大伴男人

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大伴 男人(おおとも の おひと、生没年不詳)は、奈良時代貴族内大紫位大伴馬来田の子で、子に小室がいたとする系図がある[1]官位従四位下長門

経歴

持統天皇7年(693年)内蔵允を務めていた際、坐贓の罪により位階を二階下げられ、典鑰の置始多久菟野大伴(いずれも降階は一階)とともに解官された。罪状は明らかでないが、内蔵寮倉庫から官物を盗んだものとみられる[2]

その後、従五位下叙爵ののち、大宝3年(703年大倭に任ぜられる。和銅元年(708年衛門督を経て、和銅6年(713年)従五位上から二階昇進して正五位上に、和銅8年(715年従四位下元明朝末にかけて昇進した。元正朝の霊亀3年(717年)に長門守に任ぜられて以降、六国史に動静に関する記録がない。

脚注

  1. ^ 鈴木真年『百家系図』巻59,大伴宿禰
  2. ^ 森田悌『天武・持統天皇と律令国家』

参考文献

  • 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社学術文庫、1992年
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年