可睡斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
可睡斎
本堂
本堂(2007年2月)
所在地 静岡県袋井市久能2915-1
位置 北緯34度46分29.4秒 東経137度55分12.2秒 / 北緯34.774833度 東経137.920056度 / 34.774833; 137.920056座標: 北緯34度46分29.4秒 東経137度55分12.2秒 / 北緯34.774833度 東経137.920056度 / 34.774833; 137.920056
山号 萬松山
宗派 曹洞宗
寺格 遠州三山
本尊 聖観音
創建年 応永8年(1401年[1]
開基 恕仲天誾[1]
札所等 遠州三十三観音霊場30番[2]
文化財 可睡斎瑞龍閣・可睡斎東司(登録有形文化財
可睡斎護国塔(県指定文化財建造物)
紙本墨書示了然道者法語(県指定文化財書跡典跡)
武田信玄の竜の朱印状(市指定文化財古文書 ※非公開)
梵鐘(県指定文化財工芸品)
公式サイト 秋葉総本殿 可睡斎
法人番号 2080405005758 ウィキデータを編集
可睡斎の位置(静岡県内)
可睡斎
可睡斎
可睡斎 (静岡県)
テンプレートを表示

可睡斎(かすいさい)は、静岡県袋井市久能にある曹洞宗仏教寺院山号は萬松山(ばんしょうざん)。本尊聖観音(しょうかんのん)[1]。寺紋は丸に三つ葵である。江戸時代には「東海大僧録」として三河国遠江国駿河国伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持った。遠州三山の一つ。

歴史・概要[編集]

可睡斎の雛人形(2018年11月29日)[3]

室町時代初期、応永8年(1401年)に恕仲天誾禅師によって開山された[1]

可睡斎の第11代住職仙隣等膳は小僧時代に臨済寺で、今川義元の人質となっていた松平竹千代(後の徳川家康)の教育を受け持ったことがあった。後に浜松城主となった家康はその時の恩を忘れず、旧交を温めるために等膳和尚を城に招いた。ところが道中の疲れもあり、当時を懐かしむ話をしている最中に、和尚は居眠りを始めてしまった。その様子を見た家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言い、以来和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか本来東陽軒であった寺の名も可睡斎となった[1]

また、境内には三方ヶ原の戦い武田信玄の軍から逃れた家康が隠れたとされる洞窟出世六の字穴として今も残されている。

1873年明治6年)、秋葉山(あきはさん、静岡県浜松市)の神仏分離に伴い三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)が遷座され火防災除の寺ともなった(由来は「秋葉山本宮秋葉神社」の項を参照)。修行道場として僧堂を設置している。

東側の丘陵には約10万平方メートルの「可睡ゆりの園」があり、150種類・200万本のユリが植えられている[4]。また初夏の牡丹が美しい。

交通アクセス[編集]

御真殿(2007年2月)
可睡齋ひなまつり(2017年4月1日)[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 可睡斎縁起(公式サイト)2021年1月27日閲覧
  2. ^ “三十番札所 曹洞宗 萬松山 可睡斎”. 遠州三十三観音霊場. http://enshu33.com/all-guide/可睡斎/ 2012年4月12日閲覧。 
  3. ^ 『可睡斎32段ひな人形』2018年11月29日。
  4. ^ 長谷川智 (2018年5月30日). “早咲きのユリ輝く 袋井の可睡斎”. 朝日新聞』朝刊 (朝日新聞社): p. 静岡版 
  5. ^ 『可睡齋ひなまつり』2017年4月1日。

関連項目[編集]

遠州三山

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、可睡斎に関するカテゴリがあります。