南大隅町

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みなみおおすみちょう ウィキデータを編集
南大隅町
佐多岬
南大隅町旗
南大隅町章
2005年平成17年)8月1日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
肝属郡
市町村コード 46491-1
法人番号 7000020464911 ウィキデータを編集
面積 213.59km2
総人口 5,751[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 26.9人/km2
隣接自治体 肝属郡肝付町錦江町
南大隅町役場
町長 石畑博
所在地 893-2501
鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北226番地
北緯31度13分2.4秒 東経130度46分5.6秒 / 北緯31.217333度 東経130.768222度 / 31.217333; 130.768222 (南大隅町)座標: 北緯31度13分2.4秒 東経130度46分5.6秒 / 北緯31.217333度 東経130.768222度 / 31.217333; 130.768222 (南大隅町)
南大隅町役場(旧根占町役場)
南大隅町役場(旧根占町役場)
外部リンク 南大隅町

南大隅町位置図

― 市 / ― 町・村

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旧根占町を流れる雄川(おがわ)
鹿屋市・錦江町境の国道269号。南隅は南大隅・錦江2町を指す名称でもある

南大隅町(みなみおおすみちょう)は、鹿児島県(離島部除く)の東南部、大隅半島の南部にある肝属郡に属する。

2005年3月31日、根占町(ねじめちょう)と佐多町(さたちょう)が合併して発足した。日本本土最南端[1]佐多岬を有する。

地理

大隅半島の最南部にあたり、西側は鹿児島湾(錦江湾)および東シナ海、東側は太平洋フィリピン海)、南側は大隅海峡に囲まれている。佐多岬上を北緯31度線が通る。町域の大部分は肝属山地で占められ、可住地面積比率は19パーセントにとどまっている[2][3]。西側の錦江湾沿いから佐多岬にかけての地域は霧島屋久国立公園に指定されている。

太平洋に面する佐多・大泊の海

隣接市町村

北方向に錦江町および肝付町が隣接している。錦江町へは国道269号または県道68号(鹿屋吾平佐多線)、肝付町へは県道74号(内之浦佐多線)で連絡する。

地名

旧根占町・旧佐多町からなり、住所表記に旧町名を頭につけている。(○○町××→南大隅町○○××)

根占
  • 川北
  • 川南
  • 辺田
  • 山本
  • 横別府
佐多
  • 伊座敷
  • 辺塚
  • 馬籠

歴史

縄文時代早期の遺跡として大中原遺跡が、弥生時代中期の遺跡として谷添遺跡があり、この頃からの定住があったとみられる[4]

713年の大隅国設置時には肝属郡に属していたが、後に大隅郡(1887-1897年は南大隅郡)所属となる。平安時代からは禰寝院と呼ばれる荘園があり、これに因み、古代からこの地と縁の深い建部氏は名字を禰寝氏(根占氏とも)と名乗ることになった。こうして同氏は古代にあっては大宰府在庁官人郡司、そして中世にあっては鎌倉幕府御家人として登場することになる。16世紀末に日置市日吉町吉利)に移封されるまで、数百年間にわたって同氏はこの地を治め続け、日本の歴史のみならず、ヨーロッパの歴史とも繋がった。南蛮人来航の一港は実に小禰寝港にあった。指宿市の山川港とともにこの港は明人に限らず、ポルトガル人の商人も多く来航した。フランシスコ・ザビエルを案内したヤジロウ(アンジロウとも)はこの地の出身者でないかとも言われている。また禰寝氏は中山王の治める琉球王国との交易にも参加した。同氏が去ったことにより、大隅南部は活気は失った感があるものの、江戸時代半ばの吉利当主・小松清香(同氏直系は彼の代に名字を小松に改め、平姓となった)は祖先に高い関心を有し、本貫地の根占・佐多にある史跡(墓跡を含む)を整え、先祖を顕彰した。

その江戸期には薩摩藩島津氏)が根占・佐多に外城をおき薩摩藩直轄領となっていた[5]。外城は1784年にに名称を改め(根占郷・佐多郷)、1889年の町村制実施時にほぼそのままの区域をもって小根占村佐多村となった。小根占村は1941年に、佐多村は1947年にそれぞれ町制を施行し根占町佐多町となった。

平成の大合併では2003年6月に根占町・佐多町・大根占町田代町の4町[6]南隅地域合併協議会を設置し合併協議を進めたものの、大根占町側の反対により交渉は決裂した[7]。根占町と佐多町は2004年9月に南大隅合併協議会を設置。同年11月の合併調印式の実施・議会による議決を経て、2005年3月31日に2町は合併し南大隅町が発足した。 町名は一般応募により決定された[8]ものであるが、南大隅(南隅)は錦江町を含む2町を合わせた地域をさす名称でもある。

  • 1941年1月1日 - 小根占村が町制施行。根占町となる。
  • 1947年9月1日 - 佐多村が町制施行。佐多町となる。
  • 2005年3月31日 - 根占町・佐多町が対等合併して新町制を施行し、南大隅町が発足。

行政

佐多支所
本土最南端の大泊郵便局
  • 町長:森田俊彦

町の行政機関

旧根占町役場を町役場本庁とし、旧佐多町役場を佐多支所として設置している。

地域

人口


南大隅町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


教育

高等学校

県内の全日制普通科高校に設定されている学区は「大隅学区」。学区内の高校については鹿児島県高等学校一覧を参照。

中学校

小学校

町立小学校が11校(1校は休校中)設置されている。神山小学校を除き複式学級を有する小規模校であり、辺塚小学校は2009年に休校している。このため、学級数の適正化を主目的として、2013年4月を目途に根占地区に1校(神山小学校敷地)、佐多地区に1校(佐多小学校敷地)へそれぞれ統合される予定である[9]

根占地区
佐多地区

交通

根占港
フェリーなんきゅう(暫定船、画像は2010年当時の指宿-大根占航路)

バス

航路

指宿市山川港と南大隅町の根占港を結ぶ

道路

国道269号が錦江湾沿岸を通り、道の駅根占がゴールドビーチ大浜付近に設置されている。また、錦江町中心部から田代方面に繋がる国道448号が根占地区を通過している。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

名所旧跡・観光スポット

雄川の滝(根占/錦江町田代との境)
  • 佐多岬(日本本土最南端の地)
  • ねじめ温泉・ネッピー館 
  • 佐多旧薬園(国の史跡
  • ソテツ自生地(国の特別天然記念物)
  • 「ネッピー市」直売所 南大隅町特産品出荷協議会
  • ゴールドビーチ大浜(黄金色の砂浜、ビーチバレー大会も開催されている)
  • 半潜水型水中展望船「さたでい号」

祭事・催事

出身者

脚注

  1. ^ この場合の「本土」は北海道本州四国九州の主要4島をさす。
  2. ^ 位置及び面積 - 南大隅町公式サイト内。
  3. ^ 自然(地形) - 南大隅町公式サイト内。
  4. ^ 歴史(縄文・弥生) - 南大隅町公式サイト内。
  5. ^ 歴史(平安から近代) - 南大隅町公式サイト内。
  6. ^ 大根占町・田代町は2005年3月22日に合併し錦江町として発足した。
  7. ^ 新町誕生の歴史(錦江町の誕生まで) - 錦江町公式サイト内。
  8. ^ 南大隅町誕生までの経緯 - 南大隅町公式サイト内。
  9. ^ 「平成二十五年四月、町内小学校統合へ」『広報南大隅』2011年3月号、裏表紙。
  10. ^ 観光情報:陸路 - 南大隅町公式サイト内。

外部リンク