外池大亮
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名前 | ||||||
愛称 | トノ | |||||
カタカナ | トノイケ ダイスケ | |||||
ラテン文字 | TONOIKE Daisuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1975年1月29日(49歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市港北区 | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW、MF、DF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1997-1999 2000-2001 2001 2002 2003 2004 2005 2006-2007 2008- |
ベルマーレ平塚 横浜F・マリノス 大宮アルディージャ 横浜F・マリノス ヴァンフォーレ甲府 サンフレッチェ広島 モンテディオ山形 湘南ベルマーレ 横浜GSFCコブラ |
32 (8) 12 (4) 2 (0) 43 (7) 6 (0) 19 (0) 27 (2) 41 (8) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
外池 大亮(とのいけ だいすけ、1975年1月29日 - )は、神奈川県横浜市出身のサッカー選手。現役時代はフォワード、ミッドフィールダー、ディフェンダーとさまざまなポジションをこなした。
現在は電通社員。
来歴・人物
甲府のマッチデイ・プログラム「ヴァンすぽ!」6号(2003年5月10日発行)のインタビューコーナーで、7歳からサッカーを始め、大学4年のときにプロ入りを目指すようになったと答えている。
プロ入り当時は長身を生かしたヘディングを武器にフォワードとして活躍。1997年5月10日Jリーグ1stステージ第8節ベルマーレ平塚対サンフレッチェ広島がプロデビュー戦。この試合で初ゴールを決め、かつVゴールでチームに勝利をもたらした。
1999年、チームの親会社撤退による経営縮小を迫られ、主力選手を放出する中、開幕前はDFにコンバートされチームを引っ張る。J1残留争いに苦しむチームは、終盤再び外池をストライカーに指名。この活躍が評価され、横浜F・マリノスに移籍。所属中期にはレギュラーとして活躍するも、低迷するチームの変換期に差し掛かり、2002年シーズン終了後に戦力外通告を受ける。
その後、ヴァンフォーレ甲府にトライアウトの末入団。ヴァンフォーレ甲府では、身体能力の高さと豊富な経験を買われてボランチにコンバートされ、レギュラーの座を勝ち取る。特にシーズン前半ではチームの強い牽引力となった。後半は疲れからか幾分精彩を欠いたが、プロ意識の低かった当時の甲府の中で、敗戦後にも観客に挨拶をするなどプロ選手としての在り方を身をもって示した。
その後、2004年にはサンフレッチェ広島、2005年にはモンテディオ山形を経て、2006年から古巣の湘南ベルマーレに復帰。副キャプテンを任される。2006年5月3日のヴィッセル神戸戦で復帰初ゴールを記録した。2007年から背番号をデビュー時の19に戻し、ポジションも再びフォワードに変更。又、選手会長に選任される。
2007年11月25日、ホーム最終戦で選手会長としての挨拶の後、涙ながらに自身の引退を発表。菅野監督など、ごく一部の関係者以外には極秘にされていた。
自身のウェブサイトに細かい情報などをこまめに発信、その暖かな人間性もあり、以前所属したチームのファンからも愛される存在だった。
現在は広告代理店の電通に就職し、主にサッカー事業に携わる仕事をしながらアマチュアサッカー選手として横浜GSFCコブラでプレーをしている。また、スカパー!でヴァンフォーレ甲府戦の解説者も務める。
エピソード
- 2003年以降、徐々に成績を伸ばしていた甲府だが、当時のチームは、選手の意識が低く、試合後の観客の声援に感謝を持って応えることなど、当たり前のことすら出来ていなかった。その中で、外池は試合終了後、(時には一人で)観客席前で感謝を表すなど、プロ選手としての範を示した。
- 学習意欲が強く、又、自身の体験を通じて学び得たことを伝えようとする姿勢を貫く。オフ期間に体験したインターンシップ数も、全てのJリーガーの中でダントツの数を誇る。オフィシャルホームページでは、自身の日々の思いを綴り続け、ファンにメッセージを発信している。
- 2007年シーズン、勝負をかけると周囲にも宣言する中、2007年4月15日の東京ヴェルディ1969戦にて交代直後に鮮やかなヘディングでゴールを決めた。試合後のサポーターとのダンスではユニフォームを振り回して踊り、感涙する姿も。J2降格以前のベルマーレを知る数少ない選手であることに加え、ホームページでの情報発信が盛んであることもあり、湘南サポーターからの信頼は厚い。
所属クラブ
- 早稲田実業学校高等部
- 早稲田大学
- 1997年 - 1999年 : ベルマーレ平塚
- 2000年 - 2001年途中 : 横浜F・マリノス
- 2001年途中 - 同年末 : 大宮アルディージャ
- 2002年 : 横浜F・マリノス
- 2003年 : ヴァンフォーレ甲府
- 2004年 : サンフレッチェ広島
- 2005年 : モンテディオ山形
- 2006年 - 2007年 : 湘南ベルマーレ
- 2008年 - : 横浜GSFCコブラ
経歴
- Jリーグ初出場 - 1997年5月10日 J・1st 第8節 対サンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)
- Jリーグ初得点 - 1997年5月10日 J・1st 第8節 対サンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 早大 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | |||
1996 | 早大 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||
1997 | 平塚 | 19 | J | 9 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 3 |
1998 | 平塚 | 19 | J | 8 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 12 | 3 |
1999 | 平塚 | 5 | J1 | 24 | 4 | 2 | 0 | 1 | 1 | 27 | 5 |
2000 | 横浜FM | 19 | J1 | 25 | 8 | 6 | 3 | 3 | 0 | 34 | 11 |
2001 | 横浜FM | 19 | J1 | 7 | 0 | 3 | 0 | - | 10 | 0 | |
大宮 | 9 | J2 | 12 | 4 | - | 1 | 0 | 13 | 4 | ||
2002 | 横浜FM | 14 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2003 | 甲府 | 17 | J2 | 43 | 7 | - | 3 | 1 | 46 | 8 | |
2004 | 広島 | 4 | J1 | 6 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 |
2005 | 山形 | 5 | J2 | 19 | 0 | - | 2 | 1 | 21 | 1 | |
2006 | 湘南 | 6 | J2 | 14 | 1 | - | 0 | 0 | 14 | 1 | |
2007 | 湘南 | 19 | J2 | 13 | 1 | - | 0 | 0 | 13 | 1 | |
通算 | 日本 | J1 | 82 | 16 | 20 | 5 | 4 | 1 | 106 | 22 | |
日本 | J2 | 101 | 13 | - | 6 | 2 | 107 | 15 | |||
日本 | 他 | - | - | 4 | 1 | 4 | 1 | ||||
総通算 | 183 | 29 | 20 | 5 | 14 | 4 | 217 | 38 |
その他の公式戦
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点