叔姪婚

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叔姪婚(しゅくてつこん)は、おじまたはおばまたはの結婚。異世代婚の一種。ただし、日本語では「姪男」を「甥」と呼んだりするなど親族呼称を別に言い回すことが多いため、紛らわしさを避けるため「叔父(伯父)と姪の結婚」「叔母(伯母)と甥の結婚」などと関係を具体的に表現することも多い。ドイツをはじめとして合法な国も少なくないが、近親婚扱いされて許可されていない国も多い。

地域的状況

ヨーロッパ

15世紀から17世紀にかけてのハプスブルク家の系図

古代ローマ帝国では、皇帝クラウディウスと姪の小アグリッピナが法律を変えて無理に結婚した例がある。東ローマ帝国の皇帝ヘラクレイオスと姪のマルティナのように、周囲から非難を浴びながらも結婚した例もある。南ドイツ発祥で神聖ローマ皇帝家やスペイン王家にもなったハプスブルク家はこのような婚姻を頻繁に行っていたことで知られ、例えば皇帝フェルディナント2世の両親(オーストリア大公カール2世マリア・アンナ・フォン・バイエルン)は叔父と姪、スペイン王フェリペ3世の両親(スペイン王フェリペ2世アナ・デ・アウストリア)は伯父と姪の関係である。スペイン・ハプスブルク家の断絶は度重なる近親婚による遺伝的な疾患の発現が原因である可能性があるとする説があるが[1]ポルトガルやスペイン、南イタリアの王族の間ではハプスブルク家以前(アヴィス朝トラスタマラ朝)にも以後(ブラガンサ朝スペイン両シチリア王国ブルボン朝)にも叔姪婚がしばしば行われている。

ドイツでは、法律上は叔姪婚が認められている。アドルフ・ヒトラーの姪であるゲリ・ラウバルが自殺したのは、ヒトラーが姪のゲリと愛人関係にあったにもかかわらず結婚しようとしなかったためだとする見方もある[2]

アジア

タイにおいては、このような婚姻も法律上認められている。インドにおいては、一般的な場合に適用される婚姻法では原則としては禁止しているが、あくまで原則であり、実際には宗教や慣習上の問題がなければ可能とされている。母親の介護で忙しく年齢を経ても未婚だった息子が、母親が92歳で死去した後、既に60歳となっていたが50歳の姪と結婚したという2008年のタミル・ナードゥ州での報道もある[3]

朝鮮では古代に新羅骨品制の影響もあり、また高麗でもその伝統を受けて、王族でおばと甥、おじと姪が結婚する例が見られた。

中国でも古くは、同姓婚は回避しながらも、前漢恵帝三国時代景帝が姪(いずれも姉の娘)を皇后としていた例がある。

日本

日本ではかつては普通に見られた慣習で、日本神話においては叔母と甥の関係であるタマヨリビメウガヤフキアエズが結婚したことによって誕生した息子が後に初代天皇として即位し、神武天皇になったという伝説もある。

天智天皇天武天皇の時代の天皇家の系図

天皇家では政略上の問題から結婚させられたとみられる場合もあり、孝徳天皇と姪の間人皇女の婚姻例のように、不和が酷かったとされる事例もある。天智天皇天武天皇の時代には、天智の娘すなわち天武の姪が何人も叔父である天武の妻になったという記録がある。

奈良時代藤原氏出身で皇后になった光明皇后は、夫である聖武天皇の母方の叔母に当たる存在であった。平安時代も、朱雀天皇煕子女王円融天皇尊子内親王のように叔父と姪の婚姻例が存在している。

摂関政治の頂点といえる藤原道長の時代には、天皇家の母方の一家が実権を握ったことで、後一条天皇後朱雀天皇のように天皇が母方の叔母と結婚する現象が見られた。だが、後一条天皇は叔母と結婚しているが、当時としては珍しい一夫一妻制を貫いた天皇として知られている。

戦国大名伊達政宗の下で活躍した一門の家臣・伊達成実は、母親が父伊達実元の姪であったとされている。大坂の陣江戸幕府軍に敗北し処刑された長宗我部盛親は、姪を妻としていた。

明治時代に制定された民法では建前上は一応禁止したが、内縁関係の制限は設けなかったため、事実上は地域社会においては黙認された慣習として続いている。倉本政雄による昭和17年度すなわち1942年度の富山県の産婦人科における調査によれば、調査対象となった1197人の婚姻例のうち2例すなわち約0.17%の婚姻が叔姪婚であったと、1943年に豐田文一との共同研究という形で報告をしている[4]

茨城県における叔父と姪の内縁関係で、叔父が死亡後の姪に対する遺族年金の給付が可能であるかを巡って訴訟が発生し、2007年3月には、そのような内縁関係でも倫理性などに問題がなければ遺族年金給付は可能という最高裁判所の判断が示された[5]。2009年1月には、兵庫県における叔父と姪の内縁関係の訴訟においても遺族年金給付を認める判決が東京地方裁判所で出されている[6]

叔姪婚の例

夫婦とも記事が揃っている事例のみ挙げる。

ヨーロッパ

アジア

出典

  1. ^ スペイン・ハプスブルク家、断絶の原因は「近親婚」か 研究結果”. AFPBB News (2009年4月16日). 2011年9月30日閲覧。
  2. ^ Johnson, Daniel (2006年3月26日). “The flirtatious Fraulein” (英語). Times Online. タイムズ. 2011年9月29日閲覧。
  3. ^ Man marries at 63…after fulfilling duties as son” (英語). Thaindian News (2008年7月9日). 2011年9月29日閲覧。
  4. ^ 豐田文一, 倉本政雄 (1943年10月30日). “富山県下ニ於ケル血族結婚ノ頻度ニ就テ : 農村衛生ニ関スル調査報告 第5報” (PDF). 金澤醫科大學十全會雜誌 (金澤醫科大學十全會) 48 (10): 2270-2273. http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/21539/1/AN0004385X-048-10-014.pdf 2011年9月28日閲覧。. 
  5. ^ “近親婚でも受給可 遺族年金、最高裁が初判断”. 47 News. 共同通信 (Press Net Japan Co., Ltd.). (2007年3月8日). http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007030801000461.html 2011年9月29日閲覧。 
  6. ^ “近親婚でも年金認める 東京地裁「婚姻秩序乱さず」”. 47 News. 共同通信 (Press Net Japan Co., Ltd.). (2009年1月30日). http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009013001000875.html 2011年9月28日閲覧。 

関連項目