吉永小百合

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よしなが さゆり
吉永 小百合
吉永 小百合
吉永 小百合
文化功労者選出に際して公表された肖像写真
本名 岡田 小百合(旧姓吉永)
生年月日 (1945-03-13) 1945年3月13日(79歳)
出身地 日本の旗 日本東京都渋谷区
身長 155 cm[1]
血液型 O型
職業 女優歌手ナレーター
ジャンル 映画テレビドラマCM
活動期間 1957年 -
配偶者 岡田太郎
事務所 日活
主な作品
映画
キューポラのある街
伊豆の踊子
愛と死を見つめて
青春の門
おはん
映画女優
天国の駅 HEAVEN STATION
華の乱
おとうと
北のカナリアたち
ふしぎな岬の物語
母と暮らせば
テレビドラマ
樅ノ木は残った
風と雲と虹と
鮎のうた
夢千代日記
 
受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
1985年おはん』『天国の駅
1989年つる -鶴-』『華の乱
2000年長崎ぶらぶら節
2005年北の零年
ブルーリボン賞
主演女優賞
1962年キューポラのある街
2000年長崎ぶらぶら節
大衆賞
1964年
その他の賞
キネマ旬報賞
主演女優賞
1984年おはん』『天国の駅
毎日映画コンクール
女優主演賞
1984年おはん』『天国の駅
1994年女ざかり
報知映画賞
主演女優賞
1984年おはん』『天国の駅
2012年北のカナリアたち
日刊スポーツ映画大賞
主演女優賞
1988年華の乱
2000年長崎ぶらぶら節
2012年北のカナリアたち
芸術選奨
備考
紫綬褒章2006年
文化功労者2010年
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吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年3月13日[2] - )は、日本女性俳優歌手である。本名、岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓、吉永。東京都渋谷区代々木西原町(現・西原)出身。

1960年代を代表する人気映画女優。10年間で、70本以上の映画に出演。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修を卒業[2] し、文学士の称号を受けた。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。ファンは「サユリスト」と呼称される。

経歴

1962年
  • 1962年(昭和37年) - 高校在学中、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演。また、ビクターから『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とのデュエットで歌唱した『いつでも夢を』も30万枚の大ヒットとなった。また、この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組む。
  • 1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったが早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学(俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退していた)。
  • 1969年(昭和44年) - 多忙な中、早稲田大学を次席で卒業。日活と契約更新(特記事項を参照)。
  • 1973年(昭和48年) - フジテレビディレクター岡田太郎(後の共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任)と結婚し、京王プラザホテルで披露宴を執り行う。
  • 1988年(昭和63年) - 『つる -鶴-』(市川崑監督)に主演し、映画出演は通算100作品となる。
  • その後も女優として映画・CMなどへの出演に加え、原爆詩の朗読などの平和への訴えや反原発について意見を述べるなどの活動を続けている(詳しくは後述)。

