • 第二県都づくり(古川中心部の都市機能強化、24時間型保育所整備、近隣市町との政策連携)
  • 行革(行政の効率向上、生産性向上、外部からの専門家登用、市財政健全化)
  • 教育(「おおさき宝塾」の創立、中高一貫教育推進、大学誘致)
  • 古川の都市機能強化、アクセス道路整備、都市改造
  • 観光振興(アジアからの観光客誘致)

人口20万人都市構想

伊藤市長は市長選のマニフェストに「20万人都市への挑戦」として「10年間に人口を20万規模に拡大する」「魅力ある地域づくりを推進しながら、県内外からの人口の誘致を図り、大幅な人口増加を実現する」等を掲げていたが、就任から1年を経た2007年6月現在では定住人口のほか交流人口メールマガジン購読者等の「大崎を応援する人」を加えて20万人都市実現を目指すという路線に変わっている。なお、合併直後の2006年4月1日の人口は139,154人、2007年4月1日には138,402人と減少傾向にある(住民基本台帳人口+外国人登録人口)[10]

大崎市流地域自治組織

旧市町単位で地域自治組織「まちづくり協議会」が設置されている。地域自治組織とは、「地域のことは地域で考え、地域で解決していくための仕組み」のこと[11][12][13]

総合支所

  • 松山総合支所
  • 三本木総合支所
  • 鹿島台総合支所
  • 岩出山総合支所
  • 鳴子総合支所
  • 田尻総合支所

立法

市議会

  • 定数:30名
  • 任期:2014年(平成26年)4月30日 - 2018年(平成30年)4月29日[14]
  • 議長:佐藤清隆(改新クラブ)
  • 副議長:佐藤和好(大崎ニューネット)
会派名 議席数 議員名(◎は代表)
大崎ニューネット 8 ◎氏家善男、只野直悦、木村和彦、佐藤弘樹、青沼智雄、佐藤和好、後藤錦信、佐藤仁一郎
改新クラブ 6 ◎門間忠、中鉢和三郎、八木吉夫、佐藤清隆、大山巖、氷室勝好
大志会 5 ◎富田文志、関武徳、相澤久義、相澤孝弘、山村康治
日本共産党
大崎市議会議員団
4 ◎小沢和悦、鎌内つぎ子、木内知子、遊佐辰雄
清和会 3 ◎加藤善市、大友文司、佐藤勝
公明党 2 ◎山田和明、横山悦子
無会派 2 佐藤仁一、豊島正人

県議会

  • 選挙区:大崎市選挙区
  • 定数:4名
  • 任期:2011年(平成23年)11月13日 - 2015年(平成27年)11月12日
氏名 会派名
中島源陽 自由民主党・県民会議
菊地恵一 自由民主党・県民会議
佐々木征治 自由民主党・県民会議
岩渕義教 社民党県議団

姉妹都市・提携都市

合併前の市町の国際友好都市・姉妹都市を全て引き継いでいる。ただし、合併後も積極的に交流している所と、合併後まったく交流していない所がある。

海外

姉妹都市

国内

提携都市
その他

公共機関

警察

  • 古川警察署(管轄:旧古川市、旧松山町、旧三本木町、旧鹿島台町及び旧田尻町)
    合併翌日の2006年4月1日付で、それまで旧小牛田警察署が担当してきた旧田尻町も管轄となった。
  • 鳴子警察署(管轄:旧鳴子町及び旧岩出山町)

※ 大崎市内に「大崎警察署」は存在しないが、古川署と鳴子署の統合が検討されており、実現すれば、古川地区に設置される予定の統合警察署は、「大崎警察署」という名称が仮称として示されている。

消防

医療

救急指定病院

経済

産業

第一次産業

第二次産業

  • 電子機器工場(アルプスアルパイン古川開発センター・古川第2工場)、精密機械工場(ケミコン宮城)
  • 住宅建材工場(三本木地区・YKK AP
  • 醸造業(松山町地区・一ノ蔵酒造)など

