南部鉄道

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南部鉄道
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
青森県三戸郡五戸町字下毛沢向13の3
設立 1926年(大正15年)2月21日
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、自動車運送業、倉庫業
代表者 社長 三浦道雄
資本金 115,000,000円
発行済株式総数 2,300,000株
特記事項:1967年3月20日現在(『私鉄要覧 昭和42年度版』 20頁)
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概要
現況 廃止
起終点 起点:尻内駅
終点:五戸駅
駅数 8駅
運営
開業 1929年8月23日 (1929-08-23)
廃止 1969年4月1日 (1969-4-1)
所有者 南部鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 12.3 km (7.6 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 200 m (660 ft)
電化 全線非電化
最急勾配 30.3
路線図
STR
国鉄八戸線
ABZql
国鉄:東北本線
exSTR+l
0.0 尻内駅
exBHF
1.2 張田駅
exBHF
3.0 正法寺駅
exBHF
4.9 七崎駅
exBHF
6.2 豊崎駅
exBHF
6.3 上七崎駅 -1929
exBHF
7.8 志戸岸駅
exTUNNEL1
地蔵岱隧道 253m
exBHF
9.6 県立種鶏場前駅
exKBHFe
12.3 五戸駅
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南部鉄道(なんぶてつどう)とは、かつて青森県八戸市の尻内駅(現・八戸駅)とその西方にある三戸郡五戸町五戸駅との間を結んでいた鉄道路線およびその運営会社である。

昭和初期に開業。将来的に秋田県内の毛馬内(十和田南駅)への延伸や、さらに種差海岸へ延長計画のほか、三戸町十和田市東北町への延伸構想もあったものの果たせず[1]1968年5月16日に発生した十勝沖地震によって全線に壊滅的な被害を受け、復旧しないまま廃止となった。

会社は鉄道廃線後、社名を南部バスに変更し、バス専業の会社として存続していたが、経営難のため2017年3月1日付で岩手県北自動車へ事業譲渡し破産2018年4月16日に法人格が消滅した。

路線データ[編集]

運行形態[編集]

1930年8月20日改正当時

  • 運行本数:日12往復(4 - 19時台)
  • 所要時間:全線32分

1967年9月10日当時

  • 運行本数:日12往復(7 - 20時台)
  • 所要時間:全線27 - 38分

歴史[編集]

※鉄道事業に関する内容のみ。バス事業に関しては、「南部バス#沿革」を参照のこと。

  • 1925年(大正14年)4月27日:鉄道免許状下付(三戸郡上長苗代村-同郡五戸町間 動力電気)[2]
  • 1926年(大正15年)2月21日五戸電気鉄道として会社設立[3]
  • 1929年(昭和4年)
    • 7月25日 - 動力変更認可(蒸気)[4]
    • 8月23日:尻内 - 上七崎間が開業[5]
    • 10月10日:上七崎 - 志戸岸間が開業[6]。上七崎駅廃止。
  • 1930年(昭和5年)
  • 1936年(昭和11年)5月5日五戸鉄道に社名変更。
  • 1945年(昭和20年)1月1日南部鉄道に社名変更。
  • 1960年(昭和35年)月日不詳:豊崎駅開業。
  • 時期不詳:地蔵岱駅を県立種鶏場前駅へ改称。
  • 1968年(昭和43年)5月17日:十勝沖地震により全線運行休止。
  • 1969年(昭和44年)4月1日:全線廃止。
  • 1970年(昭和45年)5月30日南部バスに社名変更。

創業当時の社名は五戸電気鉄道であったが、開業から廃線まで電化されたことはなかった。同様のケースとしては水戸電気鉄道[8]善光寺白馬電鉄[9]阿波電気軌道[10]がある。

駅一覧[編集]

  • 全駅青森県内に所在した。所在地の町村名、接続路線の線名・事業者名は休止当時のもの。
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 所在地[11]
尻内駅 - 0.0 日本国有鉄道東北本線八戸線 八戸市
張田駅 1.2 1.2  
正法寺駅 1.8 3.0  
七崎駅 1.9 4.9  
豊崎駅 1.3 6.2  
志戸岸駅 1.6 7.8   三戸郡五戸町
県立種鶏場前駅 1.8 9.6  
五戸駅 2.7 12.3  

