大学入学資格検定

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大学入学資格検定(だいがくにゅうがくしかくけんてい、英語: University Entrance Qualification Examination)とは、2004年度(平成16年度)以前の日本で実施されていた、大学に入学する学力の有無を判定し、試験合格者は高校卒業者と同等の資格が得られる国家試験のことであった。大検と略称されていた。

2004年度末に廃止され、2005年度(平成17年度)より高等学校卒業程度認定試験(高認)に移行している。

概要

この大学入学資格検定という制度は、大学入学資格を有しない者(高等学校を卒業していない人)に対して、「高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうか」を認定するために検定を行い、その合格者に対して大学入学資格を与えるためのものであった。

大学入学資格検定に合格した者は、中学校卒業程度認定試験(中検)にも合格したものとみなされる。合格時に18歳未満であった者(その年度中に18歳になる者は除く)は、18歳になる年度から大学入学資格が与えられる。また、大学入学資格検定に合格している者は、高等学校を卒業した者と「同等以上の学力」があると認められるので、大学受験や就職の際の扱いは高等学校卒業程度認定試験の合格者と同じで(高卒認定試験では、大検で合格した科目は免除扱いになる。)、公務員試験や、国・都道府県・地方自治体が主催する各種国家資格試験での学歴要件を満たすことが多い。ただし、合格した場合であっても、民間企業への応募に際しては応募者を高校卒業扱いとするかどうかは、文部科学省所管の高等学校以外の学校卒業者と同様に企業によって、判断が分かれる場合もある[1]

出題は、主として多肢選択による客観式の検査方法で、解答はマークシート方式によっていた。1995年ころまでは合格難易度が高かったが、2000年代になって合格必要科目数が減ると同時に合格最低点が下がり、合格率は上昇した。

朝鮮学校などの卒業者は日本の学校教育法では高校卒業の資格とはならなかったので、これに対して大検を免除するべきかが議論となった。堤清二橋爪大三郎等は、大学入学資格検定のかわりに「高等学校学力検定試験(高検)」を新設するべきだと主張していた。[2]

履歴書の学歴欄記入例 「平成○○年○○月 大学入学資格検定合格

受検資格

以上のうち、どれかを満たす人が受検できた。かつては最後の条件が定められていなかったため、民族学校卒業者や就学免除者は、「就学義務猶予免除者等の中学校卒業程度認定試験」に合格しない限り受検資格がなく、特に民族学校卒業者は「就学義務猶予免除者等の中学校卒業程度認定試験」も受験資格がない場合もあった。

上記の条件を満たしていても、

  • 高等学校の全日制の課程に在籍している者
  • 高等専門学校に在籍している者
  • 中等教育学校の後期課程に在籍している者
  • 盲学校の高等部・聾学校の高等部・養護学校の高等部に在籍している者
  • 高等学校を卒業した者
  • 中等教育学校の後期課程を修了した者
  • 高等専門学校の第3学年を修了した者
  • 盲学校の高等部・聾学校の高等部・養護学校の高等部を卒業した者
  • すでに大学入学資格検定の全科目について合格した者

のうちどれかを満たす人は、受検資格がなかった。

注意点としては、高等学校の定時制の課程通信制の課程を卒業した者は受検できないが、在籍している者は受検できるということ、全日制の課程などに在籍する者であっても大学入学資格検定の試験日までに退学すれば受検できることである。

試験科目

廃止時点において合格に必要な科目は以下の通りで、科目数は11(現代社会でなく、倫理政治・経済を選択した場合は12)だった。選択科目は必須選択科目からの選択を除いて2科目を選択した。ただし、同一名称の科目は1つのみ。また、公民はどちらか1グループのみ。

制度の沿革

開始まで

第二次世界大戦前は、旧制専門学校進学のための「専門学校入学者検定試験(略称 専検)」(旧制中学校卒業同等資格とされた)や、「実業学校卒業程度検定試験(略称 実検)」や、「高等学校高等科入学資格試験(略称 高検)」「高等試験令第7条試験(略称 高資。高試七とも)」(前出の高検とは別資格で旧制中学4年修了と同等資格とされた。旧制高校の受験資格は中学4年修了であった)という試験があり、これらの資格試験を前身として、1951年に大学入学資格検定が始まった。

戦前において専検の合格は、「ラクダが針の穴を通るよりも難しい」と評判で、検定合格の為には、いかなる難関校でも合格ができるほどの実力を必要とした。

開始後の改訂[3]

