坊つちやん

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『坊っちゃん』
(ぼっちゃん)
『坊っちゃん』
著者 夏目金之助漱石
発行日 1906年4月、1907年1月1日ほか
発行元 ホトトギス春陽堂ほか
ジャンル 小説
日本の旗 日本
公式サイト www.natsumesoseki.com/home/botchan
ウィキポータル 文学
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坊っちゃん』(ぼっちゃん)は、夏目漱石による日本の中編小説1906年(明治39年)、『ホトトギス』第九巻第七号(4月1日発行)の「附録」(別冊ではない)として発表。1907年(明治40年)1月1日発行の『鶉籠(ウズラカゴ)』(春陽堂刊)に収録された。その後は単独で単行本化されているものも多い。

主人公は東京の物理学校東京理科大学の前身)を卒業したばかりの江戸っ子気質で血気盛んで無鉄砲な新任教師である。漱石が高等師範学校(後の東京高等師範学校)英語嘱託となって赴任を命ぜられ、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で1895年(明治28年)4月から教鞭をとり、1896年(明治29年)4月に熊本の第五高等学校へ赴任するまでの体験を下敷きに、後年書いた小説である。

人物描写が滑稽で、わんぱく坊主のいたずらあり、悪口雑言あり、暴力沙汰あり、痴情のもつれあり、義理人情ありと、他の漱石作品と比べて大衆的であり、漱石の小説の中で最も多くの人に愛読されている作品である[1]

あらすじ

親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている坊っちゃんは、父親と死別後、親の残した遺産のうち兄から渡された600円(兄は同時に清という名の下女に与えるようにと50円を渡した)を学費に東京の物理学校[2]に入学。卒業後8日目、母校の校長の誘いに「行きましょうと即席に返事をした」ことから四国旧制中学校数学の教師(月給40円)として赴任した。(校長から辞令を渡されるが、辞令は帰京するとき海中投棄したことがここで語られ、坊っちゃんが少なくとも1回、帰京したことが読者に示唆される。)授業は1週21時間(第7章)。赴任先で天麩羅蕎麦を4杯食べたこと、団子を2皿食べたこと、温泉の浴槽で遊泳したことを生徒から冷やかされ、初めての宿直の夜に寄宿生達から蚊帳の中にイナゴを入れられるなど、手ひどい嫌がらせを受けた坊っちゃんは、寄宿生らの処分を訴えるが、教頭の赤シャツや教員の大勢は事なかれ主義からうやむやにしようとする。坊っちゃんは、このときに唯一筋を通すことを主張した山嵐には心を許すようになった。

やがて坊っちゃんは、赤シャツがうらなりの婚約者マドンナへの横恋慕からうらなりを左遷したことを知り義憤にかられる。このことで坊っちゃんと山嵐は意気投合する。しかし、赤シャツの陰謀によって山嵐が辞職に追い込まれることになってしまう。坊っちゃんと山嵐は、赤シャツの不祥事を暴くための監視を始め、ついに芸者遊び帰りの赤シャツと その腰巾着の野だいこを取り押さえる。芸者遊びについて詰問するが、しらを切られたため、業を煮やし鉄拳により天誅を加えた。

