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塩の結晶

(しお)は、塩化ナトリウムを主な成分とし、海水乾燥岩塩の採掘によって生産される物質。塩味をつける調味料とし、また保存(塩漬け・塩蔵)などの目的で食品に使用されるほか、ソーダ工業用・融氷雪用などにも使用される。

なお、日本の塩事業法では「塩」とは、「塩化ナトリウムの含有量が100分の40以上の固形物」(ただし、チリ硝石カイニットシルビニットその他財務省令で定める鉱物を除く)と定義される(塩事業法2条1項)。

塩の製法

塩は大きく分けて以下の4つの原材料から作られる。

岩塩
岩塩を採掘する。主にヨーロッパ北アメリカにて行われる。岩塩はその昔、海であった土地が地殻変動により地中に埋まり海水の塩分が結晶化し地層となったものである。岩塩の製法は溶解採掘法と、乾式採掘法に分かれる。溶解採掘法は一度水に溶かし、煮詰めて塩を取り出す。不純物が少なく欧米では食用として一般的に用いられる製法である。一方、乾式採掘は直接掘り出す方法で、不純物が混じりやすく、また硬いので食用には適さない。
海塩(天日塩など)
塩田において天日製塩法で作る。西ヨーロッパメキシコオーストラリアなど。海塩は主に天日製塩法で作られる。この製塩法は、海水を塩田に引き込み、1〜2年程度の期間で塩田内の細分化された濃縮池を巡回しながら太陽と風で海水を濃縮していき採塩池で結晶化した塩を収穫する方法である(メキシコやオーストラリア・ヨーロッパの沿岸地域に多い)。なお、アメリカの一部の州や韓国では好塩菌混入などの問題から天日塩の直接の食用使用を制限ないし禁止している。
海水
海水をいったん濃縮した後に煮詰める。イオン交換膜製塩法・揚浜式製塩法・瞬間結晶など。海水はその昔、岩中の成分であった塩分などが雨により水中に溶け出し塩水となったものである。
湖塩
塩湖などから採取する。

世界の塩資源の6割が岩塩、4割弱が天日製塩法による天日塩である。

日本

日本では岩塩としての資源がなく、固まった塩資源は採れない。また、年間降水量も世界平均の2倍であることから日照時間が比較的長い瀬戸内地方能登半島など、一部地域以外は塩田に不向きである。このため、塩の作るには、もっぱら海水を煮詰めて作られる。これは、天日干しに比べて、燃料や道具などが必要になるためコストがかかり、大規模な製塩には向かない方法である。そのため、日本では食塩を除き、全体の自給率が15%と低い[1]

海水から製塩するには、直接海水を煮詰めて食塩を得るより、一度、濃度の高い塩水を作ってから煮詰めたほうが効率が良い。この濃い塩水を「鹹水(かんすい)」と言い、この作業を「採鹹(さいかん)」、また煮詰める作業を「煎熬(せんごう)」という。

古代の日本の製塩法は、文献や民俗資料から推測されている。古墳時代までは、『万葉集』に「藻塩焼く(もじおやく)」「玉藻刈る(たまもかる)」などと枕詞にあるように、海岸に打ち上げられたホンダワラなどの海草が天日で乾燥されて表面に析出した塩の結晶を、(かめ)に蓄えた海水で洗い出し、塩分を海水のほうに移す作業を何回も繰り返すことにより鹹水を得るというのが一説だが、また、打ち上げられた海草を集めて焼き、その灰を海水に溶いて塩分や海草のヨードなどの養分を溶かし出し、灰を布で濾し出して鹹水を得るという説もある。海水を煮詰める工程において専用に用いられた土器は、製塩土器と呼ばれている。沿岸各地の遺跡、遺物埋抱地で見つかっている。この製法は中国地方では弥生時代中期頃に、岡山県児島半島付近で始まったといわれている。遺跡は、岡山県下では足守川や旭川の下流域、さらには邑久平野へと広がっている。

