堂上直倫
中日ドラゴンズ #63 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県春日井市 |
生年月日 | 1988年9月23日(35歳) |
身長 体重 |
184 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、二塁手、遊撃手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2008年8月3日 |
年俸 | 1,800万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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堂上 直倫(どのうえ なおみち、1988年9月23日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
高校時代は超高校級スラッガー、尾張のプリンスとも呼ばれた。愛称は「ナオリン」(直倫の“倫”を音読みに変えている。)
父の堂上照は元中日ドラゴンズ投手。兄の堂上剛裕は読売ジャイアンツ所属の外野手。
来歴・人物
プロ入り前
小学校時代に、「名古屋北リトル」で野球を始めた。そこでは、投手以外にも遊撃手の守備に就いた。春日井市立知多中学校在学時にも、「名古屋北シニア」で遊撃手の守備に就いたとのこと。2003年ナゴヤドームで行われたドラゴンズのファン感謝デーで「リトルシニア東海選抜」の4番・遊撃手で出場し、投手を務めた福留孝介から左翼席へ本塁打を放った。その際、インタビューで「僕もずっと中日ファン。いつかはここでプレーしたいと思っている」と語っていた[要出典]。
中学卒業後は、愛工大名電高校に入学。1年生からレギュラーを獲得し、2005年春の第77回選抜高等学校野球大会では、4番に座り2本塁打を記録し優勝に貢献した。同年9月には全日本高校選抜として、韓国で行われた第6回AAAアジア野球選手権大会に参加し、2本塁打で最多本塁打のタイトルを獲得。ポジションは遊撃手、選抜優勝時には三塁手として出場した。高校通算55本塁打で、他校の捕手から「どこに投げても打たれるから投げる球が無い」と言わせる程の打撃センスの持ち主であった[要出典]。
2005年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、豊田大谷高校とのナゴヤドームでの決勝戦で本塁打を放った。2006年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、10四球と勝負を避けられる場面が多かったが、14打数7安打と打率5割を記録し、県大会優勝の原動力として活躍。しかし、本大会では初戦敗退を喫した。高校時代の甲子園3大会(2005年春、2005年夏、2006年夏)の通算打率は.480。
2006年ドラフト会議にて、中日、阪神、巨人の3球団から1巡目指名を受け、中日が抽選で交渉権を獲得したため、父・兄と同じチームに入ることになった。親子3人がプロ野球選手かつ同一球団に所属することは史上初であった[1]。ちなみにこの時の阪神外れ1位は野原将志、巨人外れ1位は坂本勇人である。背番号は24。
プロ入り後
プロ1年目の2007年は一軍出場はなかったが、ウエスタン・リーグでは出場試合数の8割近くを4番・三塁手で先発出場した。打率は低迷したが、本塁打はチーム3位、打点はチーム2位と、長打力と勝負強さはあった。また、シーズン終了後、福留孝介がシカゴ・カブスへ移籍したことにより、背番号を24から1に変更した。
2008年も二軍で開幕を迎えるが、北京オリンピックで荒木雅博、森野将彦が抜けたことにより若手のテストを行った結果、8月3日に初の一軍昇格を果たす。しかし、3試合に出場し、1打数無安打で7日後に二軍に降格。以後一軍に昇格することはなかった。
2009年、3月1日の北海道日本ハムファイターズとのオープン戦で金森敬之からオープン戦初本塁打となる2点本塁打を放つ。また、この2打席前には兄・剛裕も本塁打を放っており、オープン戦で同一イニングのアベック弾は史上初であったが[2]、開幕一軍を果たすことはできなかった。
2010年、6月16日に一軍昇格。その日の対日本ハム戦から先発出場、6月18日の対読売ジャイアンツ戦でプロ入り初安打、6月27日の対広島東洋カープ戦でプロ入り初本塁打を記録するなど、82試合出場で打率.263、5本塁打、30打点を記録。8番・二塁手として離脱した井端弘和の穴を埋めた。
2011年、62試合出場、打率.209、2本塁打、10打点に終わる。
2012年3月、2歳年上の元会社員の女性と結婚。開幕も初めて一軍で迎え、自己最多となる116試合に出場した。
2013年、74試合に出場、2年ぶりに本塁打を記録。オフに選手会副会長に就任した。
2014年、オフに自身の背番号をこれまで兄の剛裕がつけていた63に変更(剛裕はこの年戦力外通告を受け、巨人の育成選手となった)。これは球団から背番号の変更を宣告された際に自ら申し出たと述べている[3]。
2015年オフ(11月30日)に名古屋市内のホテルで行われた選手納会にて、来季以降も引き続き選手会副会長を務めることが発表された[4]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2008 | 中日 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2009 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2010 | 82 | 301 | 259 | 23 | 68 | 12 | 1 | 5 | 97 | 30 | 0 | 0 | 14 | 1 | 25 | 4 | 2 | 35 | 11 | .263 | .331 | .375 | .706 | |
2011 | 62 | 123 | 115 | 6 | 24 | 4 | 0 | 2 | 34 | 10 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 2 | 1 | 18 | 5 | .209 | .242 | .296 | .538 | |
2012 | 116 | 182 | 167 | 5 | 35 | 8 | 0 | 0 | 43 | 11 | 1 | 0 | 8 | 1 | 5 | 1 | 1 | 34 | 6 | .210 | .236 | .257 | .493 | |