即刻辞職した坊っちゃんは、東京に帰郷。街鉄[3]の技手(月給25円)となった。坊っちゃんの教師生活は、1か月間ほどにすぎなかった。

登場人物

坊っちゃん(もしくは坊ちゃん)
本編の主人公。語り手で、1人称は「おれ」。新聞報道に「近頃東京から赴任した生意気なる某」とあるのに立腹して「れっきとした姓もあり名もある」と言いながら本名、実名は明らかにしない(1977年中村雅俊出演映画での名字は近藤となっている)。「坊っちゃん」とは、清が主人公を呼ぶ呼び名であり、また第11章では野だいこから「勇み肌の坊っちゃん」と言われる。無鉄砲な江戸っ子気質の持ち主。悪戯好きで喧嘩っ早い性格ゆえに両親からは冷たく扱われ、兄とは不仲である。本人の弁によれば無鉄砲なのは親譲り。そのせいで子供の頃から損ばかりしているとの事。家庭内で自分を気にかけてくれたのは下女の清だけであった。物理学校の卒業生で、卒業後は校長の勧めを受け四国の中学校で数学教師になる。旗本の家の出で、多田満仲ルビは「ただのまんじゅう」)の子孫と称している[4]。巻タバコを吸い(第五章)、第七章では敷島とある。酒について「酒なんか飲む奴は馬鹿だ」という(第九章)。蕎麦が大好き(第三章)で、鮪のさし身、蒲鉾のつけ焼も好き(第七章)。喧嘩は好きな方(第十章)。よく夢を見る(第二章、第四章)。髪形は、五分刈(第七、十章)。小学校の時分、同級生の冗談による挑発に乗って学校の二階から飛び降り、一週間ほど腰を抜かす。ナイフで指を切って見ろと注文され、右手親指の甲を切る(第一章)。嘘を吐くことが出来ず、他人が嘘を付くことも決して許さない。ドラマやアニメによっては彼のまっすぐな生き方が周囲に大きな影響を与えることとなる。
一説には漱石自身とほぼ同時期に松山中学の数学教師であった弘中又一がモデルの一人とされている[5]
坊っちゃんの家の下女。明治維新で落ちぶれた身分のある家の出。家族に疎まれる坊っちゃんを庇い、可愛がっており、何かにつけて「あなたはまっすぐで、よいご気性だ。」と褒め、坊っちゃんが「おれはおせじは嫌いだ。」と言えば、「それだから良いご気性です。」と笑顔で褒める。そんな清に対して坊ちゃんは、文章のうえでは「自分でおれを製造して誇っているように見え」て、少々気味悪がっていたが、松山に発つ際の別れ際には、涙を浮かべる清に対して、泣かなかったが「もう少しで泣くところであった」。坊っちゃんは、その清から三円借りている(このくだりで、「今となっては十倍にしてかえしてやりたくてもかえせない。」との記述があり、清が既に亡くなっている事が示唆されている)が、それを「帰さない」まま任地へ行ってしまった。この三円は、清の分身だから「返す」のではなく「帰す」なのだというのが坊っちゃんの理屈である。このあたりについて詳しくは、参考文献の山下浩を参照。長年仕えた坊っちゃんの家が人手に渡ってしまった後は、裁判所に勤める甥の家に世話になっていた。坊ちゃんが松山に赴任してからも気にかけており、他人に渾名を付けたり、癇癪を起こさないよう手紙を通じて諫言している(第七章)。松山に来て人間の様々な汚い面を知った坊ちゃんは、清がいかに「善人」で、「気立ての良い女」であったかを知る事になり、「一刻もはやく東京へ帰って、清と一緒になるに限る。」とまで思うようになる。坊ちゃんが教師を辞職して帰郷した後は再び坊ちゃんの下女として暮らすが、肺炎で他界し、小日向の養源寺に墓があることが語られて物語は終わる。
なお漱石の妻夏目鏡子の本名はキヨであるが、漱石の他の作品では、『門』の宗助のところ、『彼岸過迄』の松本のところなど、下女の名はキヨである。
山嵐
数学の主任教師。会津出身。面構えは坊ちゃん曰く「(比)叡山の悪僧」。正義感の強い性格で生徒に人望がある。坊ちゃんとは仲違いもあったが、自分が坊っちゃんに斡旋した「いか銀」の本性を知り、坊っちゃんに謝罪して以降は意気投合。たびたび彼に陰湿な悪戯をする生徒たちの行為が職員会議で問題になり、その際生徒を厳罰処分にするよう求める。一方で坊っちゃんが宿直中に学校を抜け出して温泉まで行った事についても釘を刺す(第六章)。外食を禁止していながら、芸者と密会している赤シャツと野だいこを坊ちゃんと一緒に懲らしめる(第十一章)などして友情を深める。名字は堀田。ニッケル側の懐中時計を用いる(第十一章)。
一説には漱石とほぼ同時期に松山中学に数学教師として着任していた渡部政和がモデルの一人とされている。
赤シャツ
教頭。坊っちゃんの学校でただ一人の帝大卒の文学士。陰湿な性格で、坊っちゃんと山嵐から毛嫌いされる。通年、ネルの赤いシャツを着用する。琥珀製のパイプを絹のハンカチで磨く。奏任官待遇(第四章)。金側の懐中時計を用いる。マドンナを手なずけて婚約者のうらなりから横取りする(第七章)。独身、弟と一戸建て(家賃9円50銭)に住む(第八章)。坊ちゃんが宿直した際の騒動後に飲食店の立ち入りを禁止された坊ちゃんに注意を加えたにも関わらず、芸者と旅館で密会していたため、帰り道で野だいことともに山嵐と坊ちゃんに懲らしめられる(第十一章)。