その後、万葉時代頃から、揚浜式塩田などの塩田法による製塩に移行していった。江戸時代の江戸塩職人は「壷焼塩」と呼ばれる塩を作っていた。これは、石臼で挽いた粗塩を素焼きの壺に入れ釜で二昼夜以上高温で焼いて作り上げるが、非常に高価で貴重であることから、黒船で来日したマシュー・ペリーをもてなす宴会二の膳に出された[2]

揚浜式製塩法は入浜式製塩法、1950年代には枝条架(しじょうか)式とも呼ばれる流下式製塩法、1970年代にはイオン交換膜製塩法へと変化していった。このような海水からの製塩法では、副産物として豆腐の原料となるにがりができる。

塩の製造販売の自由化以降は日本各地で流下式といった過去に行われていた製法が復刻され、水分を瞬間的に蒸発させる加熱噴霧といった新しい製法で作られる塩も流通している。

塩の表示問題

塩の製造販売の自由化以降、銘柄数が増えた家庭用塩[3]について、消費者からは「家庭用塩の表示が判り難い」との情報が寄せられていた。2004年(平成16年)7月21日公正取引委員会は、日本で採取された塩であると誤認される表示を行い輸入塩を販売しているとして塩の販売業者9社に、景品表示法第4条(優良誤認)の規定に違反するおそれがあるものとし警告を行ったと発表し[4]、同年9月、東京都は塩業界による表示の自主ルールを策定することを提案した[5]。これを受けて以下のような提案がされた。

  • 自然」、「天然」の表示は、使用しない。
  • 「ミネラルたっぷり」など、ミネラルの効用・優位性を示す表示は、使用しない。
  • 「最高」「究極」など、最上級を示す表示は、根拠となる客観的な事実がある場合を除いて、使用しない。
  • 無添加」の表示は、優良性の根拠となる客観的な事実がなければ、使用しない。
  • 食塩の製造方法について、「原料」や「製造過程」の表示枠を独自に設け、消費者にわかりやすく表示する。
  • JAS法に基づく必要表示事項の表示(枠内表示)について、「名称」「原材料名」の記載を標準化し、消費者にわかりやすく表示する。

こういった経緯から、「食用塩公正取引協議会準備会」が発足し、公正競争規約作成への準備が進められ[6][7]2008年(平成20年)4月18日に公正取引委員会において2年間の猶予期間を前提に

  • 自然塩」「天然塩」およびそれに類する用語は使用できない。
  • 海洋深層水使用」により品質が優れていることを表示するにはその合理的な根拠を示す必要がある。
  • ミネラル豊富を意味する表記は不当表示となる。(ナトリウムはミネラルである)

といった内容を始めとした「食用塩の表示に関する公正競争規約」が認定され、2008年(平成20年)5月21日に食用塩公正取引協議会が正式発足、2010年(平成22年)4月21日から施行された。 表示が適正で消費者をごまかすものではないことを示すものとして、以下のマークが製品に表示される。(全製品に添付されるまでに2012年(平成24年)4月21日までの猶予期間あり)

ファイル:Solt Fair Trade Council japan.PNG

塩の販売の歴史

塩は人間の生存に必須のため、古くから政治的、経済的に重要な位置を占めていた。世界各地に海岸部の塩田や内陸部の塩湖から塩を運ぶ道があり、塩を扱う商人は大きな富を得た。ロシアの大商人で貴族にもなったストロガノフ家は塩商人を前身とした。

特に中国では前漢時代より塩の専売が行われており、2000年にわたる皇帝支配の財政的基盤となった。『塩鉄論』のように、塩の専売制度を巡る議論は前漢から行われている。一方で、王朝による高額な専売塩より安く塩を密売して巨額の利益を上げる者(塩賊)もおり、その中でもを崩壊させる黄巣の乱を起こした黄巣は有名である(中国塩政史も参照)。

