坂克彦

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坂 克彦
阪神タイガース #35
2016年3月20日 阪神鳴尾浜球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県新治郡出島村(現:かすみがうら市
生年月日 (1985-09-06) 1985年9月6日(38歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 2006年10月14日
年俸 2,300万円(2016年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

坂 克彦(さか かつひこ、1985年9月6日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手内野手外野手)。

経歴

プロ入り前

茨城県新治郡出島村(現かすみがうら市)出身。霞ヶ浦町立南中学校では軟式野球部に所属。常総学院高校では1年時からレギュラーとなり、3年連続で全国高等学校野球選手権大会に出場。2年夏の第84回全国高等学校野球選手権大会では森岡良介筧裕次郎らを擁して初優勝した明徳義塾高校に敗れたものの16強入り。その後、新チーム結成時には主将となったが翌年6月に降りた。3年夏の第85回全国高等学校野球選手権大会では3番遊撃手として出場。後にプロでチームメイトとなる吉良俊則を擁する柳ヶ浦高校、同じく黒田祐輔を擁する静岡高校久米勇紀を擁する桐生第一高校などを破り、決勝ではダルビッシュ有佐藤弘祐バッテリーを擁する東北高校に勝利して同校の初優勝に貢献した。高校通算35本塁打

近鉄・楽天時代

2003年ドラフト会議大阪近鉄バファローズから4巡目指名を受け入団。2004年オフ、オリックス・ブルーウェーブとの合併に伴う選手分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスと契約。

2005年イースタン・リーグ全96試合中、山下勝充に次ぐチーム2位の83試合に出場。二塁手で56試合、遊撃手で13試合に起用され、二塁手としてリーグ最高の守備率を記録。規定打席には到達しなかったがチームトップ、リーグ5位の37四球を選び出塁率.362を記録。

阪神時代

2006年6月に牧野塁とのトレードで阪神に移籍。10月14日の対広島東洋カープ戦で一軍初出場、初スタメンを果たした。二軍では移籍前にイースタン・リーグで主に遊撃手として34試合、移籍後のウエスタン・リーグで主に二塁手として36試合に出場し、後者では出塁率.344を記録した。

2007年今岡誠関本健太郎らの不調もあり、6月から7月にかけて二塁手や三塁手でスタメン起用され、7月1日の対横浜ベイスターズ戦で寺原隼人からプロ初安打、初打点となる本塁打を放った。二軍では主に二塁手として42試合に出場し、リーグ4位の10犠打、42安打中10二塁打を記録した。

2008年平野恵一アーロム・バルディリスが加入して内野手の層が厚くなったため、一軍では前年と同じ出場試合数ながら打席数は4分の1以下に減り、9打数無安打に終わった。二軍では主に二塁手として58試合に出場し、規定打席到達者中最高の打率.292を記録したが、首位打者は規定打席不足ながら特例が適用された新井良太に譲った。また出塁率は規定打席到達者中3位の.346、リーグ2位の6三塁打を記録したが、守備では二塁手としてリーグワーストタイの55失策、三塁手としても7試合で2失策を記録した。ただし、二塁手としての守備率.982は例年と大差はなかった。

2009年は一軍で開幕を迎えたが、出場5試合の4打数無安打で4月に二軍降格。6月に右手首を骨折して8月に手術したこともあり、シーズン中の再昇格はなかった。

2010年は一軍で開幕を迎えたが、しばらくは一軍と二軍の往復が続いた。しかし、シーズン終盤で一軍に再昇格すると、2本の本塁打と2本の三塁打を記録。9月25日の対広島戦(甲子園球場)では、プロ入り後初めて同球場で試合後にヒーローインタビューを受けた。

2011年は、内野手の層が厚いチーム事情から、春季キャンプで外野守備を練習。内野手登録ながら、オープン戦期間中までは、俊介など本職の外野手との間で中堅手のレギュラー争いを繰り広げていた。しかし、公式戦開幕直前の3月30日、練習中に右手人さし指末節骨を骨折。開幕一軍を逃したばかりか、シーズン全体でも、一軍公式戦への出場は3試合(無安打)にとどまった。シーズン終了後の11月には、右肘関節の形成手術を受けた。

2012年も開幕一軍を逃したが、5月27日に初めて一軍へ昇格。しかし、出場3試合で2打席無安打(いずれも代打)に終わったこともあって、6月6日には二軍へ降格した。その後、8月14日に再び一軍へ昇格。一軍では2年振りの安打を放ったほか、右投手が先発する試合を中心に、三塁手や右翼手としてスタメン出場の機会を得た。