人物

女優活動

  • 日活の看板女優」として、浜田光夫と1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こし、従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。1960年代には吉永のブロマイドが、あまりの売れ行きに店頭から姿を消すなど、爆発的に売り上げを伸ばした。また、松原智恵子和泉雅子と合わせて「日活三人娘」とも呼ばれた。
  • 1969年には年2本以上の日活作品に出演する代わりに他社の作品や自主制作映画は日活側の諒解[4] を得れば自由に出演が出来る条件で再契約する。しかし当時はヤクザ映画が全盛で、吉永向けの純愛・青春系の作品を制作するのは既に困難であった[5]
  • 日本映画の衰退期と重なったこともあるが、岡田との結婚により役柄のイメージに合わず、結婚に反対する両親との仲違いも報道されたりもした[6]1973年当時の邦画界には、ヌードも辞さず大胆に現代女性を演じる若手女優が多数登場しており、吉永が1960年代に演じ続けた「清純なお嬢さん」像は類型的で過去の遺物のような印象になってしまっていた。子役出身の俳優にしばしば見られるように、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズに行かなかったともいえる。1975年(昭和50年)、『青春の門』を皮切りに「清純なお嬢さん」を脱する演技を披露した。
  • 男はつらいよ』シリーズでは二度歌子役で出演しており、平成に入り三回目の再登場もあったがスケジュールが合わず「それに、同じ役を何度もやると、私自身がマンネリになるんじゃないかと」も理由にあり、渥美清1996年に死去しシリーズ終了後に「もう一度、出演するべきでした。最後ということが分かっていたらどんな形でも出たかった。後悔しています」と語っている[7]
  • 1984年の映画『天国の駅 HEAVEN STATION』(東映)では自慰行為をし[8]三浦友和に押し倒され着物の胸に手を差し入れられるシーンでは三浦が「小百合さんは物凄い積極的で、『もっと大胆にやってよ』と何度もダメ出しをしたんです。僕はもうタジタジになって、20回以上NGが出ました」と語るほど、濡れ場でもビックリするほどの積極性を見せていたが、ヌードになることには抵抗があったようで「胸が小さいから、出してもしょうがない」と斎藤光正に言っていた[9]
  • 岩下志麻とともに舞台劇に出ない女優として知られており[10][11]、舞台未経験[12] である。2001年に東宝が『長崎ぶらぶら節』を帝国劇場で上演したが、この際も松岡功東宝会長(当時)が、岡田茂東映会長(当時)に「吉永さんを口説いてもらえんかい」と頼んだが「彼女は駄目だよ」と断わられたという[10]
  • デビュー時代以外はテレビドラマには縁の無い印象であるが、映画出演の減り始めた時期に、「東芝日曜劇場」やNHK大河ドラマにも出演している。1981年(昭和56年)の『夢千代日記』(NHK)では、大人の女性としての内的情感を豊かに表現し、この時期から、評論家に演技力に難をつけられながらも、大女優の風格をもつ女優という好意的な評価を受け始めた。「サユリスト」復権も同時期であり、邦画冬の時代にも定期的に出演作が製作されている。
  • 現在のテレビ出演はほぼCMのみであり、映画を中心に活動している。

反戦・反原発に関して

親族

  • 父の吉永芳之(鹿児島県出身)は、東大法学部卒業、九州耐火煉瓦、外務省嘱託を経て、出版社「シネ・ロマンス社」を経営。飯島正双葉十三郎らと映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行するも、事業に失敗している。母の和枝は大阪に生まれ[17]宍粟郡(現・兵庫県宍粟市山崎町)で小学生の頃まで育ち[18]、「潮音」に所属する歌人であった。
  • 少女時代、吉永は何一つ不自由ない幸福な生活を送ってきたと思われることが多いが、上記の父親の事業の失敗から、家の米びつに1粒の米もない日もあったという。小学校の時は借金取りが押し寄せたこともあった。それを見た彼女は「私、新聞配達をする」と言ったが、親に止められたとのこと。その後、ラジオ出演するにしたがって、家の生活も少しずつ楽になっていったという[19]
  • 母方の祖父に、英文出版社の大観社社長の川田友之。叔母に『婦人画報』編集長、「アムネスティ・インターナショナル日本支部」の創設メンバーの川田泰代が名前を連ねるなど、執筆の世界とも所縁が深い。
  • 遠縁に歌手の佐良直美がいる(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)[20] また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)[20]
  • 28歳の時に15歳上のテレビプロデューサー・岡田太郎と電撃結婚した[6]

