吉田家
吉田家 | |
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抱き柏 | |
本姓 | 卜部氏嫡流 |
家祖 | 吉田兼煕 |
種別 |
公家(半家) 華族(子爵) |
出身地 | 山城国愛宕郡吉田村、上京区吉田町(左京区吉田) |
主な根拠地 | 山城国吉田神社 |
著名な人物 |
吉田兼倶 吉田兼見 吉田兼好 |
支流、分家 |
萩原家(半家) 錦織家(半家) 藤井家(半家) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
吉田家(よしだけ)は、卜部氏の流れを汲む堂上家。家祖の吉田兼煕は、京都室町にあった自宅の敷地を足利義満に譲り、吉田神社の社務であることに因んで、家名を「吉田」とした。
概要
兼煕は神祇大副や侍従を務め、卜部氏としてはじめて公卿に昇った。
さらに兼倶(従二位・神祇大副)は唯一神道(吉田神道)を創始し、既存の伊勢神宮系の神職たちと激しく対立しながら、後土御門天皇を信者として獲得するなどして勢力を拡大し「神祇管領長上」なる新奇の称号を自称した。以後、神祇伯の白川家を押しのけ、全国の神社に対する支配を広げてゆくことになる。
兼見にいたって織田信長の推挙により堂上の家格を獲得した。近衛前久に家礼として仕え、明智光秀と深い親交のあった兼見の日記『兼見卿記』は、織豊政権期の研究に必須の重要史料である。神職における吉田家の優位は江戸時代になって、1665年(寛文5年)の諸社禰宜神主法度で確定する。
家格は半家、歴代当主は神祇管領長上を称し、正二位・神祇大副を極官とした。
江戸時代の家禄は760石。明治維新後は良義が子爵に叙せられた。
系図
吉田家
脚注
- ^ 清原宣賢の2男。