尻内駅は八戸駅新幹線ホーム付近(旧・八戸運輸区近く)にあった。また五戸駅跡地は岩手県北バス南部支社五戸営業所となっている。

廃止駅
  • 上七崎駅 - 1929年(昭和4年)10月10日廃止。

輸送・収支実績[編集]

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1929 61,223 457 5,713 11,181 ▲ 5,468 1,834 14,971
1930 143,335 7,363 36,679 48,132 ▲ 11,453 運送自動車業1,039 雑損1,003 45,330
1931 85,518 8,987 34,148 28,130 6,018 自動車業1,555雑損3,800 79,882 18,278
1932 91,915 11,987 41,880 28,218 13,662 雑損1,623
運送自動車業611
50,602 30,857
1933 106,972 13,143 45,776 33,553 12,223 雑損666自動車運送3,455 52,863 36,817
1934 113,223 15,345 44,313 27,854 16,459 債務免除金4,008 雑損2,671自動車業3,826 49,942 36,994
1935 121,560 13,685 43,829 36,990 6,839 自動車業その他9,706
雑損93,366
28,688 37,853
1936 135,312 16,010 49,230 39,098 10,132 自動車業その他8,533
雑損12,573
28,373 39,673
1937 147,129 21,882 57,672 43,635 14,037 自動車業15,321 雑損償却金34,988 28,024 35,029
1939 222,284 38,265
1941 301,651 53,897
1943 373,819 38,126
1945 577,963 29,748
1952 572,347 36,522
1958 661千 38,677
1963 793千 37,601
1966 828千 36,544
  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版

車両[編集]

蒸気機関車[編集]

  • 1 → C251, 2
    1896年、ピッツバーグ製の車軸配置0-6-0(C)形25t級タンク機関車。1929年の開業時に鉄道省1690形(1690, 1691)を譲り受けたもの。2は、1940年1月に廃車となったが、1はその後も残り、1941年12月に仙台陸運局の仙監理第532号通牒により、動軸数をアルファベットで、その後に運転整備重量と番号を加えたC251に改番された。1947年10月に東野鉄道に譲渡され、そこで廃車となった。
  • 3 → 961
    1940年1月に2の代機として、鉄道省から譲り受けたもの。鉄道院5300形テンダー機関車を車軸配置4-4-2(2B1)形タンク機関車に改造した機関車(960形)で、旧番号は960である。1941年12月には、961に改番されたが、通牒に従えばB421とでもなるべきであった。また、旧番号とも関係ない番号にされたのも不可思議である。太平洋戦争中に軍の命令により日本製鐵輪西製鉄所に貸し渡され、S407と改番された。その後、爆撃により失われたとして、1946年9月に廃車手続きがされたが、1949年に実在していたことが確認されている。
  • 281
    1923年、日本車輌製造製の車軸配置2-4-2(1B1)形タンク機関車で、1943年10月に、燃料統制により動かせなくなった気動車の代わりに鉄道省から譲り受けた280形(281)である。諸申請の状況から、譲受のかなり前から入線していたようである。1947年2月に土佐交通に譲渡された。
  • C319
    1944年12月、立山重工業製の車軸配置0-6-0(C)形タンク機関車で、1946年7月に日本製鐵釜石製鉄所S319を譲り受けたものであるが、それ以前から当線で使用されていた。当線に在籍した期間は非常に短く、同年11月に早くも茨城交通に譲渡された。
  • C400, C401
    1946年、立山重工業製の車軸配置0-6-0(C)形40t級タンク機関車で、自社発注機である。戦時設計の色濃い機関車で、角形のドームが特徴的であった。C400は、1951年4月に国鉄郡山工機部空気ブレーキに改造されたが、未改造のC401は1953年に電気化学4として譲渡された。C400は、ディーゼル機関車の予備として1956年8月まで在籍し、川崎製鉄千葉製鉄所に譲渡されてNUS12となった。

ディーゼル機関車[編集]

DC351
  • DB251
    1952年日本車輌製造製。自重25t。廃止後は甲州砕石に譲渡され初狩駅側線で使用された[12][13]
  • DC351
    1956年汽車会社製の35t3軸ロッド駆動式ディーゼル機関車(製造番号2751)。五戸駅 - 尻内駅間で約10年間運行された[14]。1967年に日本冶金工業に譲渡[14]加悦鉄道で運行され、同鉄道の廃止後は加悦SL広場で保存。宮津海陸運輸(加悦鉄道の後身)が所有権者となっていたが[14]、2020年の加悦SL広場の廃止後に五戸町に無償譲渡されることとなった[15]。2022年4月、フェリーとトラックで輸送され、ごのへ郷土館敷地内に搬入された[14]