漱石は自著「私の個人主義」の中で「当時其中学に文学士と云ったら私一人なのだから、赤シャツは私の事にならなければならん」と語っているが、これは赤シャツが漱石自身というよりも、若い教師たちから文学士である自分が煙たがられていないかといった不安の反映であると同時に、東京帝大出を鼻にかけて権力を振りまわすような傾向が教育界にあってはならないことを同窓に警告しているとする説がある。[6]また、漱石の松山中学教師赴任時代の教頭だった横地石太郎がモデルとする説もある[5]
野だいこ
画学教師。東京出身。赤シャツの腰巾着。名字は吉川。江戸っ子で、芸人ふうに「…でげす」(…です、の意)と言う。坊っちゃんは初対面の時に(こんなのが江戸っ子なら、江戸には生まれたくないものだ。)と苦々しく思う。気に入らないものに陰口を叩いたり、上司におべっかを使うため、坊ちゃんからは赤シャツ以上に良く思われていない。坊っちゃんがいか銀の下宿を飛び出した翌日、ちゃっかりと坊っちゃんのいた部屋に住み着く(第七章)。赤シャツと様々な悪巧みをするが、芸者と密会した帰り道で山嵐と坊ちゃんに懲らしめられる(第十一章)。ドラマやアニメによっては制裁を受けず、2016年版のテレビドラマ版のエピローグでは赤シャツに対しても毅然とした態度をとり、坊ちゃんを認めた校長にも心から同意した。
一説には漱石の松山中学教師赴任時代の画学教師だった高瀬半哉がモデルとされている。
うらなり
英語教師。お人よしで消極的な性格。坊っちゃんは青白い顔でありながらふくれている彼の顔を見て、子供の頃に同じように青くふくれている人物について清が、「あれはうらなりのとうなすばかり食べているからああなった。」と言っていたのを思い出し、「うらなり」と名づけた。元マドンナの婚約者であったが、赤シャツの陰謀(表向きは家庭の事情)で再三拒否したにも関わらず延岡に転属になる(第九章)。名字は古賀。山嵐と並んで坊ちゃんの理解者の一人であり、いか銀を退去した坊ちゃんに萩野夫婦の下宿人になることを勧める(第七章)。ドラマやアニメによってはマドンナに勇気を出して想いを伝え、共に延岡へと渡る。小林信彦は彼を主人公とした「うらなり」という作品を発表しているが、同作では坊ちゃんの行動に振り回されて閉口している様子が描かれる。
一説には漱石の松山中学教師赴任時代の英語教師だった梅木忠朴がモデルとされている[7]
マドンナ
うらなりの婚約者だった令嬢。赤シャツと交際している。坊っちゃん曰く、「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人」、「水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみたような心持ち」の美人。作中のキーパーソンだが、セリフはなく出番もわずか。名字は遠山。坊ちゃんとの関係は、作中では坊ちゃんの方が一方的に注目しているだけで、彼女自身は坊ちゃんの事を全く知らない。ドラマ、映画、アニメなどでは作品によって、原作通り坊っちゃんが一方的に知っているだけか、坊っちゃんとの交流があるかが分かれる。2016年のテレビ版では坊ちゃんの言葉を受けて自分の気持ちに気付き、うらなりと共に延岡に越す決意をする。
一説には松山市の軍人の娘であった遠田ステがモデルの一人とされている[5]
坊っちゃんの学校の校長。事なかれ主義の優柔不断な人物。奏任官待遇(第四章)。
テレビ版では赤シャツに重要な判断を任せっきりにしていいように利用されたり、出世のために彼らの策に加担してしまう場合もある。
一説には漱石の松山中学教師赴任時代の校長だった住田昇がモデルの一人とされている。
生徒たち
坊っちゃんの学校の教え子。新米教師である坊っちゃんの私生活を尾行してからかったり(第三章)、彼の宿直時に布団にイナゴを入れるなど手の込んだ悪戯を度々行う(第四章)が、度々しらを切り坊ちゃんを怒らせる。のちに職員会議で問題になり、山嵐の訴えで坊っちゃんに謝罪したうえで一週間の謹慎となる。
以後は悪戯こそしなくなったものの坊ちゃんをからかうこともあり、彼からは「心から後悔していない」と言われた。第十章では、犬猿の仲である師範学校と喧嘩をして山嵐が免職されるきっかけを作ってしまう。映画、テレビ、アニメでは宿直事件以降は少しずつ坊ちゃんのまっすぐな生き方に動かされ、慕うようになる場合がある。2016年のテレビドラマでは松山弁を使っておらず、坊ちゃんの辞職時は自分たちが宿直事件の首謀者であることを白状し和解した。
いか銀
坊ちゃんが山嵐に勧められて最初に下宿した骨董屋。坊ちゃんを始めとした下宿人に骨董品を売りつけようとするが、坊ちゃんが取り合わないため、無実の罪を着せて坊ちゃんを追い出す。第九章で、販売していた骨董品は贋作であったことが山嵐によって語られた。
萩野夫妻
鍛治屋町に住む老夫婦。いか銀を退去し、うらなりの勧めで訪れた坊ちゃんを自宅の一室に住まわせる(第七章)。坊ちゃん曰く「士族だけあって上品だが、惜しいことに食い物がまずい」。
夫人はかなりの情報通であり、坊ちゃんにマドンナ事件やうらなりの延岡転任の真相を教える。坊ちゃんが赤シャツからの増給を断ろうとした際は諌めたが「俺の月給は上がろうと下がろうと俺の月給」と聞き入れられなかった(第八章)。

