北村初雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北村 初雄(きたむら はつお、 1897年明治30年)2月13日 - 1922年大正11年)12月2日[1])は、大正期の日本詩人

来歴[編集]

東京市麹町区飯田町(現・東京都千代田区飯田橋)で[2]、北村七郎の長男として生まれる[3]

横浜市南太田町(現・南区内)で育ち[4][5]、1903年に横浜市老松小学校(現・横浜市立本町小学校)に入学した[5][2][6]

1912年に神奈川県立第一横浜中学校(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)に進む[7][2]。中学校在学中から三木露風に師事した[3]

1917年に中学校を卒業し[1]東京高等商業学校(現・一橋大学予科に入学した[8]。1921年に同校本科を卒業して[9][1]三井物産に入社したが[3]、1922年に結核のため鵠沼旅館東屋に転地療養し、同年死去した[2][1][10]。享年26(満25歳没)。

墓所は總持寺[2]

親族[編集]

父の北村七郎は三井物産の監査役などを務めた。妹の壽は児玉桂三東京大学名誉教授の妻。同じく妹の榮は山下太郎山下汽船社長の妻[11]ビオフェルミン製薬創業者の百崎俊雄は伯父[12][13]

詩集[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d "北村初雄". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2024年3月27日閲覧
  2. ^ a b c d e 大日本人名辞書 下卷 新版
  3. ^ a b c 瀬沼茂樹一橋と文学」『橋問叢書』第22号、一橋の学問を考える会、1983年9月28日。 
  4. ^ 第●回大倉山講演会/文芸作品に表れた横浜の近代-北村初雄のハイカラー - 大倉精神文化研究所
  5. ^ a b 神奈川近代文学年表 明治31年~45年 - 神奈川近代文学館
  6. ^ 有島生馬が学んだ、横浜市の老松(おいまつ)小学校の歴史を教えてください。 - 国立国会図書館レファレンス協同データベース(2012年3月、横浜市中央図書館の事例)
  7. ^ 神奈川近代文学年表 大正元年~15年 - 神奈川近代文学館
  8. ^ 官報 1917年04月05日
  9. ^ 東京商科大学卒業生名簿 昭和16年5月末日現在
  10. ^ 安齋七風、押田佳子、倉津耕大「湘南サナトリウムにおける近代メディカルツーリズムに関する研究」(PDF)『平成29年度日本大学理工学部学術講演会予稿集』、日本大学理工学部、2017年、359-360頁。 
  11. ^ 北村七郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  12. ^ 百崎俊雄 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  13. ^ 会員追悼録