趣味・好きなもの

  • お酒好きで、1970年代前半に年末年始の恒例だった雑誌『酒』の編集長・佐々木久子楠本憲吉らが選ぶ『11PM』「女流酒豪番付」に於いて、小結に選出されたこともある酒豪[21]。1979年9月に北京で開催された「中国・日本映画祭」に日本代表団の一員として訪中した際、熱烈歓迎で連日宴会に招かれたが、岡田茂東映)日本代表団団長を始めとした松岡功東宝)、徳間康快大映)、根本悌二にっかつ)ら、酒豪で鳴らす映連首脳さえ、三杯がせいぜいなアルコール度数65%もあるマオタイ酒をぐいぐいと十杯飲み干しても平然とし、並みいる酒豪連を瞠目させた[22]
  • 長年に渡り健康維持のために水泳を継続している。また、常に水着を持ち歩き、プールがあればどこでも泳いでいる。
  • 西武ライオンズ早稲田大学ラグビー部のファンとして有名である。前者については、元々読売ジャイアンツ(特に長嶋茂雄)のファンだったのが、江川事件をきっかけに、また西武グループ元オーナーの堤義明スキーを教わったのをきっかけとして転向したものだった。また、西武ではかつて清原和博のファンでもあった[23]。かつては西武球場時代の1994年の開幕戦に始球式を務めたこともあり、1987年の巨人との日本シリーズ第6戦ではTBSテレビの中継にネット裏からスペシャルゲストとしてイニング限定で出演したこともある。現在も筋金入りの西武ファンである。後者については、試合観戦に通うだけでなく、毎年の夏の合宿に牛一頭分の牛肉の差し入れをしている。これは部員の間で「吉永牛」と呼ばれている[24]。過去に早稲田大学が負けた試合をスタジアムで観戦した帰り道、落ちていた空き缶を蹴飛ばしたことがある。
  • 夫から教わった将棋も趣味の一つとしており、将棋棋士の大内延介と交遊があった。また、1976年の「将棋会館」建設にあたって多額の寄付をしている。
  • 吉永小百合 街ものがたり』(TBSラジオ)の中で、鉄道ファンであることも告白しており、JR東日本大人の休日倶楽部」のポスター・CMのイメージキャラクターも務めている。また、一番好きな路線は、五能線であることも、告白している。

特記事項

  • 12~13歳の頃、個人的にボイストレーニングのためにひばり児童合唱団に通っていたことがあり(団員ではなかったが、個人レッスンを受けていた)、その後ひばり児童合唱団の創設者である皆川和子からの紹介で松竹からの映画デビューが実現した。
  • 吉永が歌い上げた「奈良の春日野」(「♪フンフンフーン 黒豆よ♪」の歌詞が特徴的)は、元々1965年(昭和40年)に発売されたシングル「天満橋から」(『第16回NHK紅白歌合戦』出場曲)のB面曲であったが、1987年(昭和62年)に明石家さんまがギャグとして取り上げたことから、レコードも再発売(A面を「奈良の春日野」に変更)されヒットした。
  • 15歳時、映画『天使が俺を追い駈ける』(1961年)撮影の際に三木のり平とキスをした。これが自身のファーストキスとなった[25] と1999年4月13日放送の『スタジオパークからこんにちは』にて発言している。
  • 1962年3月31日からイタリアミラノで開かれた「ミラノ国際見本市」の中で、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、清水雅東宝社長)を団長として、川喜多長政奥山融、そして、他の映画会社各社代表女優の佐久間良子東映)、星由里子(東宝)らと共に日活代表女優としてイタリアへ出発。岸惠子が日本からではなく現地参加でミラノで合流している。吉永は星と共に同国のヴェネツィアも訪れている。4月25日、帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。
  • 1963年にはナイフとピストルを持った男に自宅の自室内で襲撃されている(犯人は吉永の熱狂的なファンだった)[26]。また、同年には合計7通の脅迫状が吉永の自宅に届いている(吉永小百合脅迫事件)。
  • 実現には至らなかったものの、1960年末期から幾度も『NHK紅白歌合戦』の紅組司会の候補に挙がった。
  • 吉永主演映画の原作者でもある川端康成石坂洋次郎といった作家にも寵愛され、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を綴り上げた。
  • 三波春夫の曲と思われがちの『世界の国からこんにちは』のレコードを、日本万国博覧会当時に出している(全部で7種類の歌い手による競作であった)。同博覧会開催の数年前に、この歌が初めてマスコミに発表された時も三波春夫ではなく吉永がその場で歌っている。また、松下電器産業が博覧会を記念して制作したタイムカプセルには、吉永が歌い上げたレコードが納められた。
  • 早稲田大学の女子学生をさす、バンカラで、男まさりで、活動的な「早稲女(わせじょ)」の代表的O.G.としてしばしば吉永の名があげられる。
  • 早稲田大学第二文学部での卒業論文のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネ(アテナイ)の民主制について」であった。
  • 冨士眞奈美吉行和子ら女優や文士も参加した句会では、吉永がまだ20代の頃に「今日はバレ句(色っぽい句)を詠みましょう」というテーマが出され、優等生・清純というイメージとは裏腹に「松茸は舐めてくわえてまたしゃぶり」と詠み、秀逸作品(天・地・人、の天)に選出されている[9]
  • 和田アキ子と旅行した時に互いに写真を写し合いした際、和田の顔を眺めて吉永は「和田さんって、私と似てますね」と言ったという。和田はそのことを他人に自慢しても信じてくれないと自虐ネタにすることがある。
  • 2005年、西武鉄道グループ(西武ライオンズを含む)の当時のオーナーであり、吉永のファンでもあった堤義明から軽井沢の別荘を格安で買ったと報じられた(週刊文春2005年3月10日号)。吉永は「通常の売買契約に基づき行っております」と弁明している。
  • 水島新司の漫画『あぶさん』にも、1993年シーズンの開幕戦に西武球場に観戦に来るなど登場する。
  • 2015年リリース、元ちとせのアルバム『平和元年』の題字を書き下ろす。

