堅壁清野
堅壁清野(けんぺきせいや)は、焦土作戦の一種。中国では古来からの戦法とされ[1]、古くは『後漢紀』巻四にも現れるが、特に日中戦争(支那事変)期に中国国民党軍によって行われたものを指すことが多い[2][3]。城壁に囲まれた市街地内に人員を集中させ(堅壁)、城外は徹底して焦土化する(清野)ことで、進攻してきた敵軍は何も接収できないようにして疲弊させ、持久戦を有利に運ぶ狙いで行われる。
日中戦争時には、国民党軍は日本軍・中国共産党軍の双方に対しこの作戦を取った。焦土化の対象は、軍事施設や食糧倉庫のみならず田畑や民家にまで及んだ。南京攻略戦の際、国民党軍により南京城外の周囲15マイル(およそ24km)が焦土化された。
また、三光作戦は堅壁清野作戦を日本軍の仕業として中国側が報道したものだという説もある。