2013 | 74 | 170 | 152 | 5 | 26 | 2 | 1 | 1 | 33 | 12 | 1 | 0 | 8 | 3 | 6 | 0 | 1 | 15 | 3 | .171 | .204 | .217 | .421 | |
2014 | 90 | 261 | 237 | 19 | 54 | 4 | 1 | 1 | 63 | 17 | 1 | 0 | 11 | 3 | 10 | 0 | 0 | 45 | 8 | .228 | .256 | .266 | .522 | |
2015 | 42 | 43 | 38 | 3 | 6 | 0 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 8 | 0 | .158 | .238 | .237 | .475 | |
NPB:8年 | 471 | 1082 | 970 | 61 | 213 | 30 | 3 | 10 | 279 | 81 | 3 | 0 | 45 | 8 | 54 | 7 | 5 | 156 | 33 | .220 | .262 | .288 | .552 |
- 2015年度シーズン終了時
年度別守備成績
年度 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2008 | - | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | - | |||||||||||||||
2009 | - | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | - | |||||||||||||||
2010 | - | 81 | 179 | 240 | 2 | 47 | .995 | 29 | 5 | 11 | 0 | 2 | 1.000 | - | ||||||||||
2011 | - | 35 | 101 | 86 | 0 | 19 | 1.000 | 32 | 1 | 13 | 2 | 1 | .875 | - | ||||||||||
2012 | - | 17 | 36 | 50 | 0 | 11 | 1.000 | 84 | 28 | 60 | 2 | 7 | .978 | 12 | 10 | 17 | 0 | 3 | 1.000 | |||||
2013 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 7 | 8 | 10 | 0 | 2 | 1.000 | 12 | 3 | 13 | 0 | 1 | 1.000 | 50 | 38 | 117 | 2 | 22 | .987 |
2014 | - | 22 | 32 | 33 | 3 | 8 | .956 | 10 | 2 | 6 | 0 | 3 | 1.000 | 72 | 82 | 199 | 4 | 49 | .986 | |||||
通算 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 162 | 356 | 419 | 5 | 87 | .994 | 170 | 39 | 103 | 4 | 14 | .973 | 134 | 130 | 333 | 6 | 74 | .987 |
- 2014年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2008年8月3日、対読売ジャイアンツ15回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に中田賢一の代打で出場
- 初打席:同上、8回裏にセス・グライシンガーの前に空振り三振
- 初先発出場:2010年6月16日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(ナゴヤドーム)、7番・二塁手で先発出場
- 初安打:2010年6月18日、対読売ジャイアンツ7回戦(東京ドーム)、8回表に内海哲也から中前安打
- 初打点:2010年6月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、1回表にディッキー・ゴンザレスから右前適時打
- 初本塁打:2010年6月27日、対広島東洋カープ12回戦(ナゴヤドーム)、9回裏にジョン・ベイルから左越3ラン
- 初盗塁:2012年7月17日、対広島東洋カープ13回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に二盗(投手:前田健太、捕手:石原慶幸)
背番号
- 24 (2007年)
- 1 (2008年 - 2014年)
- 63 (2015年 - )
登場曲
- 「Straight Through My Heart」Backstreet Boys(2010年の第2打席以降、2013年の第3打席以降)
- 「タカラモノ~この声がなくなるまで~」ナオト・インティライミ(2012年シーズン途中、1・2打席目と代打時)
- 「On the Floor」ジェニファー・ロペス(2012年~、シーズン途中からは3・4打席目のみ)
- 「Make it happen」安室奈美恵(2011年)
- 「まなざし」Honey L Days(2011年)
- 「AFRICA feat.Culture」Karl Wolf (2010年の第1打席のみ)
- 「THE NEVER ENDING STORY」E-Girls(2013年、第1・2打席のみ)
- 「Stole my heart」ワン・ダイレクション(2014年、第1・2打席のみ)
- 「始まりの言葉 feat.千秋」ET-KING(2014年、第3打席以降)
- 「Payphone」Maroon 5(2015年)
- 「Beautiful」Superfly(2015年8月~)
代表歴
関連情報
関連書籍
- 『中日ドラゴンズ名選手の時代:テレビマンが描いたドラゴンズ痛快伝説』(浅野芳光著、名古屋丸善出版サービスセンター、2007年11月、ISBN 9784895973854)
脚注
- ^ 名古屋日刊スポーツ2007年1月28日記事 - ウェイバックマシン
- ^ 中日スポーツ 2009年3月2日付
- ^ 中日・堂上 戦力外兄の背番号で出直し「自分から言いました」スポーツニッポン2014年12月27日配信
- ^ 中日大野が新選手会長「明るく、強いチームを作る」 - 日刊スポーツ(2015年11月30日19時29分)
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 堂上直倫 - NPB.jp 日本野球機構