サユリスト

  • 吉永とともに青春時代を歩んだ世代のファンは特に「サユリスト」(『小百合』に『…主義者』や『人』を意味する英語の接尾辞『-ist』をつけた造語)と呼ばれ、団塊 - 70歳代にかけての世代に多く見られる。「サユリスト」を自認する者は邦画ファンや一般大衆はもとより、芸能人や著名人にも幅広く存在している[2]内藤陳は、呼び捨てをふくむこと自体がとんでもないとして「サユリサマスト」と呼ぶよう提唱しているが、ほとんど世間には浸透していない。
  • 「サユリスト」を自認するタモリは、同じく「サユリスト」として知られる野坂昭如を指して「あの人は一時、山口百恵に走ったが、俺は小百合サマ一筋」と述べたことがある。タモリと吉永は早稲田大学第二文学部に在学していた時期が重なっており、学生食堂で吉永が食事しているのを偶然に発見した際、吉永の食べ残しを食べようか迷った末、思い留まったというエピソードがある。
  • やはり、早稲田大学の後輩である小宮山悟も「サユリスト」の一人である。
  • 漫談家の綾小路きみまろも「サユリスト」を自認する人物の一人。また、吉永も綾小路のファンであり、吉永の主演映画『まぼろしの邪馬台国』では、吉永の希望によって綾小路に出演依頼を行い、綾小路は「サユリストの1人として是非」と快諾。なお、綾小路にとってはこれが実質的な俳優としてのデビュー作である。
  • ちなみに栗原小巻(誕生日は吉永の翌日である)のファンは、「コマキスト」と呼ばれた。