作品の成立

漱石は本作を10日足らずで書き上げた[8]

現在読まれている本文は、『ホトトギス』編集者である高浜虚子による手が加わっている[8]。漱石は虚子宛て書簡において松山方言の添削を依頼しているが[8]、漱石直筆原稿を検討した渡部江里子は、虚子の「手入れ」が「方言の手直しを越えた改変」にも及んでいることを指摘している[8]。渡部は漱石の依頼を越えた「虚子の越権行為」と判断しており、現行のテキストをそのまま受容してよいか議論の必要を提起している[8]

また漱石の初稿では、坊っちゃんの赴任先は「四国辺」ではなく「中国辺の中学校」となっていた。ここから本作と官立山口高等中学校との関連を指摘する論考もある[9]

「坊っちゃん」の表記

一般的表記(当時の小宮豊隆ら)は、「坊つちやん」、現代表記では、「坊っちゃん」。漱石自身は、自筆原稿の表紙や最後の149枚目にあるとおり、「坊っちやん」とも「坊つちやん」とも書いている。印刷物を主に、「坊ちゃん」となっている場合もある。

批評・分析

井上ひさしは、『坊っちゃん』の映像化が、ことごとく失敗に終わっているとする個人的見解を述べ、その理由として、『坊っちゃん』が、徹頭徹尾、文章の面白さにより築かれた物語であると主張している[10]

丸谷才一は、清は、主人公である坊っちゃんの生みの母であるという説を提出した[11]

翻案

映画

詳しくは『坊つちやん (映画)』を参照。

テレビドラマ

詳しくは『坊つちやん (テレビドラマ)』を参照。

アニメ

舞台・ミュージカル

漱石の日常と「坊っちゃん」の世界が二重構造で展開されるミュージカル。1993年1995年2000年2007年に再演。2000年公演時の坊ちゃん役は中村繁之

マンガ

  • 『BOCCHAN 坊っちゃん』(作画:江川達也) - 『コミック・ガンボ』連載、「坊っちゃんは、明治のサムライである」という観点の元、『坊っちゃん』を江川流の解釈でコミカライズした作品。
  • 『坊っちゃん』(作画:水島新司) - 若干アレンジしてある。