客車[編集]

  • ハ11、12
    書類上は昭和4年8月小島栄次郎製となっているが外観は明治時代の木製2軸客車そのものであり[16]車両ブローカーである小島栄次郎が中古品を売り込んだと考えられる。1943年に鹿島参宮鉄道に譲渡され、ハ22.23となり1955年12月廃車となるまで鉾田線で使用された[17]
  • ナハ53 → ハフ1401

気動車[編集]

  • キハ1 → ハ1, キハ2 → ハ2
  • キハ103 → ハフ103, キハ104 → キハ105 → ハフ105
    1930年日本車輌製造製の鋼製車体を持つ2軸ガソリンカーだったが、戦時中の燃料統制に伴う気動車使用中止により機関を降ろして客車化された。
  • ハ40001 → キハ40001, ハ40002 → キハ40002 → ハフ40002
    1949年に国鉄キハ40000形(キハ40006, キハ40011)の払い下げを受けたもの。当初は機関を搭載せず客車として使用された後、ディーゼル機関を搭載した。その後、キハ40002は機関を降ろして再び客車となっている。
  • キハ41001
    1949年9月30日付けで国鉄キハ41000形(キハ41094)の払い下げを受けたもの。1963年に機関をDMF13に換装し、液体式に改造された。
  • キハ41003

貨車[編集]

  • ワフ1, ワフ2
  • ワフ5
  • ワム200 - ワム202
  • ト1 - ト13
  • トム51 - トム55
  • トム100, トム101

十勝沖地震における被害[編集]

1968年5月16日に発生した十勝沖地震によって、路盤の沈下・決壊・亀裂・土砂流出などの路線被害が49箇所に上り、停車場・待合室・倉庫・ホームの損壊などの鉄道設備被害が16箇所、電柱の倒壊30本、傾斜80本と2億円以上に上る被害を受け、数年来の赤字も勘案され、同年5月18日には復旧を断念、翌年4月1日での廃線が決定した[18]

逸話[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “幻の「秋田延伸」資料発見/1969年廃止の南部鉄道”. デイリー東北 (デイリー東北新聞社). (2022年1月21日). https://www.daily-tohoku.news/archives/93631 2022年1月21日閲覧。 
  2. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1925年5月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』『日本全国諸会社役員録. 第35回(昭和2年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 白土貞夫「南部鉄道」『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道図書刊行会、28頁
  5. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年9月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年10月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年4月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 1936年休止、1938年廃止。
  9. ^ 1944年休止、1969年廃止。
  10. ^ 1926年に阿波鉄道に改名、1933年国有化。後の高徳線の一部・鳴門線鍛冶屋原線(1972年廃止)。
  11. ^ 南部鉄道の駅一覧 - 鉄道地図検索(各駅の地図表示あり)、2014年2月2日閲覧
  12. ^ 岩堀春夫「専用線の機関車」『鉄道ファン』No.282
  13. ^ 写真有り「初狩最後のスイッチバック」『編集長敬白アーカイブ』2006.5.10
  14. ^ a b c d 「おかえり」地元歓迎 55年ぶり五戸帰郷 機関車「DC351」”. デーリー東北. 2022年4月17日閲覧。
  15. ^ “機関車DC351、青森へ半世紀ぶり「帰郷」 旧南部鉄道で唯一現存の車両、京都から無償譲渡”. 京都新聞. (2021年1月11日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/462337 
  16. ^ 実見ではハ11には東京車輌製作所の銘版、ハ12の軸箱には「IGR MAKER KOBE1884」刻印があったという(白土貞夫・中川浩一『鹿島鉄道』ネコパブリッシング、2008年、32-33頁)
  17. ^ 『私鉄車両めぐり特輯』2、32頁
  18. ^ 青森県大震災の記録

参考文献[編集]

  • 白土貞夫 (1967). “南部鉄道”. 鉄道ピクトリアル No. 199 (1967年7月臨時増刊号:私鉄車両めぐり8): pp. 6-7, 27-36. (再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 2巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。 
  • 青木栄一 著「昭和52年5月1日現在における補遺」、鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 2巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺3頁頁。 
  • 今尾恵介日本鉄道旅行地図帳』 2号 東北、新潮社、2008年、38頁。 

関連項目[編集]