日本における塩の専売

日本でも江戸時代に財政確保もしくは公益を目的として塩の専売を導入するが多くあった。財政確保を目的とした藩としては忠臣蔵で知られる赤穂藩はその代表格である。しかしながら入浜式塩田は潮の干満差を利用した製法のため、緯度の高い地域での生産は困難であり、その北限は太平洋側は現在の宮城県、日本海側は現在の石川県であった。東北地方北部などでは薪を大量に使い海水を直接煮詰めるという原始的な製法から脱却できず生産量は極めて少なかったため、藩が公益事業として専売制度を導入し塩の産地である瀬戸内地方からの交易で供給を確保せざるをえなかった。また、アイヌ民族においては、塩の入手のほとんどは和人との交易に頼っていた。

明治時代になり、政府でも日露戦争の財源確保のために、塩に税金を掛ける案(非常特別税法)が出たが、これに反対する人たちが塩の販売を専売制にするように提案、これが議会で通り、塩の専売制が始まった。

1905年(明治38年)、大蔵省専売局が設置されて塩の専売制が開始され、当時はタバコ樟脳とともに財源確保の目的の強い専売品であったが、第一次世界大戦期のインフレなどにより財源確保の意味合いは薄れ、国内自給確保の公益目的の専売制度に大正末期より変化した。

当時より自給率の低かった日本は需要の多くを輸入もしくは移入に頼っていたために、第二次世界大戦時には塩の輸入のストップから需要が急激に逼迫し、公益専売制度についても機能不全に陥り、1944年(昭和19年)より自家製塩制度を認めることとなった。この自家製塩制度については直煮法など原始的な製造法が大きく、品質も工業用としては不純物の多いものが多かった。この制度は1949年(昭和24年)まで続く。

戦後復興などによる工業用塩の需要増から輸入を再開し、国内製塩事業による自給確保と安価な塩の全国的な安定流通を目的に塩専売法を改正し、1949年(昭和24年)に設立された日本専売公社によって塩の専売事業を復活させる。

しかし、濃い塩水(鹹水)を作り、それを煮詰める、という伝統的な製塩方法では近代的な大量需要に対応するには限界があった。江戸時代に開発された入浜式製塩法は戦後しばらく採用されていたが、昭和20年代後半には流下式製塩法が開発された。

昭和30年代よりイオン交換膜製塩法が試験的に導入され、高純度の塩が安価に製造できるようになり(本格導入は1971年(昭和46年))、世界でも一般的な純度・価格の塩の国内製造を実現し現在まで続いている。このイオン交換膜製塩法にて製造された塩が「食塩」として食用にも販売されることとなった。イオン交換膜製塩法の本格導入に伴い、約20年続いた流下式塩田による塩の製造が廃止された。その後、ミネラルの重要性を訴えた廃業事業者を中心として「日本自然塩普及会」や「日本食用塩研究会」といった組織が発足し、流下式塩田による製塩の復活を求める活動等が行われ、輸入塩ににがり成分を混ぜた塩や流下式塩田を応用化した製法の塩の製造などについて一定の制約のもと認められることとなり、その流通量も徐々に増えていった。

その後、1985年(昭和60年)に、日本専売公社が民営化(日本たばこ産業に移行)することになり、塩の販売も専売制から徐々に自由に販売できるようになってきた。1997年(平成9年)4月には塩の専売制が廃止(塩事業法に移行)され、日本たばこ産業の塩事業は財団法人塩事業センターに移管された。

塩事業法の経過措置が終了した2002年(平成14年)4月に塩の販売は自由化された。塩の製造、販売等を行う場合、財務省への届出等が必要である。自由化に伴い、沖縄、九州、四国、大島など、日本各地で少数ながら流下式を基本とした製法で海塩が作られ、日本人の健康志向の高まりとあいまっていわゆる「自然塩ブーム」を起こした。

イオン交換膜製塩法導入後も工業需要の増加は続き、2007年(平成19年)の時点で自給率は15%程度に過ぎず国内自給確保には至っていない。なお、2007年(平成19年)の日本での塩の消費の約8割は工業用原料としての用途である[8]