第三次産業

古川地区に集中的に立地。鳴子の温泉、鬼首のスキー場などの観光業が盛んで鳴子温泉は東の横綱になるほど泉質が豊富。

バイオマスタウン構想

農業で出る廃棄物等(稲の藁や籾殻、家畜の糞尿、野菜くずなど)を活用し、バイオマス製品やエネルギーに再利用する取り組みを進めている。三本木や鳴子温泉で栽培される菜の花、田尻の蕪栗沼に生息する葦など、大崎市ならではの資源も利用する。

商工団体

  • 古川商工会議所
  • 大崎商工会
  • 玉造商工会

郵便

郵便局

  • 田尻郵便局(集配局)
  • 三本木郵便局(集配局)
  • 岩出山郵便局(集配局)
  • 川渡郵便局(集配局)
  • 鳴子郵便局(集配局)
  • 鬼首郵便局(集配局)
  • 松山郵便局
  • 陸前大貫郵便局
  • 本田尻郵便局
  • 敷玉郵便局
  • 古川稲葉郵便局
  • 古川南町郵便局
  • 古川駅前郵便局
  • 古川千手寺町郵便局
  • 西古川駅前郵便局
  • 清滝郵便局
  • 荒谷郵便局
  • 真山郵便局
  • 池月郵便局

簡易郵便局

  • 鹿島台大沢簡易郵便局
  • 蕪栗簡易郵便局
  • 志田簡易郵便局
  • 高倉簡易郵便局
  • 東大崎簡易郵便局
  • 富永簡易郵便局
  • 上野目簡易郵便局
  • 西大崎簡易郵便局
  • 名生定簡易郵便局
  • 東鳴子簡易郵便局
  • 中山平簡易郵便局

教育

大学・短期大学

専修学校

高等学校

中学校

  • 大崎市立古川北中学校
  • 大崎市立古川西中学校
  • 大崎市立松山中学校
  • 大崎市立三本木中学校
  • 大崎市立鹿島台中学校

※岩出山中の校舎は建築家山本理顕の設計による現代建築で、「風の翼」が象徴的である。

小学校

※古川一小と三本木小は、文部科学省が推進する「学力向上フロンティア」指定校(フロンティアスクール)である。

特別支援学校

学校教育以外の施設

職業訓練

その他

  • 日本国際高等学院古川校
  • 日本国際高等学院鹿島台校
  • 大崎市医師会附属高等看護学校
  • 大崎市医師会附属准看護学校
  • 大崎市図書館

交通

鉄道

古川駅

中心となる駅:古川駅

東日本旅客鉄道(JR東日本)
  • 古川駅

かつて存在した鉄道路線

高速バス

路線バス

ミヤコーバスが古川駅前を基点として市内各所や栗原市・加美郡・黒川郡などへ運行している。また、鳴子温泉・鹿島台の各地域内において旧町営の路線を引き継いだ市民バスを運行しており、美里町の住民バスも古川駅前・鹿島台駅前まで乗り入れている。

道路

高速道路

  • E4 東北自動車道三本木PAスマートIC併設)、(31) 古川IC長者原SAスマートIC併設)

一般国道

県道

名所・旧跡・観光スポット

観光・レジャー

鳴子地区は温泉を主とした観光地区で、ホテル・旅館が多く立地する。陸羽東線の駅名を温泉付きに改名するなど、温泉観光には力を入れている。冬はスキー場観光、秋の鳴子峡紅葉観光でも有名である。秋田県と接する鬼首地区は東北有数のスキーリゾートであり、間欠泉が点在する。鳴子地区は大きく5つの温泉地域に分けられ、それぞれ異なる泉質を持つ個性的なエリアとして独立している。

