北警察署 (愛知県)

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北警察署
都道府県警察 愛知県警察
管轄区域 名古屋市北区
課数 7
交番数 10
所在地 462-0843
愛知県名古屋市北区田幡2-15-18
位置 北緯35度11分45.57秒 東経136度54分42.24秒 / 北緯35.1959917度 東経136.9117333度 / 35.1959917; 136.9117333座標: 北緯35度11分45.57秒 東経136度54分42.24秒 / 北緯35.1959917度 東経136.9117333度 / 35.1959917; 136.9117333
外部リンク 北警察署
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北警察署(きたけいさつしょ)は、愛知県警察が管轄する警察署の一つである。大規模警察署であり、署長は警視正

所在地

管轄区域

沿革

歴代署長

就任期間 氏名 階級
1 1942年(昭和17年)7月1日 - [2] 大野佐長[2] 警部[2]
2 1944年(昭和19年)1月31日 - [2] 市岡義一[2]
3 1944年(昭和19年)10月27日 - [2] 横地龍平[2] 警視[2]
4 1945年(昭和20年)12月27日 - [2] 梶田安一[2]
5 1946年(昭和21年)6月21日 - [2] 佐々木勝男[2]
6 1947年(昭和22年)1月20日 - [2] 青柳丹蔵[2]
7 1949年(昭和24年)12月1日 - [2] 石田義介[2]
8 1951年(昭和26年)2月19日 - [2] 更谷藤十郎[2]
9 1952年(昭和27年)3月22日 - [2] 田中身吉[2]
10 1955年(昭和30年)7月1日 - [2] 木下成雄[2]
11 1956年(昭和31年)8月1日 - [2] 北川紀言[2]
12 1958年(昭和33年)4月1日 - [2] 富成守次[2]
13 1960年(昭和35年)3月26日 - [2] 山田正一[2]
14 1963年(昭和38年)2月25日 - [2] 近藤寛[2]
15 1964年(昭和39年)3月11日 - [2] 小林甲子雄[2]
16 1965年(昭和40年)3月19日 - [2] 鈴木清次[2]
17 1967年(昭和42年)3月17日 - [2] 水谷清[2]
18 1969年(昭和44年)3月24日 - [2] 古屋幹雄[2]
19 1970年(昭和45年)8月1日 - [2] 丹羽鈴雄[2]
20 1972年(昭和47年)3月27日 - [2] 林一男[2]
21 1974年(昭和49年)3月22日 - [2] 西村繁夫[2]
22 1975年(昭和50年)3月18日 - [2] 本田春男[2] 警視正
23 1978年(昭和53年)3月24日 - [2] 安藤正男[2]
24 1980年(昭和55年)11月10日 - [2] 櫻井輝夫[2]
2013年(平成25年)3月25日 - 岩城一平

幹部交番

なし

交番

( )の中は所在地
2013年5月6日20時過ぎ、同区内の17歳と16歳の少年が交番内机上において排泄物入りのビニール袋をロケット花火4本を使い破裂させるという事件が発生した。事件時交番は無人だった。少年らは11日、威力業務妨害(排泄物処理にあたった当署員7人の業務を妨害した)と建造物侵入の容疑で逮捕された。[3]