コーデックス規格における食用塩の品質

国際食品規格委員会(コーデックス委員会)とは消費者の健康の保護、食品の公正な貿易の確保等を目的として、1962年にFAOおよびWHOにより設置された機関であり、世界的に通用する唯一の食品規格であるコーデックス規格(国際食品規格)の作成を行っている。食用塩についてもコーデックス規格を1985年より以下の通り定めている。日本も同委員会には1966年(昭和41年)より参加している。

  • 成分
    • NaCl純度(乾物基準、添加物除く)=97%以上
  • 副成分
  • 混入(有害)元素
  • ヨウ素添加
    • ナトリウムまたはカリウムのヨウ化物塩またはヨウ素酸塩
      • 米国等では添加が義務づけられている。ヨウ素の項目を参照。
  • 固結防止剤
    • カルシウムまたはマグネシウムの炭酸塩、酸化マグネシウム、リン酸三カルシウム、二酸化ケイ素、カルシウムまたはマグネシウムのアルミノケイ酸塩=2%
    • ミリスチン酸パルミチン酸ステアリン酸のカルシウム、カリウムまたはナトリウム塩=2%
    • カルシウム、カリウムまたはナトリウムのフェロシアン化物塩=10mg/kg(フェロシアン化物イオンとして)
  • 乳化剤
    • ポリオキシエチレンソルビタンモノオレイン酸=10mg/kg
    • ポリジメチルシロキサン=10mg/kg以下

フランスでは一部の天日塩生産者組合連合が、度重なる要請をして、フランス国内ではNaCl純度が94%以上と改正された。

天日塩に関する各国の対応

欧州連合では上記のコーデックス基準が適用されているが、フランスにおいては国内の天日塩生産者組合の活動により天日塩の塩化ナトリウム含有率を94%以上と定義する条例が2007年4月24日に成立している。

また、朝鮮半島においては、1900年代初頭から天日塩を新安郡の島々で作って来たが、現在、法的に禁止状態になっている。韓国の生産者協会のロビー活動により、この塩を認知する新しい法律が2007年9月に成立する見通しとなっていた。ただしコーデックス規格に示されている有害といわれる元素の基準については触れられていない。

栄養成分表

食品のパッケージには栄養成分表の欄に、含有塩分量の代わりにナトリウム量のみが記載されている場合がある。これは、高血圧の要因としては食塩量よりむしろナトリウム摂取量が重要視されているためである。

塩分相当量または食塩相当量とは、このナトリウムがすべて食塩に由来すると想定した場合の、ナトリウム量に相当する食塩量である。食品に含まれるナトリウム量が分かっているとき、塩分相当量(グラム、g)は、ナトリウム量(g)の2.54倍で求められる。ただし、食品にはアミノ酸塩などの形でもナトリウムは含まれるため、塩分相当量は実際に食品に含まれている食塩量に比べて若干大きくなる。

塩は常温においてきわめて安定した物質であり、腐敗もしない。そのため、賞味期限を設定することを免除されている。

塩分の過剰摂取と摂取不足

塩分がないと、地球上の多くの生物は生命を維持することができず、生命にとって欠かせないものである。しかし、塩分の取り過ぎは高血圧腎臓病心臓病などの遠因となる。そのメカニズムは完全に解明されてはいないが、一般には血中のイオン濃度を一定範囲に保つため水分を取るようになり、血液を含む体液の量が増え血圧が高まるとともに、これを体外に排出するのを司る腎臓に負担がかかるためとされている[9][10]

2005年(平成17年)版の「日本人の食事摂取基準」では、1日の塩分摂取量を男性成人で10g以下、女性成人で8g以下を推奨し、同時に高血圧を予防するために、過剰なナトリウムを排出する作用のあるカリウムの摂取基準も定めている。カリウムは野菜や果物に多く含まれる。日本の食生活指針と健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)では1日10g以下を目標としている[11]

2003年世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)による「食事、栄養と生活習慣病の予防[12] 」(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases) では、1日5g以下(ナトリウム2g以下)とされ、中国の広東式の塩蔵の魚は鼻咽頭癌のリスクを上げる、塩や塩蔵の食品は胃癌のリスクが上がることが起こりうるとしている。