岩出山地区は仙台移転前の伊達氏の居城である岩出山城の城下町として発展し、城下町特有の風情が漂う。有備館など歴史的建造物や遺構が数多く残る。

田尻地区の蕪栗沼(かぶくりぬま)はラムサール条約登録の渡り鳥の飛来地で、野鳥観察が行える。

松山町地区は日本酒(一ノ蔵)の醸造工場がある関係で酒ミュージアムがあり酒造りの工程や道具の展示のほか、酒の歴史や酒酔いのしくみ、酒器などの雑学も学べる。

三本木地区の「ひまわりの丘」は夏季には視界一面がひまわりの花で埋め尽くされる。更に昭和半ば程まで国内で使用されていた亜炭についての記念館がある。

鹿島台地区では江戸期・明治期以来の排水施設(注・但し所在地は松島町である)や「わらじ村長」と呼ばれ、水害克服と品井沼干拓事業に尽力した鎌田三之助に関する施設があり、鹿島台地区の水害の脅威と水害克服の歴史を学ぶことができる。他にも90余年も続く東北最大級の「鹿島台互市」が行われている。

鳴子地区

岩出山地区

三本木地区

松山地区

鹿島台地区

  • 鹿島台憩の森
  • 鹿島台学童農園
  • 鹿島台神社
  • 滝沢不動尊
  • 八穴横穴古墳
  • 石竹貝塚
  • 鳴瀬川白鳥飛来地
  • みちのく温泉(ホテル 湯治館 そよ風)
  • 鎌田三之助展示室(鎌田記念ホール)
  • 竹谷大江堀

田尻地区

古川地区

文化財

祭事・催事

1月14日のどんと祭(裸参り)、4月下旬の桜まつり、8月の夏祭り、春と秋の互市は市内各地で催される。

祭り

  • 加護坊桜まつり(4月下旬 - 5月上旬、田尻)
  • 大豆坂地蔵尊例大祭(4月24日、三本木)
  • 菜の花まつり(5月、三本木)
  • 藤まつり(5月、古川)
  • 八坂神社例大祭(7月13日 - 15日、古川)
  • 古川まつり8月2日 - 4日、古川)
  • 内川夏まつり 有備館まつり(8月第2土曜日、岩出山)
  • ひまわりまつり(8月、三本木)
  • ザ・祭り IN さんぼんぎ(8月14日、三本木)
  • 加茂神社例大祭(8月22日23日、田尻)
  • 全国こけし祭(9月上旬、鳴子)
  • 政宗公まつり(9月第2土日曜日、岩出山)
  • 米倉鹿嶋神社の献饌行事(県指定無形民俗文化財)(9月9日10日、古川)
  • 熊野神社例祭(9月18日19日、田尻)
  • コスモスまつり(9月下旬、松山)
  • 正一位 斗瑩稲荷神社秋季例大祭(10月9日10日、古川荒谷)
  • 古かわ里の秋まつり(10月第4週土日、古川)

イベント

  • 互市
    • 古川八百屋市(やおやまち)(4月 - 6月の3と7の日)※7月から11月までは毎週日曜日「日曜朝市」を開催
    • 田尻互市(4月4日 - 5日、11月上旬)
    • 鹿島台互市(4月、11月の10 - 12日)
    • 岩出山互市(4月、11月の15・16日)
  • 田尻クロスカントリー大会(2月第1日曜日、田尻)
  • パークゴルフ全国交流大会「さくらカップ」(4月下旬(前夜祭、大会)、田尻)
  • おおさきジャンボ肉まつりinかごぼう(8月第4日曜日、田尻)
  • 政宗公杯モトクロス大会(11月上旬、岩出山)
  • 岩出山バルーンフェスティバル(11月下旬、岩出山)
  • 伯楽星カップ(バレエ大会)

大崎市関連の作品

小説

  • 『漂泊の牙』 熊谷達也著(旧鳴子町などが舞台、第19回新田次郎文学賞(2000年)受賞作)

映画

ドラマ

出身有名人

政治

行政

経済

法曹

医療

学界・研究

教育

文学

芸術・文化

芸能

マスコミ

スポーツ

その他

大崎市ゆかりの著名人

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』小学館、2007年1月10日。ISBN 978-4-09-526311-3 

関連項目

脚注

  1. ^ 雪深い山里にカンガルー?宮城で目撃談相次ぐ - AFPニュース 2010年3月9日

外部リンク