北警察署 (愛知県)
北警察署 | |
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都道府県警察 | 愛知県警察 |
管轄区域 | 名古屋市北区 |
課数 | 7 |
交番数 | 10 |
所在地 |
〒462-0843 愛知県名古屋市北区田幡2-15-18 |
位置 | 北緯35度11分45.57秒 東経136度54分42.24秒 / 北緯35.1959917度 東経136.9117333度座標: 北緯35度11分45.57秒 東経136度54分42.24秒 / 北緯35.1959917度 東経136.9117333度 |
外部リンク | 北警察署 |
北警察署(きたけいさつしょ)は、愛知県警察が管轄する警察署の一つである。大規模警察署であり、署長は警視正。
所在地
管轄区域
沿革
- 1942年(昭和17年)7月1日 - 西区田幡町(当時)に愛知県城北警察署として発足。東警察署(旧鍋屋警察署)所管の旧杉村、旧清水町、旧六郷村の上飯田・下飯田地域および西警察署(旧江川警察署)所管の旧萩野村、旧金城村の東志賀・田幡の大部分・志賀の大半を引き継ぎ、管轄とした[1][2]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 北区成立に伴い、愛知県北警察署と改称[1]。
- 1945年(昭和20年)5月4日 - 空襲により庁舎が焼失。以降一時的に北区役所で業務を行う[2]。
- 1945年(昭和20年)7月 - 城東町の鈴木電機株式会社事務所において業務を開始[2]。
- 終戦後(詳細な時期不明) - 水草町1-61の建物(元愛知県毛織物検査所、戦時中は名古屋海軍軍需部が使用)を買収し、庁舎とする[2]。
- 1946年(昭和21年)4月15日 - 東区より東大曽根町本通・東大曽根町上・山田町五丁目・矢田町一丁目・山田北町一丁目が北区に編入されたため、所轄に編入[2]。
- 1951年(昭和26年)1月12日 - 中区より上名古屋町字北野が北区に編入されたため、所轄に編入[2]。
- 1954年(昭和29年)10月27日 - 黒川本通1丁目18番地(現田幡二丁目15-18)に庁舎を新築。[2]
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 警察法一部改正に伴い、愛知県北警察署となる[2]。
- 1955年(昭和30年)10月1日 - 西春日井郡楠村編入に伴い、管轄とする[2]。
- 1974年(昭和49年)12月20日 - 同所にて庁舎建て直し[1][2]。
歴代署長
就任期間 | 氏名 | 階級 | ||
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1 | 1942年(昭和17年)7月1日 - [2] | 大野佐長[2] | 警部[2] | |
2 | 1944年(昭和19年)1月31日 - [2] | 市岡義一[2] | ||
3 | 1944年(昭和19年)10月27日 - [2] | 横地龍平[2] | 警視[2] | |
4 | 1945年(昭和20年)12月27日 - [2] | 梶田安一[2] | ||
5 | 1946年(昭和21年)6月21日 - [2] | 佐々木勝男[2] | ||
6 | 1947年(昭和22年)1月20日 - [2] | 青柳丹蔵[2] | ||
7 | 1949年(昭和24年)12月1日 - [2] | 石田義介[2] | ||
8 | 1951年(昭和26年)2月19日 - [2] | 更谷藤十郎[2] | ||
9 | 1952年(昭和27年)3月22日 - [2] | 田中身吉[2] | ||
10 | 1955年(昭和30年)7月1日 - [2] | 木下成雄[2] | ||
11 | 1956年(昭和31年)8月1日 - [2] | 北川紀言[2] | ||
12 | 1958年(昭和33年)4月1日 - [2] | 富成守次[2] | ||
13 | 1960年(昭和35年)3月26日 - [2] | 山田正一[2] | ||
14 | 1963年(昭和38年)2月25日 - [2] | 近藤寛[2] | ||
15 | 1964年(昭和39年)3月11日 - [2] | 小林甲子雄[2] | ||
