大島博光

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大島 博光(おおしま はっこう、1910年11月18日 - 2006年1月9日)は、日本の詩人フランス文学者翻訳家

大島おおしま 博光はっこう
誕生 (1910-11-18) 1910年11月18日
長野県更級郡西寺尾村(現長野市松代町西寺尾)954番地
死没 (2006-01-09) 2006年1月9日(95歳没)
東京都小金井市
職業 詩人フランス文学者翻訳家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 早稲田大学文学部フランス文学科
ジャンル フランス文学、評伝、翻訳
代表作 詩集『ひとを愛するものは』
『レジスタンスと詩人たち』
主な受賞歴 多喜二・百合子賞
公式サイト 大島博光記念館
ウィキポータル 文学
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生涯[編集]

長野県更級郡西寺尾村(現長野市)に生まれる。生家は農業養蚕を営む自作小地主[1]。1928年に旧制屋代中学(現長野県屋代高等学校)を一期生として卒業。芥川龍之介ドストエフスキートルストイアナトール・フランスなどを耽読する[2]。1929年、早稲田大学第二高等学院に入学。1931年、早稲田大学文学部フランス文学科に進学、1934年に卒業[3]。卒業論文はアルチュール・ランボー論で、指導教授であった西條八十に師事し、1935年から1943年まで西条主宰の詩誌『蝋人形』[4]の編纂にあたる[5][注釈 1]。1939年、詩誌『新領土』に参加。翌40年に最初の著書である詩論集『フランス近代詩の方向』を発表した。1944年、郷里松代町疎開。46年、日本共産党に入党[2]。1950年、東京都三鷹市下連雀に居を構える。

戦後、新しい詩の活動に参加し、ルイ・アラゴンポール・エリュアールらのフランスのレジスタンス運動の中で生まれた詩を多く紹介する。チリの詩人パブロ・ネルーダスペインの詩人アントニオ・マチャードラファエル・アルベルティベトナムの詩人の詩なども翻訳し、紹介している。1962年詩人会議グループの創立に参画し、壺井繁治たちとともに民主主義文学運動の詩の分野で活躍した。1965年日本民主主義文学同盟の結成にも参加し、一時期は幹事もつとめた。

1970年代から80年代にかけては、『ランボオ』『パリ・コミューンの詩人たち』『エリュアール』『ピカソ』『アラゴン』(いずれも新日本新書のシリーズで刊行された)などフランス文化・文学の入門書を多く執筆した。1985年に詩集「ひとを愛するものは」で多喜二・百合子賞を受賞。2006年1月9日、午前10時10分、肺炎のため都内の病院で死去。享年95歳。

著書[編集]

  • 『フランス近代詩の方向』山雅房、1940年。
  • 『アラゴンとエルザ ― 抵抗と愛の讃歌』東邦出版社、1971年。
  • 『パリ・コミューンの詩人たち』新日本出版社、1971年。
  • 『愛と革命の詩人ネルーダ』大月書店、1974年。
  • 『レジスタンスと詩人たち』白石書店、1981年。
  • 詩集『ひとを愛するものは』新日本出版社、1984年。
  • 『大島博光全詩集』青磁社、1986年。
  • 『ピカソ』新日本新書、1986年。
  • 『ランボオ』新日本新書、1987年。
  • 『エリュアール』新日本新書、1988年。
  • 『アラゴン』新日本新書、1990年。
  • 詩集『冬の歌』青樹社、1991年。
  • 詩集『老いたるオルフェの歌』宝文館出版、1995年。
  • 『パブロ・ネルーダ』新日本新書、1996年。
  • 『大島博光選集1 ― 教えるとは希望を語ること』文藝出版、2007年。

訳書[編集]

  • ランボオ『地獄の季節春陽堂文庫、1938年。
  • ローラン・ド・ルネヴィルフランス語版『詩的体験』文明社、1943年。
  • 『ランボオ詩集』蒼樹社、1947年。
  • アラゴン『フランスの起床ラッパ』三一書房、1951年。
  • アラゴン『素晴らしき大地』蒼樹社、1951年。
  • 『エリュアール詩選』緑書房、1956年。
  • 『ベトナム詩集』飯塚書店、1968年。
  • 『サヌーの森 ― ベトナム短編小説集』新日本出版社(世界革命文学選)、1968年。
  • 『アラゴン詩集』飯塚書店、1969年。
  • 『ギュヴィック詩集』飯塚書店、1970年。
  • 『ネルーダ詩集』角川書店、1972年; 角川文庫、1975年。
  • 『アラゴン詩集』角川書店、1973年。
  • 『ネルーダ最後の詩集 ─ チリ革命への賛歌』新日本出版社、1974年。
  • 『アラゴン選集』(全三巻・共訳)飯塚書店、1979年。
  • フィ・カーン詩集『東海の潮』日曜舎、1997年。
  • 『マチャード / アルベルティ詩集』土曜美術社出版販売世界現代詩文庫)、1997年。
  • ゴーシュロンフランス語版詩集『不寝番』光陽出版社、2003年。

記念館[編集]

2008年7月、長野市松代に大島博光記念館が開館した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 花田清輝は同誌への寄稿文中に、ナチスに抵抗するソ連を肯定的に叙述した部分があったことで、のちに「その雑誌の編集者であった大島博光が、検閲を気にして、「大丈夫だとはおもうけれども」といささか閉口していたのをおもいだす。」と記している。(花田清輝 1966)

出典[編集]

  1. ^ 大島博光年譜(1910年 - 1935年)”. oshimahakkou.blog44.fc2.com. 大島博光記念館. 2019年8月26日閲覧。
  2. ^ a b 大島博光 略年譜”. oshimahakkou.blog44.fc2.com. 大島博光記念館. 2019年8月26日閲覧。
  3. ^ 『早稲田大学校友会会員名簿 〔昭和10年用〕』早稲田大学校友会、1934年、p.142
  4. ^ 全国書誌番号:00095362
  5. ^ 協同出版社編纂部 編『雑誌年鑑 昭和17年版』協同出版社、1942年8月29日、350頁。NDLJP:1070333/186 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]