卑弥呼 (AV女優)
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卑弥呼(ひみこ、1971年9月3日 - )は、1990年代前半に活動した日本のAV女優である。村西とおるが率いたダイヤモンド映像を代表するAV女優の一人。
東京都豊島区池袋出身。ボディサイズはT166/B90/W60/H87(デビュー時)→T166/B90/W60/H89(復帰時)。血液型AB型。
経歴
1990年度の「ミス日本」の東京代表(グランプリではない)[1]に選ばれる。受賞の翌月、1本500万円の出演料[2]で『大和撫子タマの腰』でAVデビュー。日本版トレイシー・ローズと呼ばれたボディスタイルと美貌、持ち前の明るいスケベっぷりで、ダイヤモンド映像専属女優の中でもトップクラスの人気を誇った。芸名は村西とおるの発案による。
ダイヤモンド映像と関連会社では20本余りの作品に出演したが、活動期間がダイヤモンド映像が経営破綻していく時期と重なり、支払われたギャラのうち3,000万円を村西に貸したまま踏み倒されたと告白。ワイドショーや週刊誌などが大きく取り上げるスキャンダルになった。[3]
その後はグラビア活動を行っていたが、ダイヤモンド映像の監督だった日比野正明の仲介により1993年にクリスタル映像でAVに復帰。6本のビデオに出演したのち、業界から完全に引退した。[4][5]
なおトレイシー沙貴という別名でビデオが発売されたという情報が散見されるが、裏ビデオでしか使われておらず、公式リリースは全て卑弥呼名義である。
デビュー時のプロフィールは「1970年6月7日生まれ、長崎県出身、血液型A型」 [6]で、他にも複数のプロフィールがあったが、その後本項冒頭の形となった。
作品
アダルトビデオ
- 大和撫子タマの腰 (1990年7月11日、ダイヤモンド映像)
- やってなさそでそんなんじゃない娘 (1990年8月11日、ダイヤモンド映像)
- 鮮度120% ハマッ娘デビュー (1990年8月15日、ビックマン)
- 女に生まれてよかった宣言 (1990年9月11日、ダイヤモンド映像)
- 黒くてぶっといのが大好き (1990年10月15日、ダイヤモンド映像)
- とにもかくにもいっぱいにください、極楽棒を!! (1990年11月21日、ダイヤモンド映像)
- 女の生き方教えます (1990年12月21日、ダイヤモンド映像)
- 極上ボディーの女 只今参上 この娘が日本で一番です (1991年1月21日、ダイヤモンド映像)
- 若奥様 卑弥呼 (1991年2月21日、ダイヤモンド映像)
- 豊田薫の口全ワイセツ 2 (1991年3月7日、ヴィーナス)
- 若奥様、もう一度 (1991年3月21日、ダイヤモンド映像)
- この体に男のロマンあり (1991年4月25日、ダイヤモンド映像)
- インストラクター卑弥呼 (1991年5月25日、ダイヤモンド映像)
- 愛は奇跡にファンタスティック (1991年6月25日、ダイヤモンド映像)
- すじ立ちぬ (1991年7月25日、ダイヤモンド映像)
- 女教師レイプ魔 (1991年8月25日、ダイヤモンド映像)
- スイートバニー・卑弥呼 (1991年9月25日、ダイヤモンド映像)
- スチュワーデス・卑弥呼 ぐしょ濡れ直行便 (1991年10月25日、ダイヤモンド映像)
- 愛と腰使いの果てに (1991年11月25日、ダイヤモンド映像)
- ハイレグスター3 女[悶狂]獣 (1992年1月21日、ビックマン)
- 突きっぱなし 卑弥呼 (1992年2月15日、ビックマン)
- Stuff (1992年3月21日、裸の王様)
- 卑弥呼伝説 (1993年8月19日、メシア)
- スキャンダルに天誅を (1993年10月14日、メシア)
- 官能BODYランゲージ (1993年12月14日、メシア)
- スーパーレズビアン 禁断の白衣 (1994年2月10日、メシア)
- 卑弥呼神話 (1994年3月31日、メシア)
- 不死鳥・卑弥呼 (1994年6月30日、メシア)
オリジナルビデオ
- 桃尻こねクション (1993年9月1日、バップ) 共演:杉浦友美、前薗小百合
書籍
写真集
- あい・らぶ・愛―HIMIKO in AUSTRARIA(BIC MAN SERIES)(1990年11月20日、ビックマン、撮影:村西とおる)ISBN 978-4894050549
- 卑弥呼写真集(BIC MAN SERIES)(1991年10月20日、ビックマン、撮影:稲村幸夫、中川秀樹、大隅孝之)ISBN 978-4894050877
- 素肌のままで(1992年10月15日、ドリームワークス出版、撮影:山岸伸)ISBN 978-4886180551