関連作品・パロディ

小説

  • 石原豪人『謎とき・坊っちゃん 夏目漱石が本当に伝えたかったこと』飛鳥新社、2004年7月。ISBN 4-87031-626-9  - 作品の疑問点は、登場人物が全員ゲイなら説明がつくという著作。
  • 内田康夫『坊っちゃん殺人事件』角川書店〈角川文庫〉、2003年5月。ISBN 4-04-160758-2 
  • 奥泉光『坊ちゃん忍者幕末見聞録』中央公論新社〈中公文庫〉、2004年10月。ISBN 4-12-204429-4 
  • かんべむさし『宇宙の坊っちゃん』徳間書店〈徳間文庫〉、1986年9月。ISBN 4-19-578140-X 
  • 小林信彦うらなり』文藝春秋〈文春文庫 こ6-24〉、2009年11月。ISBN 978-4-16-725624-1  - 延岡に転属となった英語教師古河(うらなり)のその後という設定で、原作の騒動をうらなり側から描く。
  • 羽里昌『その後の坊っちゃん』潮出版社、1986年5月。ISBN 4-267-01089-7 -タイトルは「その後の坊っちゃん」だが、坊っちゃんそのものではなく、モデルとされている弘中又一を主人公にして、松山から徳島に転任になった「坊っちゃん」のその後を描く。回想シーンでは「夏目金之助(漱石)」も登場する。
  • ビートたけし『たけしの新・坊っちゃん』太田出版、1986年8月。ISBN 4-900416-10-X 
  • 柳広司贋作『坊っちゃん』殺人事件』角川書店〈角川文庫 16552〉、2010年11月。ISBN 978-4-04-382905-7  - 坊っちゃんが再び松山に渡り、赤シャツの首吊り自殺の真相究明に乗り出す。
  • 万城目学鹿男あをによし』幻冬舎〈幻冬舎文庫 ま-17-1〉、2007年4月。ISBN 978-4-344-41466-2  - 期間限定で東京近郊から地方に赴任した教師の赴任 - 帰郷までの時間軸、キャラクター設定、生徒にいたずらされる内容、教頭とトラブルを起こし最後は陰湿な手段でクビ同然に辞めさせられるなど、本作品を本歌取りした作品である。ドラマ版に出演した児玉清も「あの名作『坊っちゃん』が百年の時の壁を超えて現代に甦ったか」と文庫版に書評を寄せている。

その他

  • 「坊っちゃん」の時代』(原作:関川夏央 作画:谷口ジロー) - 本作執筆中の漱石を中心に明治末期の文学者達を描いた作品。
  • テレビドラマ『浅見光彦シリーズ』「坊っちゃん殺人事件」(2001年9月24日放送)
  • アニメ『ヤッターマン』の第103話「シッパイツァーだコロン」(1978年12月23日放送)では、ゾロメカが坊っちゃん仕立てとなっている。ヤッターマン側がカボッチャン(カボチャ+坊っちゃん)・イモアラシ(イモ+山嵐)、ドロンボー側がアカシャツノカブ(赤シャツ+カブ)・ノダイコン(野だいこ+ダイコン)・プリマドンナ。
  • アニメ『イタダキマン』の第11話「かんぱい坊っちゃん先生」(1983年7月2日)では、なぜかロッキー山脈に坊っちゃん(声:井上和彦)の分教場が所在、そこへ、オシャカパズルで妖力を手に入れた校長ダヌキ(声:西尾徳)率いるタヌキ軍団が、タヌキ狩りをした人間に復讐し「タヌキ帝国」を建造しようと現れる。クライマックスは、二束三文トリオ(三悪)によって校長ダヌキは釜型メカ「ブンブクチャガーマ」に変身するも、イタダキマンの「ブーダマゾロメカ」(胴体が玉になっているブタ)によって崖から転落し敗北。

「坊っちゃん」を付けた施設・商品など

作品中では舞台は「四国」としか表現されていないが、漱石の体験や方言から推測することにより愛媛県松山市が舞台となっていると考えられる[18]

