埼玉県立浦和第一女子高等学校
埼玉県立浦和第一女子高等学校 | |
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過去の名称 |
埼玉県立高等女学校 埼玉県立浦和高等女学校 埼玉県立浦和第一高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 埼玉県 |
設立年月日 |
1900年(明治33年)3月16日 (埼玉県告示第33号により) |
共学・別学 | 男女別学 |
課程 | 全日制課程・定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 11107E |
所在地 | 〒330-0064 |
北緯35度51分9.8秒 東経139度39分29.8秒 / 北緯35.852722度 東経139.658278度座標: 北緯35度51分9.8秒 東経139度39分29.8秒 / 北緯35.852722度 東経139.658278度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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埼玉県立浦和第一女子高等学校(さいたまけんりつうらわだいいちじょしこうとうがっこう)は埼玉県さいたま市浦和区の高等学校。スーパーサイエンスハイスクール指定校。
概要
女子校では戦前から現在までナンバー名称を変更しておらず国内最後のナンバースクールとなっている。
県内最古の女子校として知られ、県内最古の男子校である県立浦和高校とともに、県内公立高校では御三家の一つとして認知されている。通称で、『浦和一女(うらわいちじょ)』もしくは『一女(いちじょ)』と呼ばれている。
1950年から2009年までの東京大学への合格者は108名で、浦和、熊谷、川越、春日部高校に次いで県立高校では5番目に多い[1]。
学校周辺は旧浦和市の中でも高級住宅地として知られる岸町の邸宅街となっている。浦和駅から同校に向かう途中にある坂は「あひる坂」という名称で学校関係者・地域住民に呼ばれている。
埼玉県立浦和第二女子高等学校はかつて存在した(1948年-1950年)が、1950年に共学化され埼玉県立浦和西高等学校に改称したため、現在は第一のみしか存在しない。 。
年表
- 1898年 埼玉私立教育会が埼玉女学校を設立。
- 1900年 埼玉県告示第33号により、埼玉女学校を引き継いで埼玉県立高等女学校が設立。
- 1901年 新設埼玉県女子師範学校に併置。埼玉県立浦和高等女学校と改称。
- 1909年11月17日 1911年4月より女子師範学校から分離することが認可される[2]。
- 1911年 女子師範学校から分離。
- 1941年 埼玉県立浦和第一高等女学校と改称。
- 1944年 附属幼稚園を設置
- 1948年 新制高校発足にともない埼玉県立浦和第一女子高等学校と改称。新制中学を併置。定時制課程の設置。
- 1949年 併設中学廃止。高等女学校廃校。
- 2002年 二期制65分授業開始。
- 2004年 文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」に指定。
- 2007年 附属幼稚園廃止。
- 2010年 埼玉県教育委員会進学指導重点推進校に指定。
- 2012年 再度スーパーサイエンスハイスクールに指定。
教育組織
- 全日制の課程
- 普通科
- 定時制の課程
- 普通科
教育方針
教育目標
同校の教育は、教育基本法と学校教育法にしたがい、健全な心身と豊かな個性をもち、真に平和な文化国家の発展に役立つ公民としての資質を養成することを目標とする。
指導方針
- ア 個人の自由と責任を重んじ、他人を尊重してよく協同する精神を養う。(協同)
- イ 常に真理を愛し、日常生活においても科学的態度を習得させる。(科学的態度)
- ウ 研究意欲を盛んにし、勉学に対して常に積極的な習慣を養う。(勉学)
- エ 感情を陶冶し、豊かな情操を養う。(情操)
- オ 教養を高め、自己に適した技能を習熟させる。(技能)
- カ 礼儀を重んじ、相互敬愛の念を深める。(礼儀)
- キ 勤労の精神を尊び、明朗で実行性に富む気質を育成する。(勤労)
- ク 健康増進に留意し、身体の清潔を保持させる。(健康)
進路実績
難関大学合格実績が高い。浦和という文教都市の地域柄も影響している。
以下は平成27年度入試結果(平成26年度卒業生369名)
- 国公立大学126名(現役89名 既卒37名)
- 東京大1名 京都大1名 東北大2名 東京学芸大7名 東京工業大1名 一橋大0名 筑波大7名 お茶の水女子大8名 東京外語大7名 千葉大19名 北海道大1名など
- うち国公立大学医学部医学科6名(現役1名 既卒5名)、東大理Ⅲ合格者(既卒)も輩出している。
- 私立大学1334名(現役1017名 既卒317名)
- 早稲田105名 慶應義塾21名 上智39名 津田塾45名 東京理科65名 東京女子大61名 明治115名 立教120名 法政61名 青山学院39名 学習院44名 中央39名など
学校行事
年に2回開催されるスポーツ大会、水泳大会、一女祭(体育祭・文化祭)など学校行事も盛ん。卒業式ではベートーヴェンの第九(歓喜の歌)を原語で歌う。
校歌
野上彰作詞、高田三郎作曲。歌詞は4番まであり、四季を通して学生生活をうたっている。メロディーは優しく、女子高らしい雰囲気である。女声2部合唱で、行事などでは生徒はソプラノ・アルト好きなパートを歌う。昭和31年2月に新校歌として制定。
クラブ活動
クラブ活動は、体育会系と文化系とそれそれがある。体育会系ではボート部は関東大会では3種目制覇を果たすなど強豪として知られている[3]。
またバスケットボール部は、1950年の皇后杯全日本総合バスケットボール選手権(女子)で優勝した実績がある。
文化系では音楽部とアナウンス部の活動が知られ、アナウンス部はNHK杯全国高校放送コンテストなど各種コンテスト大会への出場が多く、上位入賞の実績がある。
交通
著名な出身者
- 石井桃子 - 児童文学作家
- 東海林のり子 - 事件リポーター
- 吉永みち子 - ノンフィクション作家、エッセイスト
- 赤石路代 - 漫画家
- 伊藤結花理 - 漫画家
- 須賀しのぶ - 小説家
- 中野翠 - コラムニスト
- 小沢遼子 - 評論家
- 迎康子 - NHKアナウンサー
- 広重玲子 - TBS広報部社員(元アナウンサー)
- 豊田順子 - 日本テレビアナウンサー
- 向井亜紀 - 女優、タレント、元新体操選手(在学中は新体操部に所属)
- 青木裕子 - フリーアナウンサー(元TBS)、ミス慶應
- 丸山圭子 - アーティスト
- 古屋範子 - 衆議院議員
- 熊倉美咲 - ボート選手
- 千代綾香 - ナックファイブライオンズナビゲーター
- 岡野あつこ - 夫婦問題カウンセラー
- 舟山康江 - 民主党所属の参議院議員
- 池田優子 - 美容外科医師
- 鎌倉佐弓 - 俳人
- 児島由美 - 音楽家(在学中は新体操部、漫画同好会に所属)
- 岡真理 - 京都大学教授。
- 朝吹南 - 元宝塚歌劇団月組の娘役
- 稲葉奈々子 - 上智大学教授
脚注
- ^ 東大合格高校盛衰史 光文社新書
- ^ 明治42年11月17日付官報(第7921号) 文部省告示第二百八十六号
- ^ 【ボート部】関東大会史上初! 3冠の快挙 埼玉県立浦和第一女子高等学校オフィシャルサイト「お知らせ」