堺市立美木多小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Pitapa icoca (会話 | 投稿記録) による 2016年1月23日 (土) 09:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎交通)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

堺市立美木多小学校
過去の名称 堺県泉州第十六番小学校
大鳥郡上村小学校
大鳥郡上村簡易小学校
大鳥郡上村尋常小学校
泉北郡上村尋常小学校
泉北郡美木多尋常小学校
泉北郡美木多尋常高等小学校
泉北郡美木多国民学校
美木多村立小学校
福泉町立第三小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 堺市
設立年月日 1874年10月15日
創立記念日 10月15日
創立者 泉北郡美木多村
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 590-0132
大阪府堺市南区鴨谷台1丁48番1号
北緯34度28分28.5秒 東経135度29分2.2秒 / 北緯34.474583度 東経135.483944度 / 34.474583; 135.483944
外部リンク 公式サイト
プロジェクト:学校/小学校テンプレート
テンプレートを表示

堺市立美木多小学校(さかいしりつ みきた しょうがっこう)は、大阪府堺市南区にある公立小学校

泉北郡美木多村の旧村地区と、泉北ニュータウン光明池地区の鴨谷台を校区とする。

沿革

明治時代初期の1872年美多弥(みたみ)神社境内に設置された郷学校を起源としている。

学制発布などを経て、1874年10月15日に第三大学区堺県管内第十七番中学区第十六番小学校(堺県泉州第十六番小学校)となった。学校沿革史では、第十六番小学校の発足をもって学校創立としている。

その後学校制度の改編などにより上村尋常小学校となり、さらに1900年に美木多尋常小学校と改称した。1913年には高等科を併設した。

1941年には国民学校令により、美木多国民学校と称した。太平洋戦争の影響で、堺市中心部の国民学校児童に1945年春以降学童疎開が指示されたことに伴い、美木多国民学校では1945年4月26日 より堺市錦国民学校(現在の堺市立錦小学校)からの集団疎開を受け入れた。

1947年学制改革により、美木多村立小学校となった。美木多村は1956年9月30日に泉北郡福泉町に編入された。これに伴い福泉町立第三小学校に改称し、美木多の校名は一度消滅している。

福泉町は1961年3月1日に堺市に編入された。編入の際に堺市立美木多小学校に改称し、美木多の校名が復帰している。

かつて学校は旧村部にあったが、泉北ニュータウンの開発に伴い1975年にニュータウン内の現在地に移転している。泉北ニュータウンの小中学校はニュータウン開発に伴って新設されたものが大半であるが、旧村部にあった学校を移転の上継承しているという数少ないケースでもある。

年表

  • 1872年 - 美多弥神社境内に郷学校を設置。
  • 1873年 - 堺県泉州第十五番小学校分校となる。
  • 1874年10月15日 - 第三大学区堺県管内第十七番中学区第十六番小学校(堺県泉州第十六番小学校)として開校。
  • 1875年2月 - 大鳥郡上村小学校と改称。
  • 1887年 - 大鳥郡上村尋常小学校に改称。
  • 1888年 - 大鳥郡上村簡易小学校に改編。
  • 1893年 - 大鳥郡上村尋常小学校に再改編。
  • 1896年4月1日 - 郡の合併に伴い、泉北郡上村尋常小学校と称する。
  • 1900年 - 泉北郡美木多尋常小学校に改称。
  • 1913年 - 高等科を設置。泉北郡美木多尋常高等小学校に改称。
  • 1941年 - 国民学校令により、泉北郡美木多国民学校に改称。
  • 1947年4月1日 - 学制改革により、美木多村立小学校に改称。
  • 1956年9月30日 - 美木多村が福泉町に編入されたことに伴い、福泉町立第三小学校に改称。
  • 1960年 - 完全給食を開始。
  • 1961年3月1日 - 福泉町が堺市に編入されたことに伴い、堺市立美木多小学校に改称。
  • 1965年 - 標準服を制定。
  • 1975年 - 堺市檜尾3055番地(現在地)に移転。

通学区域

  • 堺市南区 大森、別所、鴨谷台の全域。
  • 堺市南区 檜尾、美木多上のそれぞれ一部。
卒業生は堺市立美木多中学校に進学する。

出身者

  • BES - レゲエ歌手

交通

関連項目

外部リンク