受賞歴など

出演

映画

ファイル:Maboroshi Tantei 2.jpg
1959年の映画『まぼろし探偵』。左は加藤弘

テレビドラマ

テレビアニメ

ラジオ

ラジオドラマ

CM

その他

  • NHK紅白歌合戦(※下記参照)
  • 日本レコード大賞10周年記念音楽会(1968年12月28日、TBS)
  • 夜のヒットスタジオ(フジテレビ) - 1969年3月31日放送(同番組のカラー放送開始初回)で歌手として初出演、当時の新譜「愛ある限り」を披露。以降、同年8月4日放送・1970年4月20日放送の計3回に歌手として出演。また、1984年10月1日放送では、当時の自身の主演映画「おはん」の同名主題歌を歌う五木ひろしの応援ゲストとして、同作品の原作者である宇野千代とともに特別出演している。
  • スター千一夜(1972年-1976年、フジテレビ) - 司会、ゲスト
  • 日本歌謡大賞(フジテレビ) -1972年度司会
  • FNS歌謡祭(フジテレビ) - 第1-4回総合司会
  • 吉永小百合ショー(1966年、日本テレビ)
  • きみはヒロシマを見たか〜広島原爆資料館(1982年8月6日、NHK総合)- 語り
  • YOU(1983年9月24日、NHK教育)
  • この人・吉永小百合ショー(1985年6月6日、NHK総合)
  • 夢を駈ける女〜馬のない名騎手・井上喜久子 (1987年1月2日、NTV)- 語り
  • ミツコ 二つの世紀末(1987年、NHK)
  • 未来からの贈りもの〜この星を旅する物語 (1995年3月`日、TBS)- 語り
  • ヒロシマ・ガールズ・50年目の夏 (1995年8月7日、フジテレビ)- 語り
  • 100ばんめのサル(1986年、株式会社シネマ・ワーク)- 語り[43]
  • 祈るように語り続けたい(1997年・1999年・2000年、NHK-BS2
  • 「ぷっ」すまスペシャル ぷっすまVS吉永小百合 芸能界“天国と地獄”(秘)ハズカシ固めSP!!(2000年9月22日、テレビ朝日)
  • NNNドキュメント「チンチン電車と女学生 2003・夏・ヒロシマ」(2003年、広島テレビ) - 語り
  • 特別対談番組「吉永小百合 石井ふく子 34年の絆」〜山本周五郎生誕100年記念によせて〜(2003年、TBSチャンネル
  • 森光子「放浪記」大いなる旅路(2005年5月22日、NHK総合)- 語り
  • 戦後60年特別企画「ヒロシマ」(2005年8月5日、TBS) - 朗読
  • 吉永小百合 言葉で平和を紡ぎたい(2007年8月9日、NHK総合)
  • 絶景・人情列島“寅さん”が旅したニッポン(2008年8月13日、テレビ東京) - 語り
  • 吉永小百合 被爆65年の広島長崎(2010年8月6日、NHK総合)
  • 証言 八十年目の真実 〜長島 そして ノルウェー〜(2010年11月28日、山陽放送) - 語り
  • NHKスペシャル「復活〜山田洋次SLを撮る〜」(2011年7月16日、NHK総合)- 語り
  • 笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号(2014年3月31日、フジテレビ)- タモリへのプレゼンター
  • SMAP×SMAP秋の超豪華SP (2014年10月16日、フジテレビ)
  • 徹子の部屋 (2015年12月11日など、テレビ朝日) - 何度か出演経験がある。高倉健とともに出演したこともある。
  • マツコの知らない世界(2018年3月6日、TBS) -主演映画「北の桜守」の告知を兼ねての出演。これまであまり話す事のなかった夫との結婚秘話などを明かした。
  • プロフェッショナル 仕事の流儀「吉永小百合スペシャル」(2019年10月26日、NHK総合)

