北星学園女子中学高等学校
北星学園女子中学高等学校 | |
---|---|
過去の名称 |
スミス女学校 北星女学校 北星女学校高等女学科 北星高等女学校 北星学園中等部・高等部 北星学園中学校・高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人北星学園 |
設立年月日 | 1887年1月 |
創立者 | サラ・クララ・スミス |
共学・別学 | 男女別学(女子校) |
中高一貫教育 | 併設型(外部混合無) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 英語科 音楽科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 01509B |
所在地 | 〒064-8523 |
札幌市中央区南4条西17丁目2-2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
北星学園女子中学高等学校(ほくせいがくえんじょしちゅうがくこうとうがっこう、英称:Hokusei Gakuen Girls' Junior & Senior High School)は、北海道札幌市中央区にあるプロテスタント系の私立の中学・高等学校である。
概要
1887年、アメリカのニューヨーク州出身の長老派の伝道師サラ・クララ・スミスによって創設された[1]スミス女学校を前身とする。 スミス女学校は、学校の運営母体である学校法人北星学園の前身であることから、北星学園女子中学高等学校は学園内では最も古い歴史と伝統を持つ由緒ある学校でもある。
本校は、日本女性の自立を願って開校され、英語教育やキリスト教的な心の教育にも力を入れている[1]。
部活動も盛んであり、特に新体操部は全国大会の常連として知られる。
沿革
- 1887年 - 伝道師サラ・クララ・スミスにより、スミス女学校として開校
- 1894年 - 新渡戸稲造の進言により、「北星女学校」と改称
- 1947年 - 学制改革により北星学園中等部・高等部となる
- 1949年 - 北星学園中学校・高等学校に改称
- 1962年 - 「北星学園女子中学高等学校」と改称
- 2004年 - 中高6年間一貫教育スタート
学科(高等学校)
全日制課程
- 普通科
- Lコース(国公立大学・理系私立大学・看護大学に対応)
- Sコース(北星学園大学への進学、指定校推薦、AO入試文系・看護・福祉などに対応)
- 英語科
- 音楽科
- 一貫
制服
制服は1933年に制定され、デザインは当時と基本的に変わっていない。上下紺のセーラー服に黒のスカーフを合わせ、スカーフの丁度結んだ所に星形の校章を付ける。また、襟には、一本の白いラインが入っており、両端に星の刺繍を施している[1]。
この星型の校章は、「暗い世にあって星のように輝きなさい」という、聖書の言葉から取られたものだという[1]。
渡辺麻友(AKB48)が全国の制服を着用した姿を掲載した写真集「渡辺麻友 制服図鑑 最後の制服」(2013年4月19日、ISBN 978-4087806779)を発売するにあたり、日本全国から可愛い制服写真を集英社が募集したところ、本校の制服が採用され、写真集に含まれることとなった。
備考
「札幌市の木」となっているライラックは、サラ・クララ・スミスがアメリカの自宅から札幌に持ち込み繁殖したものであり、当時のスミス女学校と北大植物園にそれぞれ植樹がなされたのが始まりである。
スミス女学校に植樹されたものは戦時中に敵国の木として伐採されてしまったが、北大植物園では現在でも一番古い株として当時からの歴史を引き継ぐライラックを見ることができる。
出身者
- 河井道 (スミス女学校1期生)学校法人恵泉女学園(東京都)創立者
- 阿部みどり女 俳人 ※中退
- 安藤赴美子 声楽家
- 石田久美子 札幌テレビ放送アナウンサー
- 石山愛子 フリーアナウンサー
- 江頭ひなた タレント
- 大塚栄子 薬学者・北海道大学名誉教授
- 大塚有理子 プロゴルファー
- 沖本富美代・美智代 女優、歌手 ※3年時に転校
- 尾畑真知子 声楽家
- 斉藤光子 ミュージシャン(元GO-BANG'S)
- 白木美貴子 女優
- 竹島由美子 バレエダンサー、コスチュームデザイナー ※中学校まで
- 長島剛子 声楽家・国立音楽大学准教授
- 森理恵 元北海道放送アナウンサー
- 大和和紀 漫画家
- 明海陽子 元宝塚歌劇団男役、宝塚歌劇団卒業生
脚注
関連項目
- 北海道中学校一覧
- 北海道高等学校一覧
- 北海道の男女別学校一覧
- 日本の英語科設置高等学校一覧
- 日本の音楽科設置高等学校一覧
- 北星学園大学
- 北星学園大学短期大学部
- 北星学園大学附属高等学校
- 北星学園余市高等学校
- 北星学園創立百周年記念館