厚生労働省による研究では、塩分濃度の高い食事を日常的に摂取する人たちは、そうでない人たちに比べて胃癌となるリスクが高いことが統計的に示されている[13]

2007年11月1日世界がん研究基金アメリカがん研究協会によって7000以上の研究から分析したがん予防の報告書[14]では、中国の広東式の塩蔵の魚は鼻咽頭癌のリスクを上げると報告している。

しかし、現在では、塩分の過剰摂取を恐れるあまり塩分を控えることが常識となってしまったため、極端な塩分の制限により塩分の不足が起こり、昏睡状態となって病院に運ばれる者や死亡する者も出ている。命を取り留めても、慢性的に塩分が不足していた場合、血中のイオン濃度を低いレベルで一定範囲に保とうとするように体が変化してしまっているため、一般的な塩分の補給量ではすぐに塩分が排出されてしまうので、長期間にわたって塩分を大量摂取する治療を行わなければならなくなる。

また、上記ほどの塩分の不足でなくても、炎天下の運動の際等、汗をかいた際には水分だけでなく塩分も排出されるが、それにも拘らず水分だけを補給すると血中のイオン濃度が低くなる。体は血中のイオン濃度を一定範囲に保とうとさらに汗をかいたり排尿しようとしたりするため、さらに水分不足となり熱中症や痙攣を引き起こす場合もある。そのため、高温環境下で作業を行う鋳物工場などでは、作業員の塩分補給用に食塩が置かれている。

また、現在いわゆる食塩として販売されているもののほとんどが、イオン交換膜製塩法によって生成された塩化ナトリウム99%以上のものであることも問題視されている。食塩の相当量は以下のような計算で求められる。[15]

食塩相当量(g)=ナトリウム(g)×58. 5/23=ナトリウム(g)×2. 54

岩塩や、海水を蒸発させて精製される食塩は、マグネシウム、カリウム、カルシウムを含んでいる。しかし現代の食塩はイオン交換法で精製されるものがほとんどであり、ナトリウム以外のミネラルが非常に少ない。そのため現代の食塩ではナトリウムのみに偏って過剰摂取することになってしまう。またカリウムにはナトリウムを体外に排出する効果があるので、それを含まない塩はなおさらナトリウムの過剰が問題になる。上記の塩分の過剰摂取の問題も、実際には塩というよりもナトリウムの過剰摂取の問題と言ったほうがよい。