音楽作品

シングル

ビクターレコード

  • 寒い朝/人の知らない花(1962年4月20日、VS-681)- A面は、和田弘とマヒナスターズと。
  • 草を刈る娘/サンタマリアの鐘(1962年7月5日、VS-727)
  • いつでも夢を/あすの花嫁(1962年9月20日、VS-807)- A面は、橋幸夫とデュエット。
  • かわいい花の物語/雨とお嬢さん(1962年12月5日、VS-866)
  • 虹子の夢/泥だらけの純情(1963年1月5日、VS-890)- A面は、和田弘とマヒナスターズと。
  • 雪坊主/男なら(三浦洸一)(1963年2月、VS-928)
  • 雨の中に消えて/太陽はいつも(1963年3月5日、VS-955)
  • フラワー・ニッポン/東京オリンピック音頭(1963年3月、SV-977)
  • 若い東京の屋根の下/夜のブルース(橋幸夫)(1963年4月20日、VS-991)- A面は、橋幸夫とデュエット。
  • 伊豆の踊り子/花だより(1963年5月5日、VS-995)
  • 嫁ぐ日まで/天に向って(1963年8月、VS-1068)
  • 君よ夕陽は沈んでも/通天閣の灯(1963年9月、VS-1106)
  • 波浮の港/美しい暦(1963年10月、VS-1130)
  • きよしこのよる/ジングルベル(1963年10月、PV-53)
  • 若い歌声/花は呼んでも(1963年11月5日、VS-1146)- 橋幸夫とデュエット。
  • 光る海/こんにちわ二十才(1964年1月15日、VS-1181)
  • フレッシュ東京/ことしの春(1964年2月、VS-1183)
  • みどりの河/乙女のタンゴ(1964年4月、SV-15)A面は、三浦洸一とデュエット。
  • そこは青い空だった/空色のワルツ(1964年4月25日、SV-)- A面は、橋幸夫とデュエット。
  • この夕空の下に/ごめんねチコちゃん(三田明)(1964年5月20日、SV-52)
  • 風と樹と空と/いつかあなたに(1964年7月、SV-74)
  • 愛と死のテーマ/乙女の旅愁(1964年9月20日、SV-123)
  • 瀬戸のうず潮/うどんの唄(1964年11月、SV-141)
  • 若い二人の心斎橋/いとはん可愛いや(1964年10月25日、SV-138)- 三田明とデュエット。
  • 愛のしあわせ/若草物語(1965年3月5日、SV-202)- 橋幸夫とデュエット。
  • 明日は咲こう花咲こう/甘えさせてママ(伊藤アイコ)(1965年4月5日、SV-231)- 三田明とデュエット。
  • 未成年/キューポラのある町(1965年5月、SV-233)
  • 小百合おけさ/恋のおけさ笠(1965年6月、SV-251)
  • 娘たちのこよみ/赤いりんご(1965年8月、SV-269)
  • 天満橋から/奈良の春日野(1965年9月、SV-289)
  • 小百合の花詩集/春の乙女(1966年12月、SV-351)
  • ねむの木の子守唄/ねむの木の子守唄(器楽曲)(1966年3月、SV-401)
  • 夢みる港/あの娘は街へ(1966年4月15日)- 橋幸夫とデュエット。
  • 哀愁のアムステルダム/風車のある街(1966年6月、SV-429)
  • 幸せが私を見つけた/花と愛と(1966年9月、SV-458)
  • 勇気あるもの/海に泣いてる(1966年10月30日、SV-483)- A面はトニーズと。B面はトニーズのみ。
  • わたしは毬藻/想い出よさようなら(1966年2月、SV-524)
  • 世界の国からこんにちは/みどりの広場(1967年3月、SV-533)
  • 街のハト/みんなで行こう(1967年3月、SV-539)
  • 愛の世界/恋人たち(1967年5月、SV-615)- トニーズと。
  • 思い出のレコード(1967年6月、SV-571)
  • ひとりの時も/こんなに愛してるのに(1967年7月、SV-587)- A面は、荒木一郎と。
  • 恋の歓び/オレンジの木の下で(1967年9月、SV-615)
  • 娘たちはいま/風の中を行く(1967年11月、SV-647)
  • 夕陽のマリア/星空の思い出(1968年2月、SV-666)
  • 鏡の中の私/わたしの歩く道(1968年4月、SV-694)
  • 坂道のクラブ/真夜中のあなた(1968年6月、SV-709)
  • 風の中の青春/恋のサンタモニカ(1968年10月、SV-755)
  • マロンの恋/雪の中のジュリエット(1968年12月、SV-777)
  • もうすぐ陽がのぼる/銀色のトランペット(1969年8月、SV-869)
  • 愛ある限り/遠くへ行こう(1969年10月、SV-1044)
  • 野麦峠/飛騨地方の子守唄(1969年10月、SV-1061)
  • 未来あるもの/さようなら青春(1970年7月、SV-1079)
  • 人生の夜明け/だから今日だけ(1970年3月、SV-2015)
  • ちいさな命/自然に帰ろう(1970年10月、SV-2094)
  • 遠い空の彼方に/小鳥は自然に飛ぶものです(1971年8月、SV-2162)- B面は、五つの赤い風船と。
  • 道ふり赤ベコ/小萩人形(1972年2月)
  • 夢千代日記/夢の中から(1984年11月21日、SV-7439)
  • キャバレーフラミンゴ(1986年4月)
  • 奈良の春日野/天満橋から(1987年3月、SV-9237)
  • しあわせは少し遠くに(1995年11月22日)

アルバム

ビクターレコード

  • 吉永小百合ヒットソング(1962年)
  • 小百合とあなた(1963年、JV-5089)
  • 小百合ちゃんの夢のピアノ・アルバム(1965年、SJV-92)
  • 吉永小百合リサイタル〜詩人〜(1966年、SJV-213)
  • 吉永小百合ベストヒット 愛の世界(1967年)
  • 吉永小百合とともに(1967年、JV-256/57-S)- ライブ・アルバム
  • ふるさとのおもちゃの唄(2007年)
  • 吉永小百合映画歌謡曲(日活編)(2008年)- 日活映画に残した歌声を映画音源から収録(全67曲)。
  • 吉永小百合ベスト100〜いつでも夢を、いつまでも夢を〜(2012年)