16 | 1965年(昭和40年)3月19日 - [2] | 鈴木清次[2] | ||
17 | 1967年(昭和42年)3月17日 - [2] | 水谷清[2] | ||
18 | 1969年(昭和44年)3月24日 - [2] | 古屋幹雄[2] | ||
19 | 1970年(昭和45年)8月1日 - [2] | 丹羽鈴雄[2] | ||
20 | 1972年(昭和47年)3月27日 - [2] | 林一男[2] | ||
21 | 1974年(昭和49年)3月22日 - [2] | 西村繁夫[2] | ||
22 | 1975年(昭和50年)3月18日 - [2] | 本田春男[2] | 警視正 | |
23 | 1978年(昭和53年)3月24日 - [2] | 安藤正男[2] | ||
24 | 1980年(昭和55年)11月10日 - [2] | 櫻井輝夫[2] | ||
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2013年(平成25年)3月25日 - | 岩城一平 |
幹部交番
- なし
交番
- ( )の中は所在地
- 如意交番(如意1丁目)北緯35度14分3.8秒 東経136度55分12.2秒 / 北緯35.234389度 東経136.920056度
- 味鋺交番(楠味鋺3丁目)北緯35度13分24.4秒 東経136度55分32.4秒 / 北緯35.223444度 東経136.925667度
- 辻交番(辻町4丁目)北緯35度12分30.5秒 東経136度55分30.3秒 / 北緯35.208472度 東経136.925083度
- 飯田交番(上飯田通1丁目)北緯35度12分7.4秒 東経136度55分45.9秒 / 北緯35.202056度 東経136.929417度
- 大曽根駅前交番(山田1丁目)北緯35度11分35.1秒 東経136度56分11.3秒 / 北緯35.193083度 東経136.936472度
- 若葉交番(瑠璃光町1丁目)北緯35度11分48.9秒 東経136度55分28.3秒 / 北緯35.196917度 東経136.924528度
- 清水交番(清水5丁目)北緯35度11分28.6秒 東経136度54分46.7秒 / 北緯35.191278度 東経136.912972度
- 金城交番(金城町2丁目)北緯35度11分58.9秒 東経136度54分25.5秒 / 北緯35.199694度 東経136.907083度
- 2013年5月6日20時過ぎ、同区内の17歳と16歳の少年が交番内机上において排泄物入りのビニール袋をロケット花火4本を使い破裂させるという事件が発生した。事件時交番は無人だった。少年らは11日、威力業務妨害(排泄物処理にあたった当署員7人の業務を妨害した)と建造物侵入の容疑で逮捕された。[3]
- 光音寺交番(金城町4丁目)北緯35度12分34.7秒 東経136度54分21.9秒 / 北緯35.209639度 東経136.906083度
- 志賀交番(稚児宮通1丁目)北緯35度11分53.7秒 東経136度54分59.9秒 / 北緯35.198250度 東経136.916639度
-
若葉交番
-
金城交番
警察官駐在所
- なし
主な事件
- 猟銃乱射殺人事件
- 1965年(昭和40年)2月15日17時10分頃、萩野通の飲食店Sで名古屋市交通局員M子(22)ほか2名の計3名で食事をしていたところ、西側の入口から現れた猟銃を持った男が突然発砲した。その時発射された弾丸3発によりM子は即死、友人2人は重傷を負った。男は原動機付自転車に乗り、さらに志賀町の喫茶店Uのガラスに向けて、続けて同町喫茶店Tの調理場の窓越しに発砲して逃走した。北署は原付のナンバーから犯人をN(31)と断定。Nはラジオニュースにより事件を知った民間人の通報により、同日19時15分頃岐阜市西明見町路上で逮捕された。[2]
- 紅雲町の三角関係殺人事件