なお、近年は塩化カリウムを添加し塩化ナトリウムを50%程度まで減らした低ナトリウム塩も登場している。

塩が関係する言葉・故事・慣例など

五十音順で表記。

日本

日本手話の:塩で歯を磨く動作から。
御塩
伊勢神宮での神事に用いられる塩は、塩田で作られた後、御塩殿神社にあるかまどで焼き堅められる。
清めの塩
日本神道で塩は、穢れを祓い清める力を持つとみなす。そのため祭壇に塩を供えたり、神道行事で使う風習がある。また、日本においては死を穢れの一種とみなす土着信仰がある(神道に根源があるという[16][出典無効])。そのため葬儀後、塩を使って身を清める風習がある。これは仏教式の葬儀でも広く行われるが、仏教での死は穢れではないとして葬儀後の清めの塩を使わない仏教宗派もある。
沖縄県宮古島では神道や仏教ではないが、土地の習慣で海でお祓いをする儀式の時に塩を用い、また、清めの意味で玄関などに袋入りの塩を置く。
さらに、相撲においては、取組み前に塩を使って土俵を清める。これは、神道思想に基づくものであるが、同時に塩による殺菌効果がある[17]
また、家に来た嫌な客が帰った後に、清めるのはもちろん二度と家に来ないようにと玄関に塩をまくこともある。
塩をまいたり、後述の盛り塩をしたりするのは悪霊ばらいの意味もある。
古来よりも殺菌・洗浄効果のある身近な化学物質として用いられ、清め塩同様に穢れを祓い清めることに用いられることがあった。
敵に塩を送る
内陸国である甲斐武田信玄と日本海に面した越後上杉謙信は当時交戦中であった。その最中、当時甲斐に塩を供給していた駿河の今川氏は武田氏と反目し始め、甲斐への塩の輸出を絶ってしまう。それを知った謙信は、永禄11年1月11日(1568年2月8日)に、越後の塩を送ったとされている(ただし、これはただ単に武田との物資のやり取りの禁止をしなかっただけとも言われている)。敵対国であるにも拘らず、塩を送った謙信の行為は高く評価され後世に伝わる。ここから「敵に塩を送る」(敵対する相手に援助を差し伸べること)という言葉が生まれた。長野県松本市中央の本町にはその時塩を積んだ牛をつないだという「牛つなぎ石」が残っている。
手塩に掛ける
自分自身の手で大切に育て上げること。近年では加工食品などを丁寧に作る時などにも用いる。類似する言葉として「腕に縒りを掛ける」「丹精を込める」「手間隙掛ける」などがある。手塩とは、食膳に清めとしてや好みの塩加減にするために盛られた塩のことで、その塩で味の調整をすることを手塩に掛けると言ったのが語源である。
日本手話の塩
日本人は、かつて塩で歯を磨いていたことに由来する。
盛り塩
日本国内で飲食店など第三次産業の店舗入り口に塩を盛り付けておく慣習で、客を集める縁起担ぎであり、又、厄除け、魔除けの意味も持つ。

確証は無いが、由来は一般には西晋武帝(司馬炎)の故事にあるともいわれる。司馬炎は毎晩羊に引かせた車に乗って後宮を巡り、羊が立ち止まった部屋の女性と一夜をともにすることにしていた。あるとき数日続けて同じ部屋の前で羊が足を止めることがあった。その部屋に住んでいる女性が通路に盛り塩を置いておき、羊は塩を舐めるためにそこに立ち止まったという。

日本以外

語源
古代ローマにおいて、兵士への給料として塩(ラテン語 sal)が支給された。英語の salary (サラリー:「給与」)はここに由来している。
食品に関する語彙には当然ながら「塩」に由来するものが多い。ラテン系由来の語彙に限っても、「サラダ(salad)」「ソース(sauce)」「サルサ(salsa)」「ソーセージ(sausage)」「サラミ(salami)」などは明らかである。
英語の salt (ソルト:塩)はラテン語に由来するわけではないが、より古いインド・ヨーロッパ語の基層において同じ語源につながる語であり、この事実自体、先史時代以来、塩がいかに身近で重要なものだったかを示していると言える。日本でもが出回る以前には塩壺を数個で城・屋敷を購入することが出来た時代もある。これらを踏まえ、日本の「敵に塩を送る」という行為が「お金を送る=援助する」という意味を持つということに関連していると思われる。
塩の柱
創世記第19章において、悪徳都市ソドムとゴモラが滅ぼされる際、神の使いが脱出するロトの家族に振り返るなと告げたが、ロトの妻は振り返ってしまい(見るなのタブー)、「塩の柱」となってしまったという記述がある。
地の塩
マタイによる福音書には「地の塩、世の光」を規範として述べている部分がある。ほか、マルコによる福音書ルカによる福音書に記述がある。塩は腐敗を防ぐことから、道徳や行いの優れた、社会の規範となるべき人々を示す比喩。
独立の塩
1930年マハトマ・ガンディー並びに彼の支持者が、イギリス植民地インド政府による塩の専売に反対し、製塩を行うための抗議行動のために塩の行進を行う。インド独立運動におけるガンディーの非暴力不服従の象徴とされる。

料理における塩

  • 振り塩
  • 化粧塩
  • 立て塩

その他

  • 女房言葉では「波の花」とも呼ぶ。塩(死を)連想させる忌み言葉のため。
  • 塩を保管する際には吸湿などを防ぐためにソルトシェーカー(塩入れ)などの容器で保管される。

脚注

関連項目

外部リンク

サイト
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