警察官駐在所

なし

主な事件

  • 猟銃乱射殺人事件
1965年(昭和40年)2月15日17時10分頃、萩野通飲食店Sで名古屋市交通局員M子(22)ほか2名の計3名で食事をしていたところ、西側の入口から現れた猟銃を持った男が突然発砲した。その時発射された弾丸3発によりM子は即死、友人2人は重傷を負った。男は原動機付自転車に乗り、さらに志賀町喫茶店Uのガラスに向けて、続けて同町喫茶店Tの調理場の窓越しに発砲して逃走した。北署は原付のナンバーから犯人をN(31)と断定。Nはラジオニュースにより事件を知った民間人の通報により、同日19時15分頃岐阜市西明見町路上で逮捕された。[2]
  • 紅雲町の三角関係殺人事件
1967年(昭和42年)12月30日17時30分頃、紅雲町のTアパートから同アパートに居住するO(26)の部屋で人が刺されたという通報があった。署員が現場に到着したところ、Oは顔面等に硫酸をかけられ重傷を負っている状態で、ホステスY(25)が胸部等を刺され仰向けになった状態で即死。さらにA(34)が同アパート前の路上で胸部等を刺されうつぶせの状態で絶命していた。捜査の結果、次のことが判明した。YはM(30)と同棲していたが、最近Oとも肉体関係を持っていた。そのことをMが知るところとなり、Yは12月25日にM宅から家出することになる。MはYがO宅にいることを知り激昂。自宅にあった牛刀(刃渡り21センチメートル)と硫酸を持ち出し、O宅で犯行に及んだということである。Mはまもなく自首した。[2]
  • 安井町若夫婦強盗殺人事件
1969年(昭和44年)2月21日10時25分頃、安井町2丁目の会社員Y(28)宅に訪れたY妻Hの母M(60)がYとH夫妻が血まみれで死亡しているのを発見した。死因はハンマーのような鈍器頭部を殴られたため、頭蓋底陥没によるものと推定。周辺の捜索により、同日15時頃被害者宅から300メートル南東にあった空き地からの付いた金槌が発見された。また、交際関係からHの妹婿F(38)が被害者から52万円の借金をしていたことが判明。さらに、Fの着衣および自転車等からルミノール反応が検出され、現場に残されていた指紋とも一致したため、23日Fを逮捕した。Fは借金を隠滅するために夫妻を殺害したことを認めた。[2]
  • 楠町室内装飾業者強盗殺人事件
1976年(昭和51年)2月21日19時45分頃、楠町大字味鋺字南山(当時)の室内装飾業NK(64)宅に訪れた同社店員T(24)がベッド上で血まみれになって死亡しているNKを発見した。遺体にはハンマーのような鈍器で後頭部を殴打された形跡があり、また頚部にビニールひもが巻き付けられていた。宅内を捜索すると、電話台南側に置かれていたポリ製書類入れから、女性との関係にかかわる誓約書らしきものが見つかった。ここから、被害者のNKは緑区鳴子町のN生命特約店K(63)を通じてS子(42)を紹介され、親密な関係になっていたことが判明した。さらに、S子が経営していたお好み焼き屋が資金繰りに困りNKに相談したことをきっかけに、二人の関係が不仲になっていたこともわかった。また、現場から印鑑預金通帳の類が見つからなかったことから、近隣の銀行に問い合わせたところ、2月16日頃、名古屋相互銀行(現名古屋銀行)A支店から被害者名義の普通預金口座より現金120万円が引き出されていたことがわかった。この際に提出された書類の筆跡鑑定の結果、被害者の筆跡ではなく、書類からKの指紋が検出されたことから、Kを重要参考人として任意取調したところ、犯行を自供した。Kは1952年商品詐欺の犯人として検挙されており、その時に指紋を採取されていた。[2]
  • 楠町スナック経営者殺人放火事件
1979年(昭和54年)2月1日3時50分頃、楠町味鋺大塚裏のスナックUのひさしから、ドカンという音とともにが上がった。その音を聞いた隣の中華料理店長(36)が119番通報したため、天井カウンターを焼いただけで済んだが、女性の遺体を発見したため北署に届け出た。遺体は、顔を殴打され、首にタオルが巻かれ、下半身は裸になっている上に乱暴された跡があった。この遺体は同店経営者の女性K(38)とわかった。ホステス2人の証言によりその日遅くまで同店で飲んでいた男のモンタージュ写真を作成、手配した。すると、2日10時30分頃、守山署管内のパチンコ店Bの店長から写真に似た男が店内にいるという通報があり、近くの新堀派出所(当時)に同行を求めた。事情聴取の結果、男は守山区大字瀬古の自動車修理工見習T(17)で、Kに「早く帰れ」と言われたことに立腹し殺害したことを自供した。放火したのは証拠隠滅のためだった。[2]

主な未解決事件 

  • 北区中味鋺地内における女性被害強盗殺人事件[4]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 『北区誌』1994年、481頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm 『愛知県警察風土誌』愛知県警察本部警務部教養課、1981年3月。
  3. ^ 交番内に排せつ物、花火で破裂させた疑い(YOMIURI ONLINE)WEB魚拓。2013年8月15日閲覧。
  4. ^ 北区中味鋺地内における女性被害強盗殺人事件

外部リンク