NHK紅白歌合戦出場歴(歌手として)

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1962年(昭和37年)/第13回 寒い朝 12/25 坂本九
1963年(昭和38年)/第14回 2 伊豆の踊子 11/25 北原謙二
1964年(昭和39年)/第15回 3 瀬戸のうず潮 23/25 橋幸夫
1965年(昭和40年)/第16回 4 天満橋から 15/25 森繁久彌
1966年(昭和41年)/第17回 5 勇気あるもの 15/25 加山雄三
  • 第14回、第16回、第17回は吉永の歌の映像が現存する(第16回はカラー映像)。
  • 第13回、第15回は吉永の歌のラジオ中継の音声が現存する。

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

朗読CD

  • 第二楽章(1997年) - 広島の原爆詩を朗読
  • 第二楽章・長崎から(1999年)
  • 第二楽章・沖縄から「ウミガメと少年」(2006年) - 野坂昭如の戦争童話集を朗読
    • 『第二楽章 : ヒロシマの風』(男鹿和雄画、角川文庫、2000年)
    • 『第二楽章長崎から : 画文集』(男鹿和雄画、講談社、2000年)がある。
  • 第二楽章・福島への思い(2015年)

書籍

著書

  • 『夢の続き』(世界文化社、2007年)
  • 『Sayuri 吉永小百合アルバム』(マガジンハウス、2004年)
  • 『吉永小百合街ものがたり』(講談社、1999年 / 講談社+α文庫、2003年)
  • 『旅に夢みる』(講談社、2003年)※紀行エッセイ
  • 『夢一途』(主婦と生活社、1988年 / 集英社文庫、1993年)※自伝
    新版「人間の記録122」(日本図書センター、2000年)

共著

編集

  • 『ヒロシマの風 伝えたい、原爆のこと』(角川つばさ文庫 2014年)
  • 『ナガサキの命 伝えたい、原爆のこと』(角川つばさ文庫 2015年)

