四辻季継
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正9年(1581年) |
死没 | 寛永16年5月20日(1639年6月21日) |
改名 | 高倉範遠(初名)→四辻季継 |
官位 | 正二位、権大納言 |
氏族 | 高倉家→四辻家 |
父母 | 父:四辻公遠、養父:四辻季満 |
兄弟 | 鷲尾隆尚、小倉季藤、季継、嗣良、桂岩院、与津子、猪熊季光 |
子 | 公理、本誓寺宣継(本誓寺宣英養子)、継子(後水尾天皇典侍) |
四辻 季継(よつつじ すえつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の公卿。
生涯
権大納言四辻公遠の次男。天正13年(1585年)叙爵。天正16年(1588年)12月元服し、高倉範国の横死により当時絶家となっていた高倉家を相続、名を範遠と改め、侍従となる。しかし、天正19年(1591年)に四辻家の嫡子であった兄季満(後の鷲尾隆尚)が勅勘を蒙り出奔したため、実家の四辻家に戻り、名を季継に改めた。高倉家は弟の嗣良が継承し、嗣良の代に家名を藪としている。慶長14年(1609年)正四位下、慶長17年(1612年)参議、慶長18年(1613年)従三位。
元和5年(1619年)、徳川秀忠の五女和子の入内準備の中、妹与津子が前年に後水尾天皇の皇子(賀茂宮)を産み、さらに皇女(文智女王)を産んだことから、兄である季継は弟の嗣良とともに豊後に配流となった(およつ御寮人事件)。翌年、大赦により復帰。元和10年(1624年)正二位、寛永3年(1626年)権大納言。寛永16年(1639年)5月20日、59歳で薨去。
参考文献
- 橋本政宣編『公家事典』、吉川弘文館、2010年
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』、東京堂出版、1994年