  • 1953年 高等学校の定時制課程に在籍する者の受験が認められる。
  • 1965年 学習指導要領の改訂に伴い、合格に必要な科目数をそれまでの14科目から16科目に変更。
  • 1967年 高等専門学校の1、2年次中退者に受検資格を認める。
  • 1975年 学習指導要領の改訂に伴い、合格に必要な科目数を原則15科目に変更(以降、学習指導要領の改定に応じて合格に必要な科目数を変更)。
  • 1986年 文部科学省認定の専修学校修了者の大学入学資格が認められたことなどにより、体育、保健等が必須受検科目から外され、合格に必要な科目数が11ないし12科目となった(そのうち必須受検科目は4ないし5科目)。
  • 1988年 通信制・定時制高校の修業年限を「3年以上」[4]と学校教育法を改正。これにより、通信制・定時制高校の生徒が3年間の在籍で卒業できるようになったため、高等学校通信制・定時制在学者に合格科目を既修得単位として認定できる改訂を実施(それまで、通信制・定時制在学者で3年以内に大検合格に必要な科目をすべて満たしても高校は中退扱いで、かつ一部合格科目も単位認定されることはなかった。)。
  • 1989年 全面的にマークシートを導入。
  • 1996年 必須受検科目が4ないし5科目から8ないし9科目へ増加。
  • 2001年 この年より受検機会が年2回となり、それに加え合格に必要な科目数が従来の11ないし12科目から9ないし10科目に減少した。ただし、2度目の開催月は会場確保の観点などから年により変動していた。
  • 2004年 最後の大学入学資格検定を実施。
  • 2005年 高等学校卒業程度認定試験を新設。従前の大学入学資格検定は廃止された。

大学入学資格検定(およびその前身に相当する試験)を受けた有名人

氏名五十音順。肩書きは当時のもの。

専検・高検など

専門学校入学者検定#合格者の例を参照。
井上光晴[5]
作家。
大宅壮一
ジャーナリスト。旧制中学を放校処分となり、資格検定合格で旧制高校の入学資格を得て、第三高等学校に入学した。
椎名麟三[6]
作家。
四宮和夫
法学者
高木惣吉
海軍少将。
中島知久平
海軍機関大尉、政治家、経営者
中野孝次
作家、独文学者。専検を経て、熊本の旧制第五高等学校に入学。
平林剛
昭和期の政治家。衆議院議員、日本社会党書記長。
舩坂弘
軍人。
益谷秀次
昭和期の政治家。衆議院議員、衆議院議長、副総理。
三井理峯
政治活動家。通算6回の各種選挙に出馬し、いずれも落選。同氏の選挙姿勢は小林よしのりの著書ゴーマニズム宣言に影響を与える。
南喜一
昭和期の男性実業家。元国策パルプ日本製紙の前身の一つ)会長。ヤクルト本社会長
山下元利
政治家、防衛庁長官。当時史上最年少の15歳で専検に合格し、第一高等学校に入学。
和島岩吉
弁護士、日弁連会長。

大検

家本賢太郎
株式会社クララオンライン代表取締役社長。中学在学中に脳腫瘍摘出手術後、車椅子生活となるも同社を15歳で起業した。
石堂淑朗
脚本家、評論家。
伊集院光
高校3年の3月に中退。ラジオ番組伊集院光のOh!デカナイトの企画として大検を受検。世界史で受験するが、不合格となり、いまだに大学入学資格を得られていない。
磯村懋(いそむら つとむ)の子女
愛知県豊橋市で私塾を経営する父・磯村懋が中学校での管理教育に疑問を抱き、子女に制服不着用等の行動をさせることで中学校に反抗。高等学校進学にあたっては、内申書重視の高校進学はしない方針とし、息子・娘が独自の学習法で大学入学資格検定に挑み16歳で合格、1982年長男が東京大学1983年次男、1987年長女が京都大学に現役入学した。
長男合格の際はあまり話題にならなかったが、次男が京大に合格すると新聞・雑誌で一気に話題になった。
1983年に手記が書籍にまとめられ、『中卒・東大一直線』の名前でドラマ化もされたことで、大学入学資格検定の存在が一般に浸透される結果となった。
板野博行
東進ハイスクール国語科講師。学習参考書多数執筆。
稲泉連
ノンフィクション作家。2005年、25歳の時に著書『ぼくもいくさに征くのだけれど』にて大宅壮一ノンフィクション賞受賞
井上悦子
プロテニス選手
今枝仁
弁護士。高校を1年で中退後、ひきこもりとなったが大検を経て上智大学法学部へ進学。弁護士として活動する前に東京地方検察庁検察官であった経歴があり、木村拓哉主演のドラマ「HERO」の主人公のモデルとも言われる。
内田樹
思想家神戸女学院大学教授。素行不良で東京都立日比谷高等学校を退学になり大検に合格、東京大学に進学。
小飼弾
オープンソース開発者。アルファブロガーを自認する。元オン・ザ・エッヂ取締役
笠谷圭司
三田市議会議員。東大卒業後、時事通信社の記者を経て28歳で市議会議員となった。
香葉村多望
シュノーケルメンバー。大検に合格し大学に進学。大学では臨床心理学を専攻していたが、学費が払えず中退。
川合達彦
日本中央競馬会所属騎手。合格後に立命館大学に進学し留年せずに卒業した「学士騎手」。
菅源太郎
政治活動家。
栗田哲也
数学参考書執筆者。大学入学資格検定合格後、東京大学に入学した。
斉藤とも子
女優。大学入学資格検定合格後、東洋大学社会学部社会福祉学科に入学、卒業した。
西原理恵子
漫画家。土佐女子高を高3時に中退後、大学入学資格検定合格、武蔵野美術大学入学。
ジェームス三木
脚本家
角田裕育
ジャーナリスト
外山恒一
政治活動家。
中條寿子
ギャル系のヘアメイク&ファッション雑誌『小悪魔ageha』編集長。
直井由文
BUMP OF CHICKENメンバー。中学時代からプロ入りを決意し、父に頼んだところ「18歳までに大検と調理師免許を取ったら好きにしていい」と言われ、高校へ行かずに調理専門学校へ通い、見事約束を果たす。よって、大検と調理師免許を所有している。
中森明夫
コラムニスト。明治大学附属中野高等学校を中退し、大検を経て和光大学を卒業。
中村喜和
一橋大学名誉教授。ロシア文学者。ロモノーソフ金メダル大佛次郎賞受賞。高校中退後大検合格。
平田オリザ
劇作家・演出家。都立駒場高校定時制在学中に合格。合格当時は大検を高校の単位に認定する制度がなかったので高校は中退した。
廣松渉
東大名誉教授。哲学者。
前田庸
学習院大学名誉教授。商法学者。元法制審議会会社法部会長
堀田純司
作家。
三好春樹
介護リハビリテーション理学療法士)の専門家。著書多数。
三矢直生(みつや なお)
宝塚歌劇団卒業生。大学入学資格検定合格後、東京芸術大学入学。
皆吉淳延
教育評論家。早稲田ゼミナール講師。勉強嫌いだった自身の経験を踏まえた著書もある。
銘苅美世
医師。元宝塚歌劇団花組娘役。
安田成美
女優。芸能活動多忙で高校を中退。後に大学入学資格検定に合格し、明治学院大学に進学するも、やはり芸能活動多忙のため、2年で中退。
山田花子 (漫画家)
漫画家。月刊ガロなどで活動したが、24歳で自殺。
山田ルイ53世
漫才コンビ「髭男爵」のツッコミ担当。プロフィール上はソルボンヌ大学卒業となっているが、実際は六甲高等学校中退後に大検に合格し、愛媛大学法文学部に進学するも中退している。
横田由美子
ルポライター。
吉永小百合
女優。高校時代にすでに日活の清純派女優であり多忙であったため高校を中退。大学入学資格検定に全科目合格することが出来なかったが、早稲田大学に高卒と同等の学力があると認められ推薦で早稲田大学夜間部に入学した。
女優。
藤田直哉
SF・文芸評論家。北嶺高等学校中退後、大検を経て早稲田大学第一文学部(文芸専修)卒業。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。
栗原裕一郎
評論家。小学校と中学校で登校拒否、東京都立日比谷高等学校中退、大検から駿台予備校を経て東京大学理科一類除籍。

大検を扱っているメディア

参考文献

  1. ^ 「高等学校卒業程度認定試験(高卒認定)に関する調査結果」(文部科学省)
  2. ^ 書籍
  3. ^ 大学入学資格検定(大検)の制度の変遷について(文部科学省)
  4. ^ 定時制通信制教育の振興(文部科学省)
  5. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
  6. ^ 『椎名麟三全集』第20巻(冬樹社)所収「早稲田講義録で専検をパス」

関連項目