伝記ほか

脚注

  1. ^ 【週刊・吉永小百合】若さ、美貌の秘訣!?サユリスト必見の食生活
  2. ^ a b c d e f 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.22.
  3. ^ ファーストキスがドラマの撮影だった6人の芸能人 仲間由紀恵や神木隆之介 - ライブドアニュース
  4. ^ 諒解〔りょうかい〕この漢字で記されていた。
  5. ^ 近代映画 近代映画社 1970年2月号 84頁。
  6. ^ a b 吉永小百合 封印された肉食系「愛欲生活」(3)恋愛禁止令を守らなかった」、アサヒ芸能、2012年1月5日、2012年12月25日閲覧 
  7. ^ (『朝日新聞版 寅さんの伝言』小泉信一/講談社)
  8. ^ 吉永小百合「ソープ嬢も乗り気でした」」、アサヒ芸能、2012年10月24日、2012年12月25日閲覧 
  9. ^ a b 吉永小百合 封印された肉食系「愛欲生活」(4)「くわえてしゃぶる」エロ俳句」、アサヒ芸能、2012年1月6日、2012年12月25日閲覧 
  10. ^ a b 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、294-295頁。ISBN 4-87932-016-1 
  11. ^ 岩下は「20代の頃、『オセロ』に出演したが、舞台の面白さを自分の中で実感できず、舞台は一回だけ」と話している。
  12. ^ ただし、2018年公開の「北の桜守」では、作中で舞台劇に出る場面があり、女優人生では“初の舞台出演”として報じられた。https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1858567.html
  13. ^ 『あゝひめゆりの塔』DVD特典映像
  14. ^ 1990年に出版された本において放送作家の永六輔は、「原爆は勿論、原発もいりません 吉永小百合」という署名を見て、ファンでよかったと嬉しく思ったと書いている。文藝春秋編『女優ベスト150 わが青春のアイドル』文春文庫、1990年、69頁。
  15. ^ 「地震国 原発なくなって」 広島の「母親大会」で吉永小百合さん語る - 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター” (2011年8月1日). 2012年8月21日閲覧。
  16. ^ asahi.com2011年7月31日
  17. ^ おはようコールABC (2018年1月18日放送回)”. gooテレビ番組. 2018年3月22日閲覧。
  18. ^ 映画「北の桜守」吉永小百合さんら舞台あいさつ 兵庫・姫路の映画館]”. 産経WEST (2018年1月19日). 2018年3月22日閲覧。
  19. ^ これらの少女時代の体験は、2017年1月8日東京新聞 朝刊 『私の十本』から。
  20. ^ a b 『女性自身』1981年5月14日・21日合併号。
  21. ^ 「女流酒豪番付にみるメトラの顔ぶれ」『週刊ポスト』1972年1月21日号、小学館、32頁。 
  22. ^ 「〔LOOK〕 中国で実力発揮 吉永小百合の酒豪ぶり 強いはずの映画各社社長も驚くばかり」『週刊現代』1979年9月27日号、講談社、53頁。 
  23. ^ 吉永小百合「多情交遊の履歴書」(4)忘年会で使用済み水着をオークションに”. アサヒ芸能. 徳間書店 (2013年8月14日). 2017年12月21日閲覧。
  24. ^ 第11回 主務部屋 「毎年恒例!吉永牛」”. 早稲田大学ラグビー蹴球部 (2012年8月21日). 2017年12月21日閲覧。
  25. ^ 『完璧版 テレビバラエティ大笑辞典』
  26. ^ 吉永小百合『夢一途』(主婦と生活社
  27. ^ 第19回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
  28. ^ “日本アカデミー賞優秀賞決定!”. (2015年1月14日). http://www.japan-academy-prize.jp/prizes/38.html 2015年1月17日閲覧。 
  29. ^ 『オールタイム・ベスト映画遺産 日本映画男優・女優100』 ISBN 978-4873768038 (2014年12月、キネマ旬報ムック)
  30. ^ 吉永小百合、国枝慎吾らに菊池寛賞”. スポーツ報知 (2015年10月14日). 2015年10月14日閲覧。
  31. ^ “山田涼介、『日本映画批評家大賞』新人賞受賞 浅野忠信の激励に感謝”. ORICON STYLE. (2016年5月26日). http://www.oricon.co.jp/news/2072329/full/ 2016年5月27日閲覧。 
  32. ^ “小百合 原爆詩の朗読で“平和活動賞”「今後も続けていきます」”. スポニチアネックス. (2016年10月28日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/28/kiji/K20161028013615460.html 2016年10月28日閲覧。 
  33. ^ 『歩いて行く二人』で一番好きな役はジュン役だったという。
  34. ^ 手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-”. 手塚治虫公式サイト. 2016年6月30日閲覧。
  35. ^ [松山ケンイチ]ラブコール実り役を手中に 劇場版アニメで吉永小百合と初共演”. マイコミジャーナル. 2013年8月19日閲覧。
  36. ^ “吉永小百合120本目の出演作で堺雅人と母子役、監督は滝田洋二郎”. 映画ナタリー. (2017年2月15日). http://natalie.mu/eiga/news/220719 2017年3月22日閲覧。 
  37. ^ “吉永小百合&天海祐希、日本版『最高の人生の見つけ方』で18年ぶり共演”. シネマトゥデイ. (2019年1月17日). https://www.cinematoday.jp/news/N0106198 date= 2019-01-17閲覧。 
  38. ^ 国境のない伝記~クーデンホーフ家の人びと - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
  39. ^ 番組エピソード 早坂暁と「NHKドラマ」 NHKアーカイブス
  40. ^ a b c d e f g h i j k l 吉永小百合のCM出演情報”. ORICON STYLE. 2016年11月30日閲覧。
  41. ^ 放送ライブラリー 番組ID:A23136
  42. ^ a b “渡哲也 15年ぶり吉永小百合と共演!初共演から50年目の記念の年に”. スポニチアネックス. (2016年8月25日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/25/kiji/K20160825013230590.html 2016年8月25日閲覧。 
  43. ^ VHS・DVD販売 - 株式会社シネマ・ワーク”. www.cinemawork.co.jp. 2020年9月28日閲覧。

関連項目

外部リンク