- 1967年(昭和42年)12月30日17時30分頃、紅雲町のTアパートから同アパートに居住するO(26)の部屋で人が刺されたという通報があった。署員が現場に到着したところ、Oは顔面等に硫酸をかけられ重傷を負っている状態で、ホステスY(25)が胸部等を刺され仰向けになった状態で即死。さらにA(34)が同アパート前の路上で胸部等を刺されうつぶせの状態で絶命していた。捜査の結果、次のことが判明した。YはM(30)と同棲していたが、最近Oとも肉体関係を持っていた。そのことをMが知るところとなり、Yは12月25日にM宅から家出することになる。MはYがO宅にいることを知り激昂。自宅にあった牛刀(刃渡り21センチメートル)と硫酸を持ち出し、O宅で犯行に及んだということである。Mはまもなく自首した。[2]
- 安井町若夫婦強盗殺人事件
- 1969年(昭和44年)2月21日10時25分頃、安井町2丁目の会社員Y(28)宅に訪れたY妻Hの母M(60)がYとH夫妻が血まみれで死亡しているのを発見した。死因はハンマーのような鈍器で頭部を殴られたため、頭蓋底陥没によるものと推定。周辺の捜索により、同日15時頃被害者宅から300メートル南東にあった空き地から血の付いた金槌が発見された。また、交際関係からHの妹婿F(38)が被害者から52万円の借金をしていたことが判明。さらに、Fの着衣および自転車等からルミノール反応が検出され、現場に残されていた指紋とも一致したため、23日Fを逮捕した。Fは借金を隠滅するために夫妻を殺害したことを認めた。[2]
- 楠町室内装飾業者強盗殺人事件
- 1976年(昭和51年)2月21日19時45分頃、楠町大字味鋺字南山(当時)の室内装飾業NK(64)宅に訪れた同社店員T(24)がベッド上で血まみれになって死亡しているNKを発見した。遺体にはハンマーのような鈍器で後頭部を殴打された形跡があり、また頚部にビニールひもが巻き付けられていた。宅内を捜索すると、電話台南側に置かれていたポリ製書類入れから、女性との関係にかかわる誓約書らしきものが見つかった。ここから、被害者のNKは緑区鳴子町のN生命特約店K(63)を通じてS子(42)を紹介され、親密な関係になっていたことが判明した。さらに、S子が経営していたお好み焼き屋が資金繰りに困りNKに相談したことをきっかけに、二人の関係が不仲になっていたこともわかった。また、現場から印鑑・預金通帳の類が見つからなかったことから、近隣の銀行に問い合わせたところ、2月16日頃、名古屋相互銀行(現名古屋銀行)A支店から被害者名義の普通預金口座より現金120万円が引き出されていたことがわかった。この際に提出された書類の筆跡鑑定の結果、被害者の筆跡ではなく、書類からKの指紋が検出されたことから、Kを重要参考人として任意取調したところ、犯行を自供した。Kは1952年に商品詐欺の犯人として検挙されており、その時に指紋を採取されていた。[2]
- 楠町スナック経営者殺人放火事件
- 1979年(昭和54年)2月1日3時50分頃、楠町味鋺大塚裏のスナックUのひさしから、ドカンという音とともに煙が上がった。その音を聞いた隣の中華料理店長(36)が119番通報したため、天井とカウンターを焼いただけで済んだが、女性の遺体を発見したため北署に届け出た。遺体は、顔を殴打され、首にタオルが巻かれ、下半身は裸になっている上に乱暴された跡があった。この遺体は同店経営者の女性K(38)とわかった。ホステス2人の証言によりその日遅くまで同店で飲んでいた男のモンタージュ写真を作成、手配した。すると、2日10時30分頃、守山署管内のパチンコ店Bの店長から写真に似た男が店内にいるという通報があり、近くの新堀派出所(当時)に同行を求めた。事情聴取の結果、男は守山区大字瀬古の自動車修理工見習T(17)で、Kに「早く帰れ」と言われたことに立腹し殺害したことを自供した。放火したのは証拠隠滅のためだった。[2]
主な未解決事件
- 北区中味鋺地内における女性被害強盗殺人事件[4]
関連項目
- 名古屋市連続通り魔殺傷事件
- 名古屋少年匕首殺害事件
- 全国選抜名古屋大花火 - 当署および他署からの応援を受けて雑踏警備を担当していた
脚注
- ^ a b c 『北区誌』1994年、481頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm 『愛知県警察風土誌』愛知県警察本部警務部教養課、1981年3月。
- ^ 交番内に排せつ物、花火で破裂させた疑い(YOMIURI ONLINE)WEB魚拓。2013年8月15日閲覧。
- ^ 北区中味鋺地内における女性被害強盗殺人事件
外部リンク