松山市内及びその周辺部には「坊っちゃん」や「マドンナ」を冠した物件等が多数存在する。代表的なものは下記に示すとおりである。

その他、商品名、店舗名に「坊っちゃん」と冠したものがある。なお、「坊ちゃん」と「っ」抜きで誤って表記されているものも散見される。

脚注

  1. ^ 新潮文庫のあらすじより
  2. ^ 「坊っちゃん」が物理学校卒業という設定になっているのは、漱石自身が同校の設立者(東京物理学校維持同盟員)である桜井房記中村恭平と親交が深かったほかに、当時の一般的イメージとして物理学校出身教員が高い評判を得ていたことも関係していると考えられている。馬場錬成『物理学校:近代史のなかの理科学生』(中公新書ラクレ2006年)参照。
  3. ^ 正式には「東京市街鉄道」で、現在の都電の前身の一つとなった路面電車鉄道である。のち東京電車鉄道・東京電気鉄道と合併して東京鉄道となり、さらに東京市に買収されて東京市電と改称された。
  4. ^ 夏目漱石は、満仲の弟、満快の子孫。
  5. ^ a b c 朝日新聞 1971年10月2日
  6. ^ 『坊っちゃん』 偕成社文庫 解説 村松定孝 1988年
  7. ^ 安倍能成『我が生ひ立ち』
  8. ^ a b c d e 渡部江里子「漱石の自筆原稿『坊っちやん』における虚子の手入れ箇所の推定、ならびに考察」『漱石雑誌小説復刻全集』三巻所収(リンク先は書誌学者山下浩のウェブサイト)
  9. ^ 河西喜治 『坊っちゃんとシュタイナー 隈本有尚とその時代』 ぱる出版、2000年、ISBN 4-89386-806-3
  10. ^ 『児童文学名作全集1』 福武文庫 あとがき
  11. ^ 「『坊つちやん』のこと」、『群像』2007年1月号。丸谷才一『星のあひびき』所収。
  12. ^ 番組表検索結果 | NHKクロニクル - NHKオンライン
  13. ^ 松下奈緒、二宮主演ドラマ『坊っちゃん』マドンナ役”. ORICON STYLE (2015年12月1日). 2015年12月2日閲覧。
  14. ^ 二宮和也で“坊っちゃん”!多くの名優演じたヤンチャ教師が蘇る”. SANSPO.COM (2015年8月4日). 2015年8月4日閲覧。
  15. ^ “正月じゃないとできない顔ぶれ!フジ系新春SPドラマ「坊っちゃん」”. SANSPO.COM (株式会社 産経デジタル). (2015年11月4日). http://www.sanspo.com/geino/news/20151104/joh15110405040001-n1.html 2015年11月4日閲覧。 
  16. ^ “又吉直樹が夏目漱石役で出演 嵐・二宮主演ドラマ『坊っちゃん』”. ORICON STYLE (株式会社oricon ME). (2015年12月23日). http://www.oricon.co.jp/news/2064305/full/ 2015年12月23日閲覧。 
  17. ^ 愛媛発地域ドラマ制作開始!題材はあの名作“くたばれ”坊っちゃん - NHKオンライン
  18. ^ 師範学校との乱闘を報じた新聞を「四国新聞」としているが、これは架空の新聞である。実際に香川県で発行されている四国新聞がこの名称になったのは、本作の発表から40年後の1946年であった。

参考文献

関連項目

  • 粟飴 - 作中では「越後の笹飴」として登場する。冒頭、東京から遠く四国へ向かうことになった主人公に土産の希望を尋ねられた清が、まるで反対方向の越後名物を挙げて主人公に呆れられる(彼女は明治時代の高齢者らしく、日本地理の知識に乏しいらしい)。西の方に行くんだと説明する主人公に、なおも清は「箱根のさきですか手前ですか」とスケールのだいぶずれた基準で訊ね返し、主人公は閉口する。
  • 伊予弁 - 「なもしと菜飯は違うぞな、もし」など誇張された松山の方言が登場する。語尾に「〜なもし」とつけるのは大正生まれの人あたりまでで、現在はほとんど使われていない言い方。
  • 学園ドラマ - 熱血教師や陰険な教頭など、後世のドラマの登場人物設定に影響が見られるといわれている。
  • 寅さん - 筋立てや人物、言葉などに影響が見られるといわれている。
  • ついでにとんちんかん - 校長先生と教頭先生の設定が良く似ている。(教頭の名は『明石奴(あかし やつ)で、校長はたぬきのような容姿である』)

外部リンク