2013年は、3年振りに開幕から一軍登録。当初は主に、代打・三塁守備要員として公式戦へ出場していた。この年から移籍したレギュラー二塁手の西岡剛が体調不良などで試合を欠場するようになってからは、右投手が先発する試合に二塁手(または三塁手)としてスタメンに起用される機会が増えた。三塁手としてスタメンで出場した7月9日の対中日ドラゴンズ戦(沖縄セルラースタジアム那覇)では、2・3回に続けて失策を記録しながら、4回表の打席で先制適時打を放ってチームの5連勝に貢献。試合後には、4打点の活躍でヒーローインタビューを受けていた西岡の誘いで、急遽インタビューに参加するという一幕もあった[2]。結局このシーズンは最後まで二軍へ降格せず、111試合に出場した。

2014年もシーズン通して一軍に帯同するが、出場試合数・成績共に前年より低下した。この年は三塁の他、一塁の守備固めでの起用も多かった。オフの10月21日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された事が発表された[3]

2015年も一軍で開幕を迎え、代打・三塁守備固めとして起用されて守備面では貢献していたが、打撃不振で5月21日に二軍に降格した。再昇格後の8月12日に、中日戦でバルデスから勝ち越しとなる左中間に三塁打を放って、久々にヒーローインタビューを受けた。[4]結局、この年は87試合に出場して、年間7安打、2打点、打率.175と不本意な成績に終わった。

プレースタイル

コースに逆らわない器用なバットコントロールで変化球にうまく合わせる柔軟性がある。

楽天時代、田尾安志が2005年の監督就任直後に「楽天の誰の将来に期待しますか」というインタビューに「3年後の坂克彦に期待します」と即答した。しかし当の坂は同年の春季キャンプ[5]で、田尾直々の打撃指導に対して真っ向から反論した。

本来の守備位置は二塁手だが、内外野全てのポジションを守ることができるユーティリティープレイヤー。阪神移籍後の2013年4月5日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、4番・一塁手としてスタメンに起用されていた新井良太が延長11回表の打席で左太ももを痛めたことから、その裏から新井に代わって急遽一塁の守備要員で登場。その直後に、無死二塁で打者・菊池涼介のバントを捕球すると、三塁への迅速な送球で二塁走者の中東直己を封殺することによってサヨナラ負けのピンチを救った[6](試合は12回表に福留孝介の決勝本塁打で阪神が勝利)。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 阪神 2 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2007 17 41 37 3 7 1 0 1 11 3 0 0 3 1 0 0 0 6 1 .189 .184 .297 .482
2008 17 10 9 3 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2009 5 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2010 28 59 52 10 14 1 2 2 25 7 1 1 1 2 2 0 2 8 0 .269 .310 .481 .791
2011 3 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
2012 18 38 35 2 8 2 0 0 10 6 0 1 1 0 2 0 0 8 2 .229 .286 .270 .556
2013 111 233 205 29 47 5 1 2 60 20 0 0 5 3 20 0 0 43 1 .229 .294 .293 .587
2014 88 78 63 16 13 3 0 0 16 6 0 0 3 2 10 0 0 21 0 .206 .307 .254 .561
2015 87 46 40 2 7 0 1 0 9 2 1 0 2 0 3 0 1 13 0 .175 .250 .225 .475
通算:10年 376 519 455 65 96 12 4 5 131 45 2 2 16 8 37 0 3 108 4 .211 .270 .288 .563
  • 2015年度シーズン終了時

年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 - 2 6 6 0 1 1.000 - - -
2007 - 10 21 19 0 2 1.000 6 2 7 1 1 .900 - -
2008 - 3 0 4 0 1 1.000 4 1 6 1 1 .875 - -
2009 - 1 0 0 0 0 .000 - - -
2010 1 2 1 0 0 1.000 18 29 30 0 16 1.000 - 3 4 7 0 2 1.000 -
2011 - - - - 1 3 0 0 0 1.000
2012 - - 10 1 7 0 0 1.000 - 7 7 0 0 0 1.000
2013 7 9 4 0 1 1.000 44 45 82 1 11 .992 55 20 54 6 3 .925 - 4 2 0 0 0 1.000
2014 27 26 2 0 3 1.000 7 5 5 0 0 1.000 33 12 17 2 1 .935 - 5 2 0 0 0 1.000
2015 30 31 2 0 2 1.000 20 12 19 0 2 1.000 25 5 5 0 1 1.000 - -
通算 65 58 9 0 9 1.000 105 118 165 1 33 .996 133 41 96 10 7 .932 3 4 7 0 2 1.000 17 14 0 0 0 1.000
  • 2015年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 53 (2004年 - 2006年途中)
  • 35 (2006年途中 - )

登場曲

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク