南海丸遭難事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

南海丸遭難事故(なんかいまるそうなんじこ)は、1958年昭和33年)1月26日兵庫県三原郡南淡町(現・南あわじ市)の沼島付近において発生した海難事故である。

生存者が1人もおらず、事故の詳細は不明となっている。

事故の概要[編集]

1958年1月26日の17時頃、徳島地方気象台強風注意報を出したが、連絡航路の南海汽船(後の南海フェリー)所属の旅客船「南海丸」は、17時30分頃に和歌山港和歌山県和歌山市)へ向けて、小松島港徳島県小松島市)を出航した。

南海丸は、同日18時28分頃に沼島の西方付近で無線電話で危険を知らせる連絡を最後に消息を絶った[1]。当時、南海丸がいた紀伊水道の沼島付近は平均風速17mないし20m、平均波高4mないし5mの悪天候であったものと推定されたため、直ちに僚船や海上保安庁巡視船らによる救助体制がとられた。

翌々日の1月28日の16時頃、沼島の南西2.4海里の水深約40mに沈没している船体が発見された。その後に船体は引き上げられたが、旅客139名および乗組員28名の167人全員が死亡もしくは行方不明という大惨事となった。

海難審判の採決文によれば、この遭難について、船体および機関に沈没原因になるような欠陥は無く、発生原因が明らかでないとされた。生存者がいなかったため事故の詳細は明らかにできなかったが、おそらくは台風並みに発達した低気圧による時化で沈没したのではないかとされている。

南海丸の概要[編集]

南海汽船の南海丸は、1956年(昭和31年)3月に竣工した新しい船舶であった。総トン数494トン、乗客定員は444名。事故後は引き揚げられて「なると丸」に改称後、1964年(昭和39年)にフェリーに置き換えられるまで使用された。

なお、宇高航路に就航していた同名の船「南海丸」とは別の船である。

脚注[編集]

  1. ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、126頁。ISBN 9784816922749 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]