北袋町 (さいたま市)
■北袋町 きたぶくろちょう | |
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見沼田圃から望む | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市大宮区 |
地域 | 大宮地区 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
330-0835 |
市外局番 | 048 |
ナンバープレート | 大宮 |
北袋町(きたぶくろちょう)は、埼玉県さいたま市大宮区の町名である。現行行政地名は北袋町一丁目及び北袋町二丁目。
地理
埼玉県さいたま市大宮区(旧大宮市)の南端部に位置する。北側に天沼町,吉敷町(ともにさいたま市大宮区),南側に上木崎(さいたま市浦和区),西側に新都心(さいたま市中央区),東側に大原(さいたま市浦和区)と接する。
地形は見沼低地西岸の大宮台地上に位置する。北東部には見沼の低地が入り込み,中央部にかけて見沼代用水西縁が大きく蛇行している。北側の天沼町との境には高沼用水が流れている。地名の「袋」は「フクラ」の意で,水流の屈曲によって作られた広い平地を指すとされている。かつては東部(現・北袋町二丁目)には耕地が,西部(現・北袋町一丁目)には山林が広がっており,見沼代用水西縁を利用した船運が盛んであったが,現在は主として住宅地が広がっている。産業道路西側の一丁目一帯の大半は三菱マテリアル総合研究所が占めていたが,現在は大部分の敷地で再開発が進められている。
歴史
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- 1666年(寛文8年) - 北袋村が中山道大宮宿の助郷(常助村)に指定。村高50石。
- 1728年(享保13年) - 見沼が干拓され,見沼代用水が開削。
- 1731年(享保16年) - 見沼通船が開始,北袋河岸が設置。
- 1828年(文政11年) - 大宮宿寄場55ヶ村組合に所属。
- 1872年(明治5年) - 埼玉県第二十二区に所属。
- 1874年(明治7年) - 見沼通船会社設立。第九会社が北袋に設置。
- 1879年(明治12年) - 北足立郡に所属。
- 1881年(明治14年)1月14日 - 中山道北袋地内にて,内国通運株式会社(現・日本通運)の郵便馬車(高崎〜東京)が強盗に襲われ,現金等が強奪される。
- 1884年(明治17年) - 瀬ケ崎村連合戸長役場に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行によって上木崎、下木崎、駒場、瀬ヶ崎、針ヶ谷、本太、北袋、木崎領領家の8箇村が合併し、北足立郡木崎村成立。木崎村の大字となる。
- 1931年(昭和6年) - 見沼通船廃止。
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 木崎村のうち、北部の大字北袋を除く大部分が同郡谷田村と共に浦和町へ編入され、大字北袋は大宮町へ編入される。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 大宮町が三橋村、大砂土村、宮原村、日進村と合併し、大宮市となり、大宮市の大字となる。
- 1954年(昭和29年)10月20日 - 大字北袋の一部から北袋町一・二丁目が成立。残部は天沼町二丁目・吉敷町四丁目の一部となる。
- 1958年(昭和33年) - 一部を浦和市に編入。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 大宮市が浦和市、与野市と合併しさいたま市となり、同市の町名となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、さいたま市大宮区の町名となる。
交通
鉄道
道路
- 首都高速埼玉新都心線
- 埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線(旧中山道)
- 埼玉県道35号川口上尾線(産業道路)
- 埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線(新都心東通り)
- 埼玉県道159号さいたま北袋線(赤山東通り)
施設
参考文献
- 角川日本地名大辞典 11 埼玉県
- 埼玉県市町村誌 第一巻
- 大宮市史 第三巻下
- 大宮